こんにちは。

まだまだイチワの調査は途中ですが、今回は少しアークスから離れた記事になります。


イチワともうひとつ、北見の商業施設の歴史を綴る中で外せない、北見東急ストアについてです。



北見市と東急の関係


(写真 リサイクルショップで入手した東急ストアのカゴ)

かつて北見市は東急城下町とまで言われる東急グループが根を張る地方でした。


1950年代、東急こと東京急行電鉄株式会社 (当時 以下東急)が北海道内の鉄道、バス会社を次々と買収していたことにはじまります。


 1959(昭和34)年には北見市に本社を置いていた北見バス株式会社の株式を取得し、北見バスは東急グループに入ります。


これには北見市の初代市長、伊谷半次郎氏の手腕が働いたとされ、この翌年1960(昭和35)年には東急創業者の五島慶太氏からの資金援助で北見工業短期大学(現在の北見工業大学)が設立されました。これらを大きなきっかけに北見地方には続々と関連会社が進出することになりました。


バス事業からの派生


(写真 北見市留辺蘂町松山にある旧網走交通大雪給油所跡 元は北見バス興産が開業したもの)

東急グループ入りの直後、北見バスは地域の過疎化に苦しみます。北見市はオホーツク地方随一の人口を誇るとはいえ当時10万人にも満たない地方都市。バスは、市街地を離れれば農村や山村ばかりを通っていました。モータリゼーションも重なったのでしょう。


1967(昭和42)年6月、北見バスはこのままではいけないと不動産業の子会社として北見バス興産を設立しました。


まずは同年北見駅前に食堂、雑貨店等の入る商業施設としてほっこう名店街を開業。


翌1968(昭和43)年6月には2号店として遠軽町にほっこう名店街遠軽店を、上川町には観光みやげ店を上川駅前にそれぞれ開業しました。その他ガソリンスタンドの運営にも事業を拡大しました。





火災を転機にスーパーマーケット事業へ


1969(昭和44)年3月30日。収益悪化に苦しみ、再生を模索していたなか、北見バスの本社ターミナルが火災により一部焼失してしまいます。


このあと、改築を図る際にスーパーマーケットとして北見ターミナルストアを併設させることになり同年8月29日に開業しました。


このとき、スローガンとして「バス待ちながら楽しいショッピングを」を掲げました。これが北見東急ストアのはじまりです。




個人商店の買収で店舗を拡大


北見バス興産はターミナルストア開業のあと、スーパーマーケットとしては1970(昭和45)年に朝日町ストアを開業、1973(昭和48)年には北見市高栄西町でみどりスーパーを運営していた小野寺子甫氏から事業を買収、ターミナルストア高栄店を開業しました。この店舗からターミナルストアをストアブランドとして本格的に展開を始めます。


翌1974(昭和49)年にはガソリンスタンドの事業を当時関連会社だった株式会社光和に譲渡し、北見バス興産はスーパーマーケット事業を中心的な事業とするようになります。


(写真 ターミナルストア高栄店のあった場所。開店当時の建物は現存しないが、この建物が建設された当時は北見東急ストアとして営業していたと思われる。)


1976(昭和51)年4月には3号店のターミナルストア大町店を開業しました。しかし同年7月には近接地にサンサンショッピングプラザ桜町店(㈱三島 本社士別市)が、場所は離れているものの10月にはスーパーうらべタイガー店(㈱うらべ 本社美幌町)が開業するなど競争が激化、この大町店はわずか2年で閉店してしまいます。


閉店の翌月、1978(昭和53)12月にターミナルストア ピアソン通り店を開業。ピアソン通り店では翌1979(昭和54)年に市内で初めて22時までの深夜営業を開始しました。この後は安定したのか店舗拡大は急速に進み、同年に網走市に進出しました。


網走市つくしが丘2丁目にあったサンパークまつやまを買収しターミナルストア網走つくしが丘店を、翌年には続けて網走市のスーパーまつやまを買収し駒場店を開業しました。



スーパーわこうを買収


網走に進出した際に、網走つくしが丘店には鮮魚のテナントとして株式会社わこうを迎えていました。わこうは北見市と網走市に同じスーパーマーケットを展開する企業でした。


その翌年1980(昭和55)年10月22日に北見バス興産はわこうを買収、わこう運営だった5店舗(1条店・幸町店・光西店・清見店・網走中央店)を継承するべく株式会社ほっこうが設立されこの運営に当てられました。


