内モンゴルの草原で日本人女性1人が行方不明に | 如月隼人のブログ

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例によって中国に留学していた時期の話なんですけどね
時おり 日本から友人知人が訪ねて来ることがあります
留学生をガイドに使おうとの魂胆です

まあ いいんですよ
当時の中国と日本では物価感がずいぶん違いますからね
食事なんかをおごってもらえるのですけど
貧乏留学生がそうはたびたび口にできない高級料理とかにも
ありつける

まあ
友達だったら無料でガイドをするぐらい
当たり前ですけどね

でもってある年の夏
日本からTくんとHさんがやって来た
Tくんは大学での私の同級生ですけど
いろいろワケあって私よりも年上
Hさんは女性で私より10歳ぐらい年上

どういう関係かというと
日本で中国音楽のアンサンブルを組んでいた仲間でした

さてさて
私が住んでいた北京市内をひと通り観光したあとに
内モンゴルに行く計画でした

でもって
二人を内モンゴルまでお連れしたわけです
二人は当然ながら
「草原を観光したい」との希望でした

これが結構難しいのですよ
都市部の観光ならタクシーを使ったり
バスとか地下鉄もありますからね

この時の内モンゴル行きで拠点にしたのは
フフホトという自治区政府所在地で
それなりに大きな都市ですけど
草原観光をするとなれば
普通なら旅行社を通す

ただ
かなりの料金がいりようですし
私も料金を請求される

でもって中国で身に着けた知恵
知り合いを頼る

私の知り合いのマンダホというヨーチン奏者です
ヨーチンとは漢族で言えば揚琴(ヤンチン)という楽器で
東欧なんかでも同系統の楽器が使われて
ツィンバロンと呼ばれています

そのマンダホのお兄さんは警察で運転手を務めていた
今じゃ全然違いますけど
当時の中国では自動車の運転は特殊技能で
運転手はかなりの「高級職」でした

マンダホはかねてから私に
自動車で移動したい時には声をかけてくれ
兄貴は警察の車を自由に使えるから
何とかしてやるよ
と言っていました

そこでマンダホに連絡したわけです
午前中でした
するとマンダホは
「まず一緒に昼めしを食おう」と言い出した
ということでマンダホが指定した店に行ったわけです

するとマンダだけでなく
その運転手のお兄さんもいた
警察の制服を着用していました

でもってそのお兄さんは
「申し訳ないが 本日は使える車を公務で使っている
草原に行くのは明日にしてくれ
明日からだったら数日は車をつかえる」
と言いました
(警察の公用車なんですけどねえ)

ということで
「じゃあ飲もうか!」ということになりました

盛大に飲んだなあ
中国に行ったことのある人なら知っているはずですけど
中国でよく飲まれているのは「白酒(バイヂウ)と呼ばれる
伝統的な蒸留酒

今では度数が低い物が多いのですけど
当時は50度以上あって当たり前
60度以上のものも
けっこうたくさん出ていました


「白酒」は標準的なもので
1本に500ml入っている
それをストレートでぐいぐい飲む

Hさんは飲まないので
私とマンダホとマンダホのお兄さんとTくんで
「白酒」を5本も空にしてしまった

するとマンダホのお兄さんにポケベルが入った
携帯電話が普及する直前の時期でしたからね


お兄さんが電話をしに行った
で戻って来て言うには
「今日は自動車を使えることになった」
ということで
「今から草原に行こう」と言い出した

でもお兄さんも相当に酔っている
「でも酒を飲んじゃいましたから」と言うと

「大丈夫だ オレは警察の人間だぜ」と言いだした
いやいや
捕まるとかそういうことじゃなくて
危ないに決まってる

そこでそのことを言うと
「大丈夫 草原なら道をはずれても草原だ
交差点なんかない
そのまま進んでいけばいいだけだ」
てなことをいう

うううううむ
マンダホとお兄さんはモンゴル族ですけど
面子を大切にするのは漢族と同じだしなあ
ここで断ったら
「オレの腕を信用しないのか オレの面子をつぶしたな」
てなことになって
面倒だ

ということで思い切って草原まで連れていっていただくことにしました
マンダホのお兄さんがいったん警察に行って乗って来た車は
ジープのパクリみたいな自動車でした

でもって
観光用のゲル(モンゴル式のフェルトのテント)がある場所まで行きました
草原ではナーダムというモンゴル人の夏祭りの用意をしていた場所があって
警察官に停車を求められて
「ここから先は今は乗り入れできません」と言われた
マンダホのお兄さんは
「オレは警察の者だ 必要があって日本人を運んでいるんだ
ここを通せ」
てなことを言い出した

停車を求めた警察官も
「いいでしょう」と通行を許してくれた
(ゆるいなあ)

でもって
それから後のことはよく覚えていません
要するに
酔っぱらって寝てしまったのでした

ただ
日が暮れかけてから宿営地に着いたことは覚えています

ここで問題発生
かなり混んでいて
ふだんは使っていない汚いゲルしか残っていない
という状況でした

それはよいのですけど
布団もない
というのです

こりゃあこまった
モンゴル草原は典型的な内陸性気候で
夏でも夜になると気温がぐっと下がります
だいたい関東地方の11月ぐらいの感じかなあ
これは厳しいなあ

全員で雑魚寝したのですけど
寒くて仕方ない
ゲルの中を探したら
布団はないけどシーツをたくさん置いていて
それを体にかけて寝たのですけど
そんなことで寒さを防げません

でもって
朝もかなり早く目が覚めた
それはよいのですけど
Hさんの姿がない

最初はトイレにでもいったのだろうと思ったのですけど
ずいぶんたっても戻ってこない
当然ながら
だんだん心配になってきました

実は宿泊場所の草原は
状態がかなり悪かった
雨が降った時に水が流れて大きな溝が
ずいぶんたくさんできていました
深さが1メートル以上ある溝もありました

草原ならば遠くまでよく見えるはずですけど
溝のなかに入ったら周囲から見えない

夜はとにかく冷えますからね
夜中にトイレに出てきて戻ってこれなくなったのなら
一大事だ
「凍死」なんて言葉も頭の片隅をよぎる

マンダホとお兄さんは
それほど心配していないようで
事情を知ってもまだ寝ている

私とT君は気が気じゃない

「Hさーん! いますかあ!?」なんて大声を出して
探しました

出てこない

私とT君はゲルの前で相談しました
「どうしよう?」
「マンダホのお兄さんを通して警察に捜索してもらうしか
ないんじゃないか」
てな具合に

すると背後からいきなり
「どうしたんですかあ?」と声がした

Hさんでした
自分を呼ぶ声で目が覚めて
やってきたそうです

話を聞くと
夜中になって寒くてどうしようもない
それでもって
宿泊場所まで来たジープでは後部座席に座っていて
そこに毛布が置いていたことを思い出したそうです

宿泊していたゲルから車まで
100メートルぐらいはあったかな
車の所まで来てみると
ドアに鍵はかかっておらず
車内入ると毛布があった
それでもって雑魚寝をしていたゲルより
少し暖かい感じがした
それで
そのまま車の中で寝ることにしたそうです

人騒がせだなあ

まったくもって
肝がつぶれたぜ