武術や武道にも様々なものがありますが、私が「おお、これは凄い」と興味を持つのは、外観には力感がなく、静かでしなやかで優雅ささえ感じさせる動きです。

 

一見、まったく凄そうにも強そうにも見えない動きを「おお、これは凄い」と感じるのです。

 

一見、凄くない物を凄いと感じるのは、内部感覚を観ているからでしょう。

 

中には数百年の歴史を伝承してきたという武術もあるのですが、迫力や凄さが分かりやすく見えると、私は興味を持てなくなるのです。

 

大工仕事でも書家の動きでも、熟練した技には力感がなく、繊細なはずの内部感覚が自然に無駄なく 全身に 空間に 行きわたる感じになってくるように思うのです。

 

五輪書の兵法の身なりにある「うらやかな表情」の人の動きに本物を感じるのです。

 

現代剣道の昇段審査にも求められるものとは、真逆の方向に興味が尽きないという感じなのです。

 

現代剣道は、兎に角、表面に露わになっている迫力や勢いが求められていますし、試合でも審査でもその迫力が見えないと「気剣体の一致がない」と判断されます。

 

ですから、迫力ある残心をオーバーなくらい第三者にアピールすることが当たり前になっています。

 

しかし、残心こそ「内部感覚」のはずなのです。

 

それを感じられる感性が育たないと観ることができないのが残心のはずだと思うのです。

 

表面に露骨になるようなものは残心というより無駄なアピールでしかないものがほとんどで、残り香のような余韻が残心(「匂うが如く残心を」持田盛二先生)でありたいと思います。

 

筆で書き上げた文字と余白を見るだけで、書いた人の筆運びや心の動きを感じられるようなものが残心だと思うのです。

残心は示すものではなく、醸し出されてくるものだと考えます。

 

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