三つ目のラフマニノフは、NHK杯 でした。 浅田真央さんは、グランプリシリーズの2戦目であるこの大会でも優勝し、ファイナル進出を決めました。
元々の、12の得点要素が、極めて高難度、高得点なものとなっている、それを、殆ど目立ったミスをせずに滑っているのですから (ー ー この時は、3Aも着氷しました!)、競技と言っても敵無しの、独走状態、という感じでした。
彼女は、直向に、己のスケートの極点を目指していたと、思います。
・・・・・そうである筈だと思いながら、何処か、私は、パワーの不足を、実は、感じてしまっていました。 多分、バンクーバーオリンピック以前からのファンは、皆、そうだったと思うのですが、
十代の頃は疲れ知らずだったけれど、年々、そこのところが違ってきた、というようなことを、彼女も言うようになっていました。
大会に出て、一つの演技をする前に、一体、何回の演技をするのでしょう、その練習で随分のパワーが消耗されて、いざ、本番で演技をする時は、残った体力を絞り出すようにしなければならない、と、そんなことはなかったでしょうか、
私達が目にする時の彼女には、既に疲労があった・・・・、
私の憶測ですけれど、でも、この時、浅田真央さんは、オリンピックには再び着用した、当初用意した青い衣装を着ておらず、- - - つまり、それは手直しをしていたようですが、
首の方迄伸びていた飾りを下げて、肩の辺りをすっきりと、機能的な形に変えていた訳ですが、
それは、あの3Aをより成功させる為にと、考えたことだったのだと思うのです。
次の、グランプリファイナルの演技で、浅田真央さんは、フリーのラフマニノフに、二回の3Aを入れてきましたから、
ですから、このオリンピックの時とは違う衣装を着ている、この時には、既に、3Aを、コンビネーションでも跳ぶ、一つの演技で二回跳ぶ ー ー バンクーバーオリンピックの時のように、と、そういう考えを持っていたことになる訳で、
ということは、このNHK杯での演技と、もう一つ別の演技の分の練習もしていた、ということなのではないかと思うのです。
持病の腰痛が悪化する程、彼女は壮絶な練習を、おそらく繰り返していたのではないでしょうか。