4月5日/庭木の剪定と断捨離 | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

おはようございます。


今朝は晴れ。


空全体にうっすら雲がかかっている、ヴェールをかけたような空。


なのにくもりじゃなくて晴れ、っていうのもなんかよく考えたら不思議だ。


昨日の夜は夢を見た。


よく覚えてないうっすらだけど、ハワイ?かどっかに飛行機で行ってて、帰ってきて、ほどなく又、ハワイに行くって一緒に行ってた多分H?っぽい人と、Yちゃんが言い出し、Hはまあ、(誰かお金を出してくれるスポンサーのような人がいるかんじで)分かるよねー、納得ってかんじで。


Yちゃんも、小さい子供、赤ちゃんがいるのに誰かに預けて又行くと、そのフットワークの軽さに半分羨望の気持ちで驚いてる。


対して私は行きたくても、お金がなくて行けない…、そんな落胆というか、自分をみじめなかんじで思ってる。


中略



雑草を全く生やさないようにするなんてムリな話で。


少々生えてても、それを分かっていて、どれかを突出して大きく育てるなんてことをしないでおけばいい。


中略



心の庭。


庭木の剪定をしてて思ってたんだけど、自分が余分だと思って切り落とす枝葉。


せっかく生えてるものを切り落とすのはなんだか罪悪感もあっていいんだろうかと(最初は)思っていた。


けれども、剪定によって風通しを良くしておかないと、虫が湧く原因にも、病気の原因にもなる。


どの枝を切り落とすかという作業は断捨離に通じる。


自分でいる、いらないを判断して手放す、捨てる、切り落とす。


全てに通じてる、つながっているなーと。


中略



一度切り落とした枝は元に戻らない。


断捨離でも思ったけど、一度捨ててしまったらもう二度と同じ物は手に入らない。


そう思ったらちゅうちょして捨てることが恐かった。


取り返しがつかないことになったらどうしようという恐れがあって、捨てることが恐かった。


剪定も同じ。


中略



捨てる、断捨離によって、本体の木が元気になるということは自分自身が要らないものを全部捨てて、身軽に健康になるということだ。


断捨離をある程度やってしまった後で、今度は庭木の剪定によって、私は身軽になる方法を学んでいっているのかも知れないと思ったら奥深い。