とってもド迫力の舞台だったけど、私は「むむむむむ」 | 如月隼人のブログ

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モンゴル国で制作された「モンゴル・ハーン」という舞踏劇を鑑賞してきました(写真)
非常に豪華で見ごたえがある舞台でしたけど
「むむむむむ」も多かったなあ

【「モンゴル・ハーン」の“世界観”について】

まず問題は劇の設定
「3000年前の匈奴の国の宮廷での陰謀と悲劇」
を扱った作品なんですけど

この「匈奴」という民族

遊牧民族であり
紀元前3世紀には活躍していたと考えられているけど
当初は部族の連合体みたいなもので
紀元前3世紀の初めに
「冒頓」という人物が
匈奴全体の支配者になったとされている

「モンゴル・ハーン」という作品では
帝国の支配者である「ハーン」が中心人物の一人なのだけど
3000年前の匈奴には帝国全体を個人として支配できる人物は
いなかったと考えるのが普通

それから
冒頓は自らの称号を「単于」とした
だから「冒頓単于(ぼくとつぜんう)」という

「冒頓」という言葉の意味や
「単于」の読み方については
いろいろ面白いことがあるのだが
例によって長く長くなるので
涙を飲んで割愛


「ハーン」という称号名に戻るけど
古い発音は「カガン」で
紀元前3世紀ごろから活躍した「鮮卑」など
いくつかの民族が支配者(王)にこの称号を用いた

いったんは途絶えていた称号だけど
モンゴル帝国の2代目の支配者だったオゴデイが
復活させた

オゴデイが「カガン(ハーン)」の称号を復活させる直前まで
モンゴルやケレイト、ナイマンなどの部族の支配者は
「カン(ハン)」の称号を使っていた

オゴデイは部族の支配者の称号である「カン」とは格が違う
全部族の支配者
言い換えれば全世界の支配者の称号として「カガン」を使った
この点
中国では「王」は一国の支配者であり
全世界の支配者として「皇帝」の称号を使ったのと同じ

もちろん全世界を支配できたためしはないけど

考え方として「全世界の支配者」

ちなみに
今では「チンギス・ハーン」ということも多いけど
チンギス自身は「チンギス・カン(ハン)」と自称していた

【「モンゴル・ハーン」の“民族史観”について】

さてさて
「モンゴル・ハーン」の劇名には
「モンゴル=匈奴」という考え方があるわけですね
今のモンゴル人も
「匈奴はモンゴルの祖先」と考える人が多いけど
学問の世界では
まだそうは言いきれていません
そもそも
匈奴の原点は「遊牧民族の連合体」
なのだから
単一民族であったかどうかも分からない
中央アジアの草原地帯にはもともと
モンゴル系、チュルク(トルコ)系
さらにはイラン系の民族もいたし
部族が大移動してしまう
てなことがあった

タクラマカン砂漠の東端にあった楼蘭で出土したので
「楼蘭の美女」と呼ばれるミイラがあるのだが
外観からも遺伝子からも
「ヨーロッパ系(コーカソイド)に近い」とされている

まあ
とてつもなく広大な草原で
馬という「高速移動手段」を使いこなし
さらには
農耕民族のように
「先祖から受け継いできた農地を死守」
てなこともしなかった民族が入り混じって住んでいるのだから
100年たったら違う民族が住んでいた
てなことも珍しくない

だから
「モンゴル人の主要な祖先の一つが匈奴の人々」
とは言えても
「モンゴル人の祖先が即、匈奴」
と言えるような単純な話ではないわけですよ

【「モンゴル・ハーン」の“表現”について】

「モンゴル・ハーン」の出演者は
総勢で30人ぐらいはいたかなあ
よく見ると
細かい工夫もかなり多かった
例えばハーンが愛する妃を殺さざるを得なくなったシーンでは
大きな布の上に妃がいたりした
これは
当時のモンゴルの習慣の
「高貴な人物を殺す場合には刃物は使わない」
を象徴する演出だったと思う
(袋に入れるなどで窒息死させた)

