昨日ヘンデルの「エイシスとガラティア」のUstreamを見た。
すばらしい演奏で、こんな演奏をインターネット生で見られたことに大変感激した。「エイシスとガラティア」も日本ではなかなか演奏機会のない曲なので、こういう試みは大歓迎だ。これからもいろんな演奏会のストリーム配信をお願いしたい。
インターネットによるストリーム配信を見て以下の意味があると感じた。
1.放送の主体を変えた
放送という放送局が選択したものを視聴するのではなく、演奏側が配信したくて行うものを視聴できる。同じ音声、画像でも、その意味が全く異なる。
2.視聴者同士のコミュニケーション
ストリーム配信を見ながら、見ている人同士がツイッターなどでコミュニケーションをとることができる。
上記1は、ネットワークによって放送の主体が放送局側から発信者側へ変わりつつあることを明確に示している。
配信が増えることで、情報の取捨選択が必要になるが、それは、検索やツイッターなどのインターネット情報で補完できる。
2は、相互に意見を述べ合うことで、演奏に関する知識を得たり、他の人の感想を聞いたりしながら、視聴できる。さらに、見ている人の意見で、カメラの位置を変えたり、音声のミキシングを変更するフィードバックをかけることが可能になる。
1も2もこれまでにはなかった形態であり、新しい文化が生まれたのである。
インターネットが盛んになって10年以上過ぎたが、ここまでの大きなイノベーションを感じたのは、私は初めてだ。
インターネットに付いていろいろなメディアを試したと思っているが、ストリーム放送ほどインターネットの長所を生かしたコンテンツは他にないと思った。
私は、新しいツールが生まれて、それが十二分に生かされるまで10年かかると思っている。ノーベル賞だって発見から受賞まで20年かかる。おそらく最初の10年は実用化にかかり、その後10年で広まっていく。
インターネットは、これまではコミュケーションツールでしかなかったが、これでやっとその実力が発揮される時が来たのではないだろうか。
なんかワクワクしてきた。