「なにもない」を楽しむ | ~心のやすらぎ~

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高野山真言宗の僧侶による法話ブログです。
毎月1話掲載してまいります。

 江戸時代を代表する俳諧師の一人である小林一茶。 日常をそのまま切り取り、かつ絶妙な表現で侘しさを感じさせる、親しみ深い俳句が特徴です。

一茶の詠む俳句は、彼が辿った、決して豊かではなかった人生が反映されているようです。信濃の農家の子として生まれた一茶は、継母との不仲から江戸に奉公に出され、俳諧師として自立してからも安定しない生活に苦労をしました。そんな時期に詠まれたであろう一茶の俳句に、このようなものがあります。

 

 山里は 汁の中迄 名月ぞ  やまざとは しるのなかまで めいげつぞ

 

 この俳句をじっくりと味わってみましょう。山里のあばら家で、一人寂しく汁をすすっている。屋根に空いた穴からか、崩れた壁の隙間からか、月明かりが差し込み、持っている汁椀に名月が映っている。貧しい生活の中で、何もないからこそ感じる侘しさを楽しんでいる情景が浮かびます。

 

 現代社会は、物、情報、娯楽に満ち溢れています。けれども、人々はどこか不満気で、むしろ、必要以上の物を欲しがってしまい、暇な時間や何も持っていない事を恐れて苦しんでいるように見えます。

 

 お大師さまは、修行時代の楽しみを書き記しておられます。

 

「孤雲、定むる処無く、本自り高峰を愛す 人里の日知らず、月を観て青松に臥す」

 

 雲が、とどまる事なく高い山々を愛するように空に浮かんでいる。そのように、豊かな人里を離れて、何もない山をひとり遊行し、青々とした松の下で寝転びながら、月を観ている。このようにお大師さまは、京都や高野山に拠点を移してからも、身軽で心が自由であった修行時代を懐かしんでおられます。

 

 便利で豊かだからこそ、溢れかえる物や情報にかえって自らが縛られてしまう現代。そんなときは時折、テレビも新聞も忘れて、携帯電話も家に置いて、何も持たずに近くを歩いてみませんか。満ち溢れた物や情報から離れた時、はじめて「心の豊かさ」に触れることができます。こんな世の中だからこそ、たまには「なにもない」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 南無大師遍照金剛

 

千歳市 光明寺 安田 空源 僧正