小僧物語(15)御朱印 | 愚僧日記3

愚僧日記3

知外坊真教

私が真別処円通律寺を修行道場として選んだ理由は、時間に制限なく、じっくり行法に専念できることでした。もうひとつの修行道場は高野山にある専修学院です。ここは管理が徹底してて、行者は一斉入堂して一斉退道でした。極端に短く終えて御堂を出ることもできないですが、極端にゆっくりすることもできませんでした。

真別処円通律寺は、一斉入堂ですが、一定時間を過ぎたら、早く終えた者は退堂できました。そして、じっくりやりたい行者は、いくらでもできました。

四度加行の修行の最終段階の護摩法の最初の行法のとき、私は6時間もかかってしまいました。他の金剛界法も胎蔵法も、初回の行法は3時間前後かかりました。

特に金剛界法は、曼荼羅が9つに分かれていて、その一つ一つに描かれている仏や持ち物を観想していきます。そのうち、自分の前後左右に仏を感じられるようになってきました。壮大な立体曼荼羅を感じて、現世の時間も空間も越えていました。

お陰で、左横の障子戸から吹き込んでくる隙間風も感じなくなっていて、左手左耳右足の霜焼けは、その時に出来てしまいました。でも疲労感は全くなく、爽快な気分になりました。そんなゾーン体験は毎回できるわけではありませんでした。ですから毎回観想のイメージを変えてみたりして工夫していました。

この時の体験は、今も残っていて、日々の祈祷法は毎回うしろにいる信者さんを感じながらしています。ひとりでしているときは、仏と対峙して、自分の体に印や真言をあてて、そのときの感じを味わって行法をしています。

そんな心地よい修行体験は、時間に制約があっては充分に味わえなかったと思います。早く行法をしている人からみれば、私のように時間を掛けている行者は、厄介なのろまにしか見えません。時間に制約があると、早く終えたい人に気を遣って、自分の行法を犠牲にしなければなりません。もちろん、時間内に充実した行法が出来る人もいます。でも私は、できるだけ制約のない環境で修行したかったのです。

そんな私の姿を見ていた道場の先生は、私を評価して下さり、昭和55年4月3日の全てが終えた日の日付で、護摩次第に真別処円通律寺の御朱印を捺してくれました。正直そのことで他の行者から誹謗中傷を受けてしまい困ってしまいました。でも、私は意に介さず、自分の行法を楽しみ尽くしました。

 一般参拝者は4月8日にしか招き入れない真別処円通律寺の御朱印です。もらった時はそれほど感じませんでしたが、後にそれは恐ろしくレアな御朱印であることがわかりました。でも、私にとって、最もレアな体験は、真別処円通律寺で四度加行という修行をしたことです。


 もし、今からまたしていいよ!って言われたら、私は入って行法に専念したい気持ちは変わりません。