当時わこうは経営難の中にあったようです。当時わこうに並び北見地方に多く展開していたスーパーとしてイチワ(本社 北見市)やうらべがありました。


わこうはしばらく北見バス興産のストアブランドのひとつとして存続します。


ストアブランドの統一


1980年のわこう買収後もその他買収を重ね店舗を拡大しました。1982(昭和57)年8月23日には北見バス関連における最大の店舗であるきたみ東急百貨店が開業しターミナルストア本店(1号店)は地階食料品売場へ移転する形で閉店。東急百貨店の運営は株式会社きたみ東急百貨店が行っていましたが、食料品売場は北見バス興産によるものでした。


(写真 右奥側に立つのが旧きたみ東急百貨店、そして手前側にかつてほっこう名店街があった)

この東急百貨店が開業する際、近接地にあったほっこう名店街は閉店し解体。再開発計画のなかで北見駅前の景観は大きく変わりました。


(写真 旧わこうから引き継いだ北見東急ストア光西店跡
隣接地にイトーヨーカ堂が進出した後も、最後までわこうの屋号を守った。)

1985(昭和60)年には北見市内にイトーヨーカ堂が進出することになり、北見バス興産は仕入れ体勢の強化を図るべく東急本社名称使用審査委員会の承認を得て、2月1日よりターミナルストア全店を北見東急ストアに名称変更しました。


このとき、ストアブランドとしてターミナルストアは消滅したものの、わこうは東急ストアに変更される店舗はありつつもしばらく残され、1987(昭和62)年頃にわこう光西店が北見東急ストアに統一されたのを最後に消滅しています。


1987(昭和62)年には旧わこうから引き継いだ店舗を運営していた㈱ほっこうも北見バス興産に吸収されました。


ちなみに、このときまだ㈱わこうは㈱和光として存在し(もしかすると別会社?)旧まるいいとう(百貨店)を引き継いだ北見駅前プラザHOW(1986~1998)の地階にて食料品売場を運営していました。


経営悪化から解散へ


北見バス興産の親会社である北見バスはモータリゼーションや過疎化の中で慢性的な赤字経営となっていました。


1998(平成10)年2月16日に北見バスは抜本的な事業整理計画を策定し、北見バス興産でも北見東急ストアの4店舗を閉鎖するなどしました。


そして同年4月には、同じ道内にある東急系の株式会社札幌東急ストアと株式会社じょうてつの共同出資にて株式会社北見東急ストアが新たに設立され、採算ベースにあった北見東急ストア5店舗の運営がそれに当てられました。その後、札幌東急ストアの完全子会社となります。


そして親会社だった北見バスも同年10月15日に東急により設立された株式会社北海道北見バスへ機能が移行し、翌1999(平成11)年に旧会社は解散となりました。


新体制で再生を図りましたが、北見東急ストアはその後も経営は悪化し2003(平成15)年1月31日で全店舗を閉鎖し会社も解散となりました。


北見東急ストアの店舗網


ターミナルストア開業から北見東急ストア解散までに存在した店舗は調べられた限りで次の通りとなっています。()内は所在した自治体名です。


❮ターミナルストア時代からの店舗❯


▪ターミナルストア本店(北見市)

1969.8.29~1982


▪朝日町ストア(北見市)

1970.1?~1972.11.11


▪ターミナルストア高栄店→東急ストア(北見市)

1973.9.26~2003.1.31


▪オホーツク民芸店(札幌市)

1973.10.5~1982.5.31

※さっぽろ東急百貨店 店内に出店


▪ターミナルストア大町店(北見市)

1976.4.26~1978.11.10


▪ターミナルストア ピアソン通り店→東急ストア(北見市)

1978.12.6~2003.1.31


▪ターミナルストア網走つくしが丘店→東急ストア(網走市)

1979.12.15~?


▪ターミナルストア駒場店→東急ストア(網走市)

1980.8.10~?


▪東急ストアきたみ東急店(北見市)

1982.8.23~2003.1.31


▪ターミナルストア春光店→東急ストア(北見市)

1983.12.10~?

※上記時期に㈱小泉中央スーパーより買収、その後も同社が運営。


▪ターミナルストア網走4条店→東急ストア(網走市)

1984.6.2~?