それから一人の人物の感情を表現するために
その人の後ろとか周囲の人物を踊らせたりした
この工夫も起こ白かった

まあ
「これはよい」と思えるシーンも多くて
面白かったし
照明の使い方もよかった

ただなあ
肝心の踊りがなあ

モンゴルの伝統舞踊の方法に加えて
新しい動きも大いに取り入れていた
それはよい

ただなあ
何人かの踊り手が同一の動きをするべき場面で
動きに妙にばらつきがあるのですよ
「ダンスのアンサンブルがよくない」
などと言われる現象

もともとモンゴルの民族舞踊って
集団で踊る場合にばらつきが結構あるのですよ
ここでいう「民族舞踊」って
完全に伝統的な踊りだけじゃなくて
現代的な要素を取り入れた「プロ」による踊りも指します

「民族舞踊」の場合
動きに多少のばらつきがあることで
かえって
モンゴルらしい伸びやかさが出て
雰囲気が盛り上がったりするけど

「モンゴル・ハーン」では
集団で一人の人物の感情表現をするシーンで
ばらつきが目立ったりしたので
「なんか違うなあ」と思ってしまった

それぞれの踊り手の動きがばらけていてもよいシーンもあるのだけど
場面によっては
「ここは 動きをビッチリと合わせてほしいなあ」
と思うところがあったのでありました

【「モンゴル・ハーン」に登場した“楽器”について】

でもって
舞台上には馬頭琴も登場した
本物の楽器かどうかは分からなかったけど
普通に使われている馬頭琴の外観をしていた

これも
「むむむむむ」なのでありました

馬頭琴は弓で弦をこすって音を出す
擦弦楽器の一種なんですけど

いろんな民族のいろんな擦弦楽器を見ても
ほとんどの楽器は弓として
馬の尻尾の毛を使います

でもって
言として用いる「糸」としては
中国文化圏では主に絹糸を使いました
西洋では羊の腸を使って弦を作りました
現在ではナイロンとか金属の弦もよく使います

でもって
馬頭琴の場合には弦にも馬の尻尾の毛を使う
これが一大特徴であるわけです
つまり

「馬の尻尾の毛を使う弓で馬の尻尾の毛で作った弦をこする」

です

でもって
「弦として馬の尻尾の毛を使う擦弦楽器」

相当に古い出土品があるので
「3000年前の匈奴」で使われていたとしてもおかしくないのですけど
問題は舞台に出てきた楽器の胴が正面から見て「台形」をしていたのですよ
この「台形型の馬頭琴」が普及したのは
中国の王朝で言えば
「明朝の後期から清朝の初期」
と考えられています

それ以前の楽器の胴は
西洋梨を半分に切ったような形だった
なんでそんな形だったかと言うと
もともとは大きな木の塊をくりぬいて
楽器の胴を作っていたから
と考えられています

実は
モンゴル人は木材をそれほど使わなかった
木材加工技術の発達も相当に遅れました

そもそもモンゴル人にとって
木材は手に入れにくかったわけです
いつも放牧をしている大草原には
木が生えていません

森林に比較的近い場所で放牧をしているならば
春や秋の移動シーズンに森林に立ち寄れたかもしれない
そうでなければ
交易を通じて入手するしかない

だから
モンゴル人が古い時代から使ってきた木製品は
とても限られています

木椀や匙
移動式住居のゲルの骨組み
それから馬の鞍と鐙ぐらいかな

木椀や匙は木の塊をくり抜いて作ります
ゲルの骨組みは木の棒
要するに木板は使っていないのですよ
馬の鞍の前後の突起には木板をつかいますが
それほど大きくないし
加工が難しい薄い木板でもない

つまりモンゴル人の間では
木板を作る技術がなかなか発達しなかったのですよ

今のゲルには「アブダル」と呼ばれる
割と大きな物入れ用の木の箱が置かれていますけど
アブダルが普及しはじめたのは
18世紀の後期とされています

でもって
「台形型の胴」の馬頭琴ですけど
木の板を組み合わせて作ります
だから出現が遅かったわけで
3000年も前の匈奴の時代に
「台形型の胴」の馬頭琴があったとは
とても思えないわけです

【「モンゴル・ハーン」の“結末”について】

少なくとも私には「ピン」と来ませんでしたねえ
「だから これから どーなるんだ」
と言いたくなってしまった

まあ
これは完全に私個人の感想で
人によっては
「余韻が残る 想像の余地をあえて設けた」
と思う人もいるでしょうし
ここでいろいろ書いてしまうと
「ネタバレ」になってしまうから
このあたりで
やめておきますけどね