曼殊院は、他の天台門跡寺院と同様、最澄の時代に比叡山上に草創された坊がその起源とされ、本尊は阿弥陀如来、開基は是算、国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する近畿三十六不動尊第十七番です。
平安時代以来、近世末期に至るまで北野神社と関係が深く、歴代の曼殊院門主は北野神社の別当を兼ねていました。
”古寺巡礼 京都10 曼殊院”(2007年6月 淡交社刊 半田孝淳/赤瀬川原平著)を読みました。
竹内門跡とも呼ばれる天台五門跡の1つの京都一乗寺にある天台宗の曼殊院の四季を写真と文章で紹介しています。
著者の半田孝淳さんは、1917年長野県生まれ、曼殊院門跡四十一代門主、1961年より長野県上田市常楽寺住職、天台宗教学部長などを経て、1983年大僧正、戸津説法勤仕、1987年望擬講、1999年探題、2004年曼殊院門主。
赤瀬川原平さんは、1937年神奈川県生まれ、画家、作家、1979年中央公論新人賞、1981年第84回芥川賞、1983年野間文芸新人賞、1987年講談社エッセイ賞をそれぞれ受賞。
曼殊院は最澄が比叡山に建立し阿弥陀仏を安置したのを始まりとしますが、寺名不明。
のち是算が西塔に移し東尾坊と称し、947年北野神社創立時に是算が別当となりここに移り、1108~10年に尋忠のとき曼殊院と改称、のち北山に移り金閣寺建立のため禁裏付近に移転、1469~87年に慈運法親王が入寺して門跡寺となりました。
1656年良尚法親王が現地に再建、大書院、小書院、庫裡などが建っています。
小書院の黄昏の間と富士の間の間仕切りの上には、格子の中に透し彫りや浮き彫りによる紅白や朱の菊絞を散らした欄間が見られます。
花は表菊と裏菊に大別され、単弁、複弁などに分けられます。
良尚法親王は桂離宮を造営したことで名高い八条宮智仁親王の第二皇子であり、天台座主を務めた仏教者であるとともに茶道、華道、香道、和歌、書道、造園などに通じた教養人でした。
小堀遠州好みといわれる八窓席の茶室や枯山水の庭園は名高いです。