「ベジェの貴婦人」
身に余るお誘いでサプライズゲストと言ってわたしを呼んでくれた。
歌った曲はシャンソン「ベジェの貴婦人」
練習を始めて人前では初めて歌った曲だ。
ヨーロッパの各地に散見されるたくさんの古城は、言葉もなく昔の歴史を物語る。
その地域ではその古城の歴史がしめやかに語り継がれているのだとは思うが、周遊して歩く旅人はその一つ一つの歴史を知る間もなく次なる旅程に着くのだ。
どの地の古城も、ここぞという選ばれた場所に堅固な要塞を築いて建てられている。
堅固な要塞がある・・ということは、どの時代も城をめぐる戦いがあったということがわかる。
日本の城も外堀があり内堀があり攻めてくる敵軍に立ち向かうための要塞や迷路が設けられている。
ベジェとは、フランス南西部、地中海に面する人口7~8万の街だ。
その城のあるじも攻め寄る敵軍との戦いを避けるわけにはいかなかった。
城には家族もいただろうに、幸せな日々を夢見て建てられた城だったのかもしれない。
主が戦いに出た後に残された美しい妻や家族・・。
不安と恐怖の日々だっただろう。
しかし、戦いから帰ってその城のあるじが見たものは、悲しい光景だった。
美しい妻があろうことか男に狂い恋に溺れていた。
あるじはそれを見て再び戦いのために城を出て行った。
そのうちに時が過ぎ、城の貯えもなくなり緑の木々も色あせていった。
そして誰もいなくなった・・。
悲しい終末ではある。
城と戦いは切り離すことのできないセットのようなものだったのかもしれない。
石造りのためにいつまでも形をとどめその歴史が語り継がれているのかもしれない。
ベジェの古城もそういう言い伝えがあるのかもしれない。
それが今は、「ベジェの貴婦人」というシャンソンの中に歌われているのだ。
そこでそういう話をしながら語るように歌っていく。
ミッキーさんのギターが状況を物語るように哀愁の音色を奏でてくれる。
聴く人に伝わらない歌は歌っても意味がない。
たった一曲ではあったが、自分には十分すぎることであった。
一曲のインパクトも侮れないのだ。
決して沢山過ぎない曲に対する言葉でのアプローチ・・もうそこから音楽は始まっている。
一挙手一投足から、もう音楽は始まっているのだ。
聴く人たちはミッキーさんのファンで、フォークソング好きなかたがた。
そんな人たちがシャンソンをどうとらえてくれるのか・・考えてみれば自分自身は生きていく糧のように感じているシャンソンだが人々の間ではマイナーな存在だということもある。
マイナーだが始めるとやめられない魔法のようなところもある。
お客さんは静まりかえりシーンとなって私の言葉を聞いている。
そう言う時間は私の至福の時間だ。
聞き入ってもらえる・・演奏をする側にとってこれ以上の幸せはない。
この一瞬のために私はすべてをかけていると言えるかもしれない。
沢山ありすぎて整理に困る譜面を見て、どれをとってもいい曲ばかり ・・・。
この頃は年齢を思う時、この曲を生きているうちにまた晴れの舞台で歌うことがあるだろうか、というような思いがある。
千曲にも余るマイ譜面たちもページの中で出番を待っているような思いになる。
あの曲も、この曲も・・。
今年は自分は歳女なので、願いは「上り龍のように空を翔けよう」なのだ。
しかし、翔けすぎてあの世まで飛んでは行かないように・・まだ少し死にたくない思いが残っている。
そういうことを言って「今84歳です」というと会場にどよめきが湧く。
次なる話へと進む。
今から歌おうとしている曲への大切なアプローチ。
話のなかでも、もう「ベジェの貴婦人」が進行している。
そう思いながら今から歌う曲に最高の光が当たるように話を進める。
シャンソンは3分間のドラマ
そのドラマのヒロインの心になりきっていく。
男の心、そして女の心。
その両方の心を踏まえて歌っていく。
ネット上には「反戦歌」と書いてあったりするが、そういう色分けは私の場合どうでもよくてドラマの中の愛を歌う。
地球上には今でもいくつもの戦いがあり、数多くの翻弄され苦しむ罪なき民衆がいる。
そういう悲惨な状況もしっかり踏まえて歌う。
3分間のドラマの中に実に多くの想いを載せて歌うのだ。
聞き入って下さった満席のお客様の熱気を感じながらのエンディング。
声をかけてくださったミッキーさん、何かと心を寄せてくださる店のオーナー常盤さんそして友人、フォークソング大好きなお客様方。
シャンソンに耳を傾けてくださってありがとうございました。
これもまた私のひとつの里程標となります。