青い手の像 北九州平和祈念像 | 北九州再発見・ミャンマー学校支援のブログ

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北九州市門司めかり公園「世界平和パゴダ」のミャンマー(旧ビルマ)僧侶との出会いによって、「ミャンマー学校建設」「平和祈念像」「北九州再発見」活動

2019年12月14日(土)は、北九州市小倉北区大手町「アルモニーサンク北九州ソレイユホール」前の「北九州平和祈念像」建立から19年目、同館アドバイスにより歴史説明文を提出。「青い手のモニュメントは!」のお問い合わせに難儀されておられましたが、多少でもお役に立つでしょうか。

<歴史説明文>

「北九州平和祈念像」平成12年(2000年)12月14日建立
 日本初空襲は昭和17年(1942)4月18日、東京市・川崎市・横須賀市・
名古屋市・四日市市・神戸市に米空母艦ホーネットから飛び立った
米軍B25爆撃機16機による爆撃です。
この空爆で日本側の死者は50人、家屋262戸損害。米軍側の戦死者

1人、行方不明者2人、捕虜8名。その後、アメリカは中国の成都から往復できる爆撃機B29爆撃機を開発。
 昭和19年(1944年)6月16日、B29初陣による北九州初空襲は、死傷・
行方不明者633名、家屋破壊318戸以上。
 その後日本各地は、B29爆撃機による空爆が激化し、東南アジアや
硫黄島、沖縄地上戦悪化。原爆は8月6日広島、8月9日の原爆目標は小倉や八幡が天候不良などの為、長崎に投下されてしまいました。
 北九州市小倉北区大手町一帯は、各地から4万人もの工員が女子挺身隊や学徒動員として昼夜を問わず銃器などを製造していた工場「旧小倉陸軍造兵廠」でした。
 平成7年(1995年)、「旧小倉陸軍造兵廠」に供給されていた給水塔の
保存運動で、昭和19年(1944年)6月16日、2発の空爆(現在の検察庁付近)によって、防空壕に避難していた女子挺身隊や学徒動員たち83名の若い命が犠牲となったことが発覚。
 この悲しい出来事を何とか形にして、後世に伝えたい思いが共感を呼んで、600万円余の募金となり「旧九州厚生年金会館」前に21世紀の平和を願って「北九州平和祈念像」建立。
                         「北九州再発見」民谷喜美子

 

<昭和17年(1942年)~昭和20年(1945年)主な日本空襲>
①昭和17年(1942年)4月18日

        日本本土初空襲 空母艦船発進→日本→中国本土基地
昭和19年(1944年)6月16日

       北九州初空襲 中国成都→北九州→中国成都 
             家屋疎開(北九州計27,000戸) 

③昭和19年(1944年)7月6日

      サイパン陥落(以後日本列島B29 の行動範囲に)

④昭和19年(1944年)11月24日

     東京空襲(マリアナ基地よりB29 、以後本土空襲本格化)
⑤昭和20年(1945年)3月1日

    硫黄島日本軍全滅(以後日本本土護衛戦闘機の行動範囲に)
⑥昭和20年3月10日

  東京大空襲(B29×300機)この頃より攻撃方法は各都市に

  焼夷弾のジュータン爆撃に変わる

⑦昭和20年6月23日

  沖縄陥落
⑧昭和20年8月6日

  広島に原爆投下
⑨昭和20年8月8日

  北九州大空襲(マリアナ発B29×120機 沖縄発小型機140機)
⑩昭和20年8月9日

  長崎に原爆投下(小倉・八幡が前日の大空襲や八幡製鐵所からの
  コールタールの煙などで視界不良)
昭和20年8月15日終戦