おはようございます。
今朝は雨。
しっとりしとしと風情のある雨。
最近、庭木の剪定をしているからか?(いや、その前からのような気がするけど…)手がガサガサ。
引っ越しの時も手が荒れてガサガサだったけど、あの時は荷造りとかいろんな作業で手が荒れてたのはしようがないなと思う。
あの後きれいになったのに、今になってなぜまた?ってかんじ。
別に市販の洗剤使ってないし、お風呂上がりの保湿もやってるし。
庭木の剪定はまあ、手袋した方がいいよなーと思いながら素手でやってしまってたからそれもありそうだけど、それにしても…ってかんじ。
手の甲が気づいたら小キズが一杯で(次は手袋をしてやろうと思う)そして、シワシワでおばあちゃんの手みたいになってる。
まさかねー、自分がこんな手になるなんて、20代の頃とか思いもしなかったな。他人事で。
私も同じように体が衰えていくんだとある意味驚いている。
バッサリ切られていた庭木が何の木かさっぱり分からなくて、気づいたら今日、なんと、真ん中の木に木蓮の花がついていてビックリした。
そして、こんなにバッサリ切られたにもかかわらず、今年もいつもと変わらず花をつけようとする、この木の生命力にも感動した。
まさか自分が木蓮の木のある家に住むことになるとは…。
子供の頃、通学路でみかける木蓮の花をよく美しいと思って眺めていた。
前の住人の時の全盛期の時はたわわに花が咲いていたんだろうなと想像する。
不思議な縁。
別に木蓮のある家に住みたいとも、庭のある家に住みたいとも思ったことはなかった。
管理が大変だとしか思わなかったし、なにより、私は植物がそんなに好きではない。
家の中の観葉植物も枯らしてしまうくらいの放置飼育。
あ、あとあれだ。虫、虫がついたりするのが嫌だから。
害虫がついて、その駆除に苦労する話もよく聞くし、あとはなにより私は毛虫、芋虫系が大嫌い。
そんな私がどういう訳かこの家と縁ができた。
中略
根っこから抜かれたり、根がダメにならない限り再生する。
その自然の再生力の強さに感動する。
生きるって、生きてるって本来はこんなに生命力があって素晴らしいことなんだとなんだか感動してる。
緑の息吹に感動する。
自然って素晴らしい。
木蓮(マグノリア)の花言葉。(なんか最近、花言葉ばっかり書いてるな)
自然への愛、崇高、忍耐、威厳、持続だって。
中略
思い立ったときにすぐに自分の思うことができる、状況にあるのって本当に幸せなことだ。
この気持ち、心の余裕があることが幸せだ。
夫は私に働いてお金を稼げというプレッシャーをかけてくるけど、私がお金を稼がないとこの家に住めない、将来的に経済状況が苦しくなっていられなくなる、なんてことは絶対にないと思う。
私がこの家をこうやって大切に手入れをしている内はこの家のエネルギーが、そんな私を追い出す、自分のことを大切に扱ってくれる人を追い出すようなことをする訳がない。
中略
別にお金に窮している訳でない。
夫は「将来」が心配でそうしてくるだけ。
その来るか分からない将来のために、今ある幸せを手放すとか絶対に嫌だし、あり得ない。
そんなことで不幸になっていたのが過去の自分。
庭木の木蓮さん