鬱病の子供たちが増えているという。クラスに何人もいるとなると尋常ではない。そういえば、わたしの周辺も俄かに鬱病が多くなってきている。特にうちの店は何故かそうした人たちが多くやってきて、突然泣き出したりする。
 いろいろと鬱病の本を読んで、その対処法を少しは勉強したから、話を聞いてやるだけにする。すべて容認して、頑張れとは言わないこと。
 特に、この街が最近はかなりの不景気で、商売をしている社長たちが愚痴をこぼしにうちの店に来る。息子は嫌がって、貧乏神ばかりきて、不景気病が感染するじゃないかと、迷惑そうな顔をする。不幸のオーラがあると、こっちの運まで尽きるような言い方をする。
 そこに自殺が加わってくると、なんとも憂鬱になる。自殺する危険性のある鬱病とそうでないものがある。うちのばあさんのは仮面性鬱病で、あちこちが悪いと不定愁訴でうるさい。のはまだいいほうだ。
 スナックのママで、店を閉めた人は、あまり酒を飲むなと医者に言われたと、いまは一滴も飲んでいないようだ。ジュースで乾杯しながら、腕を見せてくれた。リストカットの跡がある。
「わたしのは危ないのよ。死にたくなるから」と、平然と仰言る。
 ついこの前、定年退職したばかりの友人はこれまた鬱病を自認して、病院にもかかっていたが、彼はいつも亡くなった親父のことと、女房の話よりしないのだ。聞いていてうんざりしてくるが、顔には出さないで頷いている。彼にとって、その二人は自分の存在理由なのだ。実に弱い。もし奥さんに先立たれたら、生きてゆくことはできないだろう。江藤淳のように。
 画廊の親父がいつも本を探しにくる。鬱病の本がないかなという。いまはそんな本は新刊でもどっさりと出ている。うちにもいくらでもある。
「実は、友達が鬱病になって、どうしたらいいのか勉強しなければ」と、わたしと同じだった。
 以前鬱病になった人も入れれば、十人中、一人二人はいるというから、いまや鬱病は石を投げれば鬱病患者に当たるというものだ。
 うちの親も姪も従兄弟も友人も周囲に患者が多いのは、昔なら考えられなかったことだ。何が原因だろうか。不景気なときも昔はあった。国民が困難に陥った戦争中はいまよりもっと大変で悲惨であったが、鬱病などあまり聞いたことはないというのだ。
 あれほどの凄惨な状況に立たせられると人間は鬱病にもなれない。そんな暇がないほど生死の間を歩かせられる。
 ということは、現代は軟弱さが亢進してあまりにも弱くなっためだろうか。

 これは機械文明というよりデジタル文明と関係はないのだろうか。パソコンと携帯電話の急速な普及で、生活はがらりと変わってきている。
 一日に何時間、テレビも含めて、電磁波のモニター画面を覗いているのだろうか。携帯のモニターもワンセグでテレビになるし、電車でも歩いても職場でもどこでも携帯電話を手にして、なにやら打っている様子が異常だった。すっかりと中毒になったように、みんな真剣な顔で小さなキーを打っている。
 会社でも家でもパソコンの前に座って、一日何時間キーボーどを叩いているのだろうか。それもキーだ。携帯とパソコンのキーを飽きもせず一日中打っている。それが新たな打つ病患者でなくしてなんだろうか。
 かくいうわたしも携帯でゲームはするし、仕事では七時間はパソコンの前にいて、家に帰ってからも朝晩三時間以上はやっている。一日の半分はキーを打っている。寝ているか、飯を食っているか、移動中だけは打っていないだけの話で、止まっているときは、きっと指はキーを打っている。
 この異常さは十年以上前はなかったことだ。そのときは何をしていたのだろうか。
 そのときは、ペンとノートがあった。日記にしても創作にしても原稿用紙があり、手元に広辞苑などの辞書があり、いちいち調べるのも本を開いた。いまは、調べものはネットだし、辞書や百科事典もインターネットだ。
 携帯電話がなかったときは、メールなんかないからハガキを書いた。返事がくるまで四日は待った。新聞も銀行や図書館で中央紙を読んだのが、いまはパソコンのウエブで読んでいる。日記もブログだし、仕事もネット通販で、パソコンがなければ考えられなくなっている。
 それはどこの会社も同じだろう。この十年ですっかりと侵されている。精神的にもいいわけがなく、人間性にも歪みが出てきているのだろう。精神病患者が増えるのもそうしたIT化の環境によるところが大きくないだろうか。メールがこれほど全世界を飛び回る前は、どんなコミュニケーションで、どんな人間関係があったのだろうか。たった十年でひと昔前を忘れてしまうほどだった。
 現代は疎外感が高まり、メンタルな面では逆行しているように、ますます世の中に神経症と鬱病患者たちを増殖させている。労働組合も弱体化し、スポーツも国際試合では大敗し、テレビ番組を見ても、ニュースを見ても問題にするなと言いたくなるほどの脆弱さ。逞しい日本人はどこに行ったのだろうか。あまりにもばからしく、呆れるほどの三等国民に落ちてしまった。
 国はこの事態を収拾するために、いますぐに、各種の法案を作って施行すべきだ。
 携帯電話禁止法案、パソコン禁止法案、自動車禁止法案、テレビ禁止法案、年金廃止法案、健康保険廃止法案、公共事業新規規制法案、新規出店禁止法案、増築新築禁止法案、などなど、すべてを戦前に戻すと、病人も確実に減るのではないか。頼りになるのは自分の力であり、家族であり、友情であるという、人間の真の社会がまた再生されてくる。
 そんな社会になると、古本屋は繁盛するだろう。暇を持て余した人々が、テレビもパソコンも携帯電話もなく、ゲームもできないので、仕方なく本でも読もうかと、また帰ってくる。
 そんな空想が現実にならないものか。