小僧物語(12)最高の修行道場 | 愚僧日記3

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知外坊真教

 真別処円通律寺で修行中は、2週間の加行と1週間の正行の3週間がワンセットでした。

 その2週間の加行のうちは、3日に一度は峠を越えて高野山の奥の院と伽藍にお参りに行きます。私が修行したときは、奥の院と伽藍を交互にお参りしました。

 行者の多くは奥の院参拝の方を楽しみにしていました。なぜなら、奥の院参拝の方が俗人に多く会えました。若い女性とすれ違う時は、皆わくわくしてすれ違いました。

 男ばかりのむさ苦しい日常生活から離れて奥の院をお参りするときには、前を歩く女性の後ろ姿を見つけると妄想しまくるのです。心なしか歩くペースが速くなります。追いついて抜かしながら、期待は裏切られるのです。そもそも真冬の高野山の奥の院に、若い女性が来るわけがありません。

 そんなパラダイスの奥の院伽藍参拝を終えると、また峠越えをして真別処円通律寺に戻ります。この修行中だけは、高野山が都会に思えたものでした。

 真別処円通律寺は、俊乗坊重源ゆかりの寺です。重源は奈良では大仏殿を復興した中世の星でした。しかし、高野山では説一切有部の戒律を伝えた戒律の僧でした。東大寺は奈良時代の東京のようなものです。そして真別処円通律寺は今も昔も、高野山が都会に思えるほど奥山の山寺で有り続けています。

 真別処円通律寺は、すきま風だらけでした。私は障子戸を左にして修行をしていました。そのおかげで、左手と左耳、そして右の足の指に霜焼けができました。

 手の霜焼けは、印を結ぶと皮膚が破れて赤黒い出血が起きました。右足の指の霜焼けは、布団から足を出すと痛くなり、布団に入れて暖まると痒くなりました。霜焼けの治療は血行を良くするしかありません。風呂に入ってマッサージしまくりました。

 それでも私は真別処円通律寺での修行を楽しみました。俊乗坊重源ゆかりの真別処は、最高の修行道場です。俗界から隔絶された異空間として鎌倉時代から変わらない最高の道場です。