伊藤ゆかりです。
 
 
 
 
 
 
5月末
実家の、大好きな母方の祖父が96歳で亡くなりました。
 
 
 
葬儀から四十九日までの
七日七日(なのかなのか)法要も数回が終り
 
あれよあれよと言う間に
告別式から3週間・・・
祖父を思い、振り返りながら
思い出すままに書いておきたいと思います。
 
 
 
 
 
以降、呼び方が『祖父』・『じいちゃん』が混同します^^
 
 
 
今から9年前
2012年

祖父、87歳の秋(確か)
陶器製の(いわゆる立ってする)便器が染まる程の血尿から膀胱がんと診断されて
米寿のお祝い出来るかな~って心配してたけど、半年後、無事に親戚一同が集まって盛大にお祝いが出来て
 
次は、祖父が自分でやりたがっていた
祖父の両親の50回忌の法要だねと、
それも無事に出来た2016年春(91歳)


 

じいちゃんの念願叶った~!
よかった~!ほっ♡
と、親族はみんな胸をなでおろした
(ハズ)
 
 
 
でも、それと同時に
これで祖父の気が抜けてしまわないだろうか…と心配したけど、案外大丈夫で・・・笑
 
 
 
でも、その合間合間に
祖父は腹腔鏡手術等を繰り返し
回数的にももう手術は無理だから
対処療法で・・・と言う事を聞いて
 

約4年前には
『じいちゃん余命3ヶ月だって・・・』と母から聞き
はぁ・・・
ついにか・・・と思って覚悟していたら
 
 
 
 
 
 
でも、あれ?
 
 
 
3ヶ月過ぎたよ・・・♡
1年経ったねぇ・・・♡
2年・・・・・アップ
 
 
気付いたら92.93.94歳・・・・
 
 
 
 
 
え??
じいちゃん最強???デレデレ
余命3ヶ月どこ行った?と思った孫の私。
 
 
 
 
 
食欲旺盛で
何でも食べる祖父でした。
 
 
 
 
 
真面目な農夫だから
お米愛が当然あって
 
 
 
ある年、私がご近所さんからお裾分けでいただいたお赤飯が
『コレ痛んでるから捨てなきゃだめだよ~。』って祖父に伝えたんですが
(お腹壊したら困るからね~)
 
 
 
その理由が祖父にちゃんと伝わってなくて
『ゆかりが捨てろって言った』って
後日、母にボヤいてたって話を聞いた事がありましたニヤニヤ
 
 
イヤ、じいちゃん!
あれ食べたらヤバいやつだから!
私も、じいちゃんが一生懸命米作りしてたの知ってるから
お米に対する執着あるよ~
だから、私、お米を雑に扱う人って嫌い真顔
 
 
 
 
 
 
甘いコーヒーも菓子も好きだった。
長年タバコも吸ってたけど、
癌の診断を受けた88歳以降に禁煙してた・・
長年の習慣をその年で自分の意思で止めれるって凄いと思ったポーン
 
 
 
家族から散々
タバコ止めて!と言われてる私の旦那さんは全く辞めれないのに・・・
やっぱり、生きたい!!って思いや意思の問題なのだろうか?真顔
 
 
 
 
 
そんな、余命なんて言われてたっけ?って言う祖父でしたが
私が年に数回実家に帰省すると
年々、やっぱり衰えている様子は感じていて
だから覚悟はしてた。
 
 
 
年に数回、実家に帰省する度、
帰り間際に家族写真を撮る事を私はいつ頃だったか当然の様にしてきました。
家族からは『また~?』って言われようと真顔
 
 
 
祖父母が元気だった頃は実家の玄関先で
それが難しくなって来た頃からは家の中で
しつこい位、定期的に必ず撮ってから帰る様にしていました。
 
 
 
もしかしたら、
これが最後の集合写真になるかもしれないとの思いがあったから。
 
 
 
 
 
2021年のお正月は、退院したてだった祖父の
『静かに過ごしたい』との要望があったり
コロナの事があったりで断念。
 
 
 
 
そして、祖父に会えた最後の帰省は
3月末。
もちろん、色々配慮をしての帰省。
後悔はしたくなかった・・・
 
 
 
この時、私は自分が焼いたシフォンケーキを持参して
祖父にも食べてもらいました。
食べてもらえて嬉しかった。
 
 
 
 
この時はまだ95歳
 
 
 
 
 
祖父の好きなコーヒーと
4月
祖父は96歳を迎えました。
 
 
 
