投稿者はフランス在住の著述家で「境界人の立場でフランスと日本の相違研究」
をしているとのこと
「複数の神の存在」が
「みんなを尊重するという論理構成の構築のベースになる」
との主張
確かにそう言う面は濃厚にあると思う
この投稿で決定的におかしいと思うのは最後の1行
「これがほんとうに世界では特別な概念」
要するに一神教の発想と多神教の発想の違いを言っているのだけど
「世界では特別な概念」というのは
どういうことなのだろう
例えば中国だって多神教の世界で
日本と同様に実在した人物を「神様」にすることは多い
それからインドのヒンズー教も典型的な多神教
仏教はやや特殊だけど土台にあるのは多神教の世界観
アフリカの場合
現在ではキリスト教とイスラム教が主要な宗教だけど
特にキリスト教の場合には多くの場合が
植民地支配されたことで受け入れた宗教なので
それ以前の「多神教の感覚」はかなり濃厚に残っていると想像できる
だから多神教の感覚を
「世界では特別な概念」
と安直に言うのは間違っている
投稿者は日仏の相違の研究に取り組んでいるということで
それはそれで価値ある仕事と思うけど
頭の中に「フランス(欧州)と日本」しかなく
それが「世界全体」と思っている
もちろん
はっと我に返れば
「そういえば中国もインドもある」
とは気づくのだろうけど
意識の底では
世界と言えば西洋と日本しかない
それじゃ困ると思うのだよなあ
かつてはそういう考えに陥る日本人も多かった
私は子供のころ
小学館が出していた
「世界の大音楽」という
割と分厚い解説書とレコードがセットになった
たしか30巻ぐらいのセットを
親に買い与えてもらった
あるときふと気づいたのだが
「世界の大音楽」と言っても
西洋音楽だけじゃないか
と
今では「世界の音楽」と言えば
要するに「ワールド・ミュージック」を指すわけで
要するに世界各地の民族音楽を意味する
要するにかつての日本人は
日本のことと西洋のことだけを考えていればよかったわけで
要するに「西洋に追いつく」ことが目標だった
今でも西洋から学ぶことはとても大切だけど
「西洋に追いつく」ことを主たる目標にするのは
やはりおかしい
「世界にはいろんなものごとがある
世界にはいろんな考え方がある
世界にはいろんな文化がある」
を大前提にして
ものごとを見て
物事を考えねばならない
考える対象を西洋と日本だけに限定してしまい
西洋になくて日本にあるものについて
「世界では特別」
と言い切ってしまうのは
かなりヤバい感覚だと思う