ルポ最底辺(感想)
北海道から沖縄まで、非常に多くの地域で、失業した中高年、二十代の若者、夫の暴力に脅かされる母子など、帰る場所を失った多くの人びとが路上生活に追い込まれています。 他方、多くの若者がフリーターや派遣社員として働いています。 遠くない将来、彼らも若者ではなくなり、野宿者=ホームレスの問題が深刻化する可能性があります。 ”ルポ最底辺”(2007年8月 筑摩書房刊 生田 武志著)を読みました。 深刻化している野宿者=ホームレス問題について、大学在学中から釜ヶ崎に通い、現在までさまざまな日雇い労働運動・野宿者支援活動に携わる著者が、原因、現状、対応、未来を解説しています。 著者は、1964年千葉県千葉市生まれ、1974年岡山県倉敷市に転居、1984年同志社大学文学部入学、1986年大阪市西成区の釜ヶ崎に通い、主に福祉活動、1988年3月卒業、通っていた釜ヶ崎キリスト教協友会の施設の一つでアルバイト、同年8月プロの日雇労働者、日雇労働運動や福祉・医療活動をやりながら建設現場の雑役や土方仕事、2000年群像新人文学賞評論部門優秀賞受賞、以後、高校で野宿者問題の講義を担当し、雑誌フリーターズフリーの編集に携わっています。 日雇労働者の街、釜ヶ崎についての著者の視点を踏まえた歴史が書かれています。 釜ヶ崎は日雇労働者の街で、長らく日本で不安定就労と野宿の問題の中心でした。 気ままに働けるといえば聞こえはいいですが、企業にとっては単なる使い捨ての労働力です。 日雇いは、具体的な労働量に対してのみ賃金が発生する就労形態であり、寄せ場の人々は仕事の多いときはかき集められ、少ないときは放っておかれます。 バブル期の1990年と崩壊後の1993年では、求人数で約半分、最低賃金も日給13,500円から9,000円に激減しました。 日雇いは、景気を根底で調整する損な役回りで景気の安全弁であり、健康を害せばたちまち収入ゼロになり、持ち金が尽きれば泊まるところすらない野宿生活者へ転落します。 著者が通い始めた1986年頃、釜ヶ崎近辺では千人近い日雇労働者が野宿をし、そのうち2百人近くが毎年路上死していました。 1986年に労働者派遣法が施行され、釜ヶ崎などの寄せ場だけで黙認されていた労働者派遣が一般に認められるようになりました。 1919年派遣法改正によって、労働者派遣は原則自由化されました。 それ以降、極限の不安定雇用と言うべき日雇い派遣が急増しました。 2007年には、グッドウィル、フルキャスト2社だけで1日数万人を派遣していました。 2008年のリーマンショック時に起こった派遣切りは、今でも昨日のことのようです。 日雇労働者の街=寄せ場があらゆる職域、地域に拡大し、日本全国が寄せ場化してきました。 不安定雇用の労働者の多くは、ちょっとした病気や何かのアクシデントでいつクビになるかわかりません。 突然の解雇、低賃金、危険な労働など、雇用側の一方的な都合、あるいは理不尽な横暴に最もさらされやすいです。 日雇労働者がそうだったように、フリーターの一分も今後は野宿者になる可能性を秘めています。はじめに 北海道・九州・東京…その野宿の現場第一章 不安定就労の極限 80~90年代の釜ヶ崎と野宿者第二章 野宿者はどのように生活しているのか第三章 野宿者襲撃と「ホームレスビジネス」第四章 野宿者の社会的排除と行政の対応第五章 女性と若者が野宿者になる日~変容する野宿者問題~第六章 野宿者問題の未来へあとがき