『吉例顔見世興行』の感想 12月昼の部 京都四條南座 |   kinuzabuの日々・・・

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京都四條南座で顔見世興行12月昼の部を観てきた。2か月で早くも人生3回目の歌舞伎。今年の顔見世は11月と12月があるからね。

 

 

座席は3階正面2列。やっぱり、サイドより舞台が見渡せる中央のほうがいい。今回は写真を撮るのを忘れてしまった。



さて、最初の幕は、菅原伝授手習鑑から寺子屋。

筋は、寺子屋の主、源蔵は、菅原道真の息子をかくまっているが、それが藤原時平方に知られ、首を渡すように求めれらる。そこに育ちの良い子供が寺子屋に入ってきたので、源蔵はその子の首を切り渡す。松王丸が首を見て、確かにその首と確認し、時平方の大将は首を持って立ち去る。実は、首を切られた子供は松王丸の子供で、道真の子供の代わりとなるよう源蔵の元へ遣わしたのだった。子供が役目を果たしたことで、子供を弔って幕となる。

松王丸が首を見るとき、大夫さんが「ためす、すがめつ」と謡い、そこでわっと涙が出た。母親が嘆き悲しむところも、涙が止まらない。なんという不条理な話なんだろうか。主君のためにはここまでするのか。いや、まいった。

それにしても、松王丸は布団みたいな着物を着て登場するし、時平方の大将玄蕃は左手に座布団みたいなものを持ってるし、歌舞伎の服装には驚かされる。



次の幕は、鳥辺山心中。

筋は、京都祇園のお茶屋にいるお染は江戸から来た旗本菊池半九郎が江戸へ戻ることになったことを嘆く。お茶屋で友人と飲んでいるところで、友人の弟源三郎が現れ兄がお茶屋遊びをするようになったのは半九郎のせいだと罵声をあびせ、怒った半九郎は源三郎を切ってしまう。これからのわが身を嘆き、思案にくれる半九郎。そこにお染が心中しますといい、二人で鳥辺山へ向かう、というもの。

すみません、この話には共感できませんでした。なぜ心中になるのか全く分かりません。



三番目は、ぢいさんばあさん

筋は、美濃部伊織とるんは仲の良い新婚の夫婦だが、伊織が京都に1年出仕することになった。伊織が京都で刀を買い、友人にお披露目をするが、刀を買うお金を貸りた相手をトラブルの末切り捨ててしまう。伊織は別の藩で軟禁、るんは奉公に出る。そして37年後、自分の屋敷で再会し、喜び合う。

伊織役の仁左衛門さんがすばらしい。舞台に現れるだけで、場が華やぐようだ。るん役の時蔵さんもかわいらしくて二人の仲の良さがにじみ出ていた。最後の二人の再会には目をはらしてみていた。

なお、下嶋役の芝翫さんも憎らしい役作りが良かったと思う。


最後は、恋飛脚大和往来から新口村

筋は、11月に演じられた封印切りの続きで、客の金に手を出して故郷の新口村に逃げてきた忠兵衛と梅川。実父孫右衛門を見つけるが、会いたくても会えない。雪で滑って花緒が切れた孫右衛門の元へ梅川が走り寄り、介抱するうちに、孫右衛門はこれが忠兵衛の連れてる女と気づく。せめて一目でも、と言われても、孫右衛門は会わないというが、目隠しすればいいと梅川に言われ、忠兵衛と会う。涙ながらに再開した後、二人はまた逃げていく

なお、新口という地名は、奈良県に住んでいる人なら、結構な割合で知っていると思う。近鉄橿原線の新ノ口駅は奈良県運転免許センターの最寄駅なのよね。

それはともかく、幕が開いたと思ったら、舞台全体が白い布で覆われ、この布が落ちると、新口村の雪景色と、舞台中央にいる忠兵衛と梅川が見えた。絵だねこれは。浮世絵か。

この劇はほとんどが浄瑠璃で謡われ、せりふも浄瑠璃に合わせて話をし、特に梅川役の扇雀さんが踊るように演技する。大夫さんは雄弁だし、梅川は美しい。

父孫右衛門役の雁治郎さんの台詞回し、演技がすばらしい。目を隠して忠兵衛と手を取り合うところなど、涙なくして見られない。



以上、4幕。堪能した。悲しい物語ばかりで涙でいっぱいになった。今回の4幕はどれも、浄瑠璃のもとで劇が進められていった。特に新口村は、浄瑠璃が大きな役割を果たしていて、特に印象に残った。セリフだけではないのね、歌舞伎って。

今回、11月昼の部、12月は昼と夜両方を観たけれど、初心者なりにとても楽しめたと思う。歌舞伎の世界は広くて奥も深そうだとも思った。この世界にはまるのもいいかもしれない。まあ、そのためには、またいろいろ観ないとね。