※上記時期に㈱イチワより買収



❮旧㈱わこうからの店舗❯

※1980.10.22に㈱北見バス興産が買収、

新会社㈱ほっこう により運営。


▪わこう1条店→東急ストア(北見市)

1961.12~?


▪わこう幸町店(北見市)

1965.8~1983.9


▪わこう網走中央店→東急ストア(網走市)

1969.6~?


▪わこう光西店→東急ストア(北見市)

1975.8~1999?


▪わこう清見店→東急ストア(北見市)

1975.10~1995?移転~2003.1.31


❮東急ストア化後の店舗❯

※ターミナルストア店舗が北見東急ストアに変わった1985年以降の店舗。


▪東急ストア駅前プラザHOW店(北見市)

1986.9.13~?

※1987年時点で㈱和光が運営。


▪プラザこうえい(北見市)

1986.10.15~?

※㈱高栄スーパーを貸借する形で開店。


▪東急ストアわかば店(北見市)

1999?~2003.1.31


▪東急ストア潮見店?(網走市)

?~?


(写真 北見東急ストアのサービスチケット)


東急城下町時代の終焉


(写真 最後に北見バス興産が入居していたビル。今では東急系の網走交通が入る。)

北見東急ストア解散を初めとして、北見地方における東急グループの撤退は相次ぎました。

2007(平成19)年10月31日にはきたみ東急百貨店が閉店。そして2009(平成21)年10月1日にはついに東急が北海道北見バスを傘下から外すことになりました。かつて東急城下町と言われた北見市から大きな東急系企業が姿を消しました。

(写真 網走交通本社ビル 網走駅前に立地している)

現在も残るのは網走市に本社を置く株式会社網走交通くらいになってしまいました。今でもこの会社ではかつて北見バス興産が行っていたガソリンスタンド、石油販売の運営などを引き継いでいます。

参考にした文献では当初ガソリンスタンド、石油販売の事業は前述の通り株式会社光和に譲渡したとありましたが、その後は現在の網走交通に運営が変わっているようです。

今に生ける東急



(写真上中央 移転したバスターミナル)
(写真下 駐車場に変わった旧バスターミナル)

かつては東急グループの北見バスから東急百貨店へ直結していたバスターミナルも北見駅寄りに移転し、 旧バスターミナルは駐車場となりました。東急城下町の象徴とも言える旧東急百貨店は今でも北見駅西側に控えています。

(写真 旧きたみ東急ことコミュニティプラザパラボ)

きたみ東急百貨店は2007年に閉店した後すぐに、建物を北見市が取得し第三セクター株式会社まちづくり北見によってコミュニティプラザパラボとして2008(平成20)年3月に開業しました。

当初は地階から3階と6階を商業施設、そして4、5、7階を市役所として使っていましたが、2020(令和2)年に新庁舎が上の写真奥の立体駐車場があった場所に完成したため、今では市役所の入っていた区画は空きスペースになっています。ですが中にあるテナントや内装の多くは東急時代と何ら変わらない印象です。

地階の食料品売場も健在で、今でもパラボは東急を感じられる数少ない場所となっています。


長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

今後もまた更新していきたいと思います。もし文中に誤りや問題があった場合はコメントやTwitter等にて御連絡いただけたらと思います。

ではまた✨



参考文献


▪1982年日本スーパーマーケット名鑑

(株式会社商業界 刊)


▪深める時代へ 創立20周年を迎えて

(1987年 月刊あるふぁ 北見バス興産 刊)


▪ワイドミリオン北海道圏道路地図帖

(1993年4月1日 東京地図出版株式会社 刊)


▪北見市 ゼンリン住宅地図'98

(1997年9月1日 株式会社ゼンリン 刊)


▪北見市 ゼンリン住宅地図'99

(1998年9月1日 株式会社ゼンリン 刊)


▪子会社解散に関するお知らせ

(2002年10月25日 東京急行電鉄株式会社)




参照リンク


東急電鉄 Wikipedia 






スペシャルサンクス


旧わこう店舗の開店時期について、記事内コメントにて情報提供くださりました。ありがとうございました🙇‍♂️


2021.5.16 投稿

2021.5.24 加筆投稿
2021.7.31 加筆投稿
2021.8.29 修正投稿

2021.9.10 加筆投稿

2021.10.5修正投稿

2022.1.26修正投稿