 
おー
じいちゃん!!96歳迎えられたねぇー!
今年も無事に誕生日を迎えた祖父を思って嬉しかった。
 
 
 
 
 
そして、GW前に入院。
 
 
 
今は、入院してしまうと
お見舞いにも行けない世の中。
 
 
 
4月末
母からその報告を受けた時
あぁ、もしかしてと言う想いが募りました。
 
 
 
 
もう祖父の手の血管は硬くなっていて
点滴も打てない状況
医師の診断はもって1週間か2週間・・・
96歳と高齢だし、ある意味大往生。
覚悟はしていた
でも、やはり哀しい。

 
 
 
私は母の事も心配でした
それは弟もそうだったハズ。
5月
この月、私は何度か一人実家に帰省していました。
 
今は、不要不急の外出は・・・と言われていますが
我が家的にこの時の私の帰省は必要な帰省でした。
 
 
 
 
 
5月、1回目の帰省時
実家の敷地内に咲き乱れていた白藤を発見
こんなのいつの間に植えられてたんだ?
知らなった(笑)
 
 
 
 
紫陽花の様な大手毬(おおてまり)
 
 
 
 
 
娘としては母(祖父の娘)も心配だった・・・
当初、母は今回の祖父の入院は今までと同じ感じで
熱が下がれば帰って来る
そんな、一時的って思って送り出したみたいだから
まさか、そのまま余命を言われるとは思っていなかったと。
 
 
そりゃそうだよなぁ・・。
だからこそ、母のが心配だった。
 
 
 
 
 
 
 
そして、1回目の帰省から3週間後
5月、2回目の帰省。
 
 
 
 
 
この時は、普段、母が気になってるけど
自分では出来ない家周辺の整理を娘が頑張った。
汚れるからと
昔懐かし石川国体のマスコットエプロンを付けろと言われた
いつのよ!!笑い泣き
 
 
 
 
 
 
敷地内の不燃物をかき集めてシルバー人材センターに託す。
頼んます!
 
 
 
 
あと、家の中の整理も。
じいちゃん!!
 
 
マッチ、どんだけ貯めとんねん!!
50個以上あるし・・・
なんならライターも出るわ出るわ滝汗
 
 
 
 
 
 
この日は満月だったけど曇ってて見えず。
出来る事ならじいちゃんのお見舞いにも行きたかった。
(無理だけど)
 
 
 
 
 
 
 
そして、2度目の帰省から帰宅して2日後の夜
じいちゃんの危篤の知らせ
 
 
 
5月
3度目の帰省は、祖父を空へ送るための帰省となりました。
 
 
 
 

 
 
そして、本来なら諦めていた
母と叔母
祖父の2人の娘との対面は、かかりつけ医の先生によるご配慮で
会う事が出来ていました。
 
 
 
その対面は、祖父が息を引き取った当日のお昼過ぎの事。
 
 
 
もちろん、会話は出来なかったけど
母や叔母が祖父に呼びかけると、祖父は首を横に振っていたそうで
それは普段はしていない行動だったので
もしかしたら、祖父は母や叔母の声に反応して探していたのか、
『聞こえるぞ』と、祖父なりの意思表示をしていたのかもしれない。
 
 
 
医師からは
『5月中は大丈夫だと思いますよ』って言われていたようですが、
その時の祖父の様子を見た母は
『今までとは違う様子だったし、顔を見て諦めが付いた』と言っていました。
 
 
 
そして、母と叔母が祖父に会えたその日の夜
23時25分
祖父は病院で亡くなりました。
もちろん、看取りは叶いませんでした。
 
 
 
 
なんてタイミングなの。
 
 
 
 
 
祖父が入院した日
『入院やと』と言って
自宅から病院に向かったと言う祖父。
 
 
ソレを見送った娘である母。
 
 
きっと、じいちゃんは母や叔母が会いに来るのを待ってたんだろうな。
そして、頑張って頑張って2人に会えたから
祖父なりのお別れが出来たから
頑張る事を辞めたのかもしれない。
 
 
 
だって、タイミング良すぎだもん。
 
 
 
 
 
じいちゃーん
お疲れさまでした。
頑張ったね
 
 
 
 
 
 
祖父の葬儀には96歳と言う高齢にも関わらず
また、コロナ禍で焼香後はそのままご帰宅願っても構わない中
沢山の方に祖父を送っていただけました。
そして、ご住職様には祖父らしいな・・・と
信仰心の厚い祖父らしいエピソードや
クスッと笑えるお話しを
お通夜の時、そして告別式の時
葬儀後のお礼参りの時にしていただきました(笑)
 
