ふと思い出した 台湾社会の“亀裂”を垣間見た | 如月隼人のブログ

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1990年代のことでした
今となっては大昔のことですよね

ある台湾の高官が来日して
事実上の「お忍び」で日本観光も楽しまれた
私はその際の通訳兼案内人を依頼されたのですよ

今となってはどういう経緯で依頼があったのかは
まるっきり忘れてしまったのですけど
とにかく富士五湖方面あたりの旅に
お供した

その台湾高官は
その後に廃止されてしまったけど
大陸関係のちょっと特殊な事情を扱う中華民国の部門の
(といっても実際の活動はほとんどしていませんでしたけど)
トップで
かなりのご高齢でした
ご夫人と同伴の「息抜き」の旅
でもって30歳ぐらいの女性秘書も同行していた

私は当時
台湾についてそれほど知識もなかったので
あまり気にしてはいなかったのですけど

その高官はとても恰幅のよい体つきで
動作もゆったりとしていて威厳もありました

今思うに
典型的な国民党高官だったのでしょうね
ただ
私に対して偉そうにすることはなく
割と気軽に私に話しかけて
質問をしたりする
そんなお人柄だったと記憶しています

でもって
その秘書の女性はとにかくちょこまかと動く
自分のボスに対しては
「抜かりのない仕事」をすることをモットーにしていたようで

私に対しても
とにかくちょこまかと要求をしてくるのですよ
まあそれが彼女のお仕事と理解できるので
私が不快を感じるようなことはありませんでしたけど
「いろいろうるさいなあ~」と思うことはありました

移動手段は高級乗用車でした

でもって
その秘書の女性は「ボス」の目の前でも
私に対してあれこれと言うので
「ボス」としても
ちょいと気になっていたのしょうね

中央高速のどこかのパーキングエリアで休憩して
秘書の彼女が一行からちょいと離れた時に
高官先生が私に対して言うのですよ
「彼女がいろいろと面倒なことを言っているけど
理解してやってほしい
仕事に対して真面目なのはよいのだけど
性格がちょっと変わっているんだ
というのは
あれは本省人なのでね」


本省人とは国民党が台湾にやって来る前から
台湾に住んでいた人のことです

うううむ
そのときも多少は「はてな?」と思ったのですけど
今では割とはっきりと理解できます

その高官は1990年代に
すでに70代の後半ぐらいの年齢にはなっていました
だからまず間違いなく
国民党が台湾に逃れた際に
大陸からやって来た人

それも
台湾に来る前から国民党内でかなりの地位があった人でしょう
国民党の一員として台湾にやって来た人の中でも
身分の低い兵士なんかもいたわけで
そう言う人がその後に
政府の要職に就くなんてことは
ほとんど考えられませんからね

さてさて
その高官の目に映る台湾社会とは
大陸からやって来た自分らこそが「普通の人」で
それ以前から台湾に住んでいて
台湾人の感覚を持つ人は
「なんだか変わっている」と思えてしまったのでしょうねえ

もちろんこれは
「大陸人と台湾人」という切り口だけで
理解するのもおかしいわけで

中国大陸内でも
北京人と上海人の発想と感受性
上海人と広東人の発想と感受性
てな具合に
地方によって人の考え方の傾向はそれぞれ違うわけです

でも台湾社会では
「外省人(大陸系人)と本省人」
という切り口の
対立構造と亀裂が生じやすい
ということだったのでしょうかねえ

ただしその後の経緯を聞くと
台湾では世代交代が進むにつれ
外省人と本省人という二項対立は
ほぼ解消されたそうです

まあ日本でだって
「お江戸に三代住んで初めて江戸っ子と言える」
てなことを言いますからね

台湾では
本省人系の家で生まれた人は
若い人ならば「三世」かそれ以下の世代ですから
すでに「台湾っ子」全体としての気質が確立している
ということでしょう
-------」
写真は1978年から1988年にかけて中華民国総統を務めた蒋経国氏

上記の話と関係があるわけじゃありませんけど
私の印象に残っている「高官」は
こんな雰囲気の人でした