2015年11月1日(日)大阪のフェスティバルホールで開催されたプラハ国立歌劇場公演、ヴェルディ作曲歌劇《椿姫》を観てきた。
今回の公演は、配役はヴィオレッタ役のデジレ・ランカトーレのみ知った人で、他は全員歌劇場のアンサンブルなのかな?
最近、タイトルロールだけ名前のある歌手を呼んでオペラの来日公演をする外国の中小歌劇場が増えているような感じだが、まさにそれ。
でも《椿姫》の音楽に飢えているように感じていたので、直前になってチケットを入手。
で、結果はどうか?
まず、歌手から。歌手は総じて良かった。
ランカトーレのヴィオレッタは期待通り、いや、期待以上のヴィオレッタ。1幕ラストも迫力あったし、最後まで力強さは衰えることがなかった。
アルフレードを歌ったブリスツェンは、突抜けることはないけれど、必要十分な感じで好感。
一方、ジェルモン・パパのセムさんは輝かしい低音を朗々と響かせて、大変すばらしい声を聴かせてくれた。
オケは、弦が弱いのが残念。弦五部が10-8-6-4-4で、しかも非力なので、金管にかき消される。演奏は予想通りというかゆるい部分があり、合唱も同じ。
指揮は鈍重。いつの時代の音楽かと思った。もっと軽やかに行ってほしい。
演出は、半円形の広間をアレンジして各幕の舞台を作っていてそれなりにきれいだった。
序曲のときはサロンの床に札束がばらまかれていて、そこで札束を舞い上げて浴びるヴィオレッタがいた。
1幕は、幕が開くまでに札束が取り除かれて、サロンに人が集まる。1幕ラストは何故かアルフレードが戻ってくる。
2幕一場は横から光が入り、落ち葉が柔らかい風景を作っていた。ここが一番きれいだったかな。二幕二場はまたサロン。
3幕は半円形を形作るピースが外れて、落ちぶれた雰囲気。ヴィオレッタは最後に写真ではなく花(椿?)を渡す。
とまあ、演出はいい線いってるんだけど、緊張感がもっとほしかった。
ということで、全体的な印象は、そんなに悪くはないんだけど、十分満足できなかった公演だった。
歌手はいいけど、それ以外のどこもが何か足りない、隔靴掻痒という感じといえばいいか。そして、公演のエネルギーみたいなものがあるとすれば、それが弱いという気がした。
大好きな《椿姫》を観られたのに、ちょっと残念だった。