 
 
じいちゃんサイコー!!
やっぱり私じいちゃん大好き~!
私、じいちゃんの孫で良かった~
でも、じいちゃんみたいになれ~ん!
パッとしない孫でゴメンね(笑)
火葬場へ向かう車内で。
 
 
 
 
じいちゃんが一旦入る
大切な箱を持たせてもらいました。
 
 
 
 
本当は、ひ孫達も参列させたかったのですが
コロナ禍ゆえにそれは叶いませんでした。
 
とても残念でしたが仕方がない・・・
他県に住む4人の孫達が参列できただけでも良かったと
葬儀が出来ただけでも良かったと思えました。
 
 
 
葬儀前後、親戚同士で祖父の話しを沢山しました。
哀しいけれど、笑いながらじいちゃんの話しを出来る事が嬉しかった。
納棺も家族の手で出来た
家から見送ることも出来た。
 
 
 
大好きなコーヒーと
祖父が好きそうな甘いお菓子を祭壇に供え
祖父が好きだった庭の加賀つつじの写真をプリントアウトして
コーヒーと菓子と共に棺の中に入れられた。
コレは、祖父が張り切っていた
自分の両親の50回忌法要の時のもの。
 
 
きっときっと喜んでもらえると信じて
孫娘は入れたよー!^^
 
 
 
 
 
 
祖父の告別式の時
私にはとても印象的だった瞬間がありました。
それは、住職が祖父の法名を棺の中に納めた時。
 
 
 
 
あぁ
お葬式ってケジメなんだな
区切りなんだな
哀しいけど、これがあるから
気持ちを整理出来て残された遺族は前に進めるんだなって感じました。
 
 
納棺の時、冷たくなったじいちゃんの身体に触れた時の感覚
弟も私と同じように触れていた。
 
 
 
 
孫の私達を祖父は怒った事あったのかな?
もしあったとしても、全くそんな記憶が無い。
大人しくて
若い頃の写真を見るとハーフみたいにかっこよくて
(その遺伝子はどこに行ったのか・・・)
頑固で
お洒落で
服をたくさん持ってて
持ちすぎな位で
海外旅行で中国にも行ってた
一緒に納屋で農作業の手伝いもした
毎年やって来るツバメのために
納屋にツバメ専用の窓も付けたリする優しいじいちゃん
朝早く5時位には起きて
練炭のコタツで新聞を読んでる横で、私もコタツに入って寝てたりしてた
背は低いけど、背筋をシャンと伸ばして颯爽と歩く姿
私が小学生の時にじいちゃんが買ってくれた真っ赤な浮き輪
実は最近まで持ってたんだよ。
.
.
.
.
祖父を語り出したら止まらない。
 
 
 
葬儀後は、旦那さんや子供達、義父母に甘え
数日間を実家で過ごし、今、私が出来る事を思いつくまま
言われるがまま色々やってきました(笑)
雑処理というやつです~笑い泣き
 
 
 
 
 
こんな作業もしたさ!!笑
 
 
 
 
 
滞在中、1輪しか咲いてなかったバラも
いつしか数輪咲いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
じいちゃんと、ヘルパーさん?看護師さんとのやり取りの記録を目にした。
その光景が浮かぶ。
 
 
 
 
 
お洒落さんだった祖父は、衣類が半端ない・・・・
帽子もこの一角だけでこんなに積んであった滝汗
ズボンも、ベルトもどんだけ持ってるのよー!!って位・・・
出てくる出てくる~笑
 
 
じいちゃん、私の旦那さんなんてさ~
押し入れの半分位しか服もってないよー
笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き
 
 
 
改めて、モノを持ちすぎるって罪だなと
孫は学ばせていただきましたわ!!
グミの実
 
 
 
 
 
告別式から4日後
流石にそう長く家を空けておくわけにもいかない(笑)
自宅へ戻る前に叔母や従姉達と久し振りの外食を楽しみ
お腹ポンポンにして高速へ・・・。
 
 
 
 
の、前に
もう一度母の顔を見に実家へ。
夕暮れの景色がとても綺麗だった
 
 
 
 
 
 
祖父を想いながら
母を想いながら
また、施設に入所してる祖母を想いながら
祖母には今回も会えなかった・・・・
 
帰路についた瞬間の空
 
 
 
じいちゃん!
母と叔母さんの事
空から見守っててね~^^
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
身近な材料を使って作る米粉のおやつ
一緒に作ってみませんか?
米粉ナチュラルおやつアドバイザー/伊藤ゆかり
 
 
 
 
 
 
 
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