片腕の夢は日常 -34ページ目

片腕の夢は日常

ひそやかに、高らかに、ゆるゆるに、くるくるに、
fromここtoうちゅう

https://note.com/kataude/n/n79fb51af1d2e

 

昨日から体調不良。
夜中も何度も目が覚めて、イテテテとなったり安定したかと思えばオエッとなったり何がなにやら。
日中は熱が出たけれど、風邪っぽくないし・・・。

見たことも感じたこともない優しさにとまどう。
受け取れず、間違える。

経理に出す請求書を絶対に今日中に仕上げなければいけないので
出社は絶対。
病院で薬をいただくことにする。
ダル重な身体を引きずるようにして外出。
背中重いし痛いし、なんでもいいからどうにかして。
という感じで病院へ。
(当たり前だけれど)患者わんさか。
病院へ行くといつも「調子悪くて当たり前」というタイトルを思い出す・・・・・。
診断は
喉が赤い、胃腸の風邪、ストレス、睡眠不足、疲労。
後ろ3つが免疫力を落とし、その結果、風邪をひくということか。
身体はなんでも知っていて、うまくできている。
薬をいただき飲んだら少しラクになった。
風邪でもなんでもいいが胃腸の不快さえよくなればいいと思っている。
胃腸のムカつきが一番いや。
背中の痛みと重みはデフォ。

出社して仕事。
昨日は応援している多楚可"れカンターレの関西遠征情報が解禁されたので
それについてブログも書きたいが
まずは請求書だ。
仕事に集中していると体調のことを忘れる。
ランチはスープのみ。
もうちょっと食べられそうだけれど我慢。
しかしダルい。

ああ、でも電力会社に電話だ。
「20Aでは足りないので少しあげてください」
「お客様のご自宅は15Aです」
そうだったのか・・・・。
どうりで
エアコンとティファールでバチン、になるはずだ。

明るい光はどこに。
見えてはいる。

人は私の想像以上に自分とは違う。
見えているものも考えていることも。
他人のひとつの言動をとってみても
狭い自分のわかる範囲での「こういうことだろう」は違うことがある。
「こういうことだろう」の傲慢さったら。
「私とは違うけれど、でもこういうこともあるのだろう」のさらに範囲外のものを持って考えているのが他人というものなのだ。
その前提に立った上で、一生懸命、理解しようとする。
まさかこんな風に思っているとは、ということが最近本当に多い。
人は私の想像以上に自分とは違う。
愛する人でもそうだ。
同じ色を見ているようでいて、それは本当に同じ色なのか?ということだ。
ではこの人の赤はどんな赤なのか?と思いを馳せる、馳せる、馳せる。
想像力はこういうところに使うんだわ・・・。

やっと見えてきたものもある。
まだ見えないものもある。

気を使ってほしくないと思うけれど、
そんな風に思うような気づかいを相手だって私にはしてほしくないだろう、
とかそういうことも考える。
そもそも気づかいというものだって
どんな方法で何をするか、は人それぞれ違うし
だから見えるものの奥にある心を知ろうとしなければ。

同じものを見つけようとしながら違うことを知り、
違いだらけの中から同じものを見つける。

思いを馳せること、そして対話をすること。

思いを馳せるために、自分を消してみることも
対話をするために本音を開示することも
なんと難しいことか。

なにも伝えられないから、聞いてももらえない。
心を開かないと開いてもらえないではないか。
それでもわかりあいたい。
決してあきらめない。

請求書が終わったら家に帰ろう、と思いながら午後をむかえる。
知らなかった優しさに慣れたい。
優しさを受け入れるということは、自分を受け入れるというとでもある。
自分を愛し受け入れることができなければ
他人を愛することなんかできないんだ、という究極なことをいまさらながら実感中。

 

新月でした。
おっと、アファメーションを忘れていた。
ココ最近はずーっとアファメーションをしています。

なんだかいい感じに叶ってることもけっこうあってビックリします。

アファの内容は
現実的なこともそうだし
自分の精神的なこともお願いしたりしています。

精神的なお願いをいろいろ見てみると結局薬局(←ヤメロ)(←けっこう気に入った)
「本来の自分になりたい」「自由な自分でいたい」

みたいなところに還るわけですな。

 

手帖を来年用に変えるにあたって
今年の手帖の整理をしていまして、

私は手帖は日記やアファ帳、あらゆるメモとしても使っていて、

数年前に書いたものも残っています。
それを気が向いたら読んだりしているんですね。

 

今日、3~4年前だかに鎌倉のKさんのハーブのレクチュールなる講座に

参加したときのメモを読み返しました。

数あるハーブの中から香りをかぎ直感で4種類のハーブを選び

自分オリジナルのハーブティーを作る講座でした。

選んだハーブの意味をKさんが教えてくださるときにKさんが意味を教えてくださるのですが、

私が選んだハーブを見てKさんは笑いながら

「片腕さん、本当に変わりたいんだね」

とおっしゃいました。
Kさんとはその前にもセッションでお会いしていて
その時も同じことを言われたのでKさんも思わず笑ってしまったのでしょうね。

 

時系列が曖昧なので間違っているかもしれませんが

その後、私は小さなものも含めて2回ほどKさんのセッションを受けていますが、
その都度言われるのが「変わりたい」「本来の自分になりたい」でした。

 

今こうやって書いてて苦笑しちゃうんですけれど、

今でも強くそう思っているのにちっとも変われなくてね(泣笑)

一体何年かかっちゃってるんだよ、私・・・・・。

 

あまりに私が頑固だから、

状況ごと変わらないとコイツはあかんな、という自分の魂が

今の大改編を起こしておるのですなぁ・・・・。

ガンバレ、私。


とは言うものの、実は色んな方から「変わったね」と言われることがあって
特に折に触れお世話になっている手相カウンセラーのワジョリーナさんからは

セッションでお会いするたびに「全く別人みたいになったね」と言われます。
でも自覚は全くなくって

本来の私ってなんだよ?っていまだに思っていて
それがよくわかってないから変わってないような気がして
ものすごーーくもどかしいです。

 

「こういうのが本来の自分だ!」というのが明確にあるといいんだけどね。

まあきっとそういうものではないんでしょうけれど・・・・。

わからないなぁ・・・・。
そして本来の自分になったら

私、ぶっとんじゃうと思うんだけどね(でた!ぶっとんだ魂!)

 

来年の手帖は数年前に愛用していたmmbsの「わたしのきんいろ手帖」に

したのですが、

届いた中に入っていた服部みれいさんのメッセージに

「時代が今、すごいスピードであたらしくなっているのを感じます。

ウソがつけない、ごまかせない。

あと自分自身(本来の自分)で生きる、ということが

これほど大切な時代もなかったと感じます」

とありました。

 

この言葉を何度も読み返していると

うっすらと本来の自分、戻りたい(なりたい)自分が見えてくる気がします(そうか?)
私個人のなんちゃらはまあわからないけれど、

大きな大きな視点でみてみると結局は

 

みれいさんの詩集のタイトル

あまい、あまい、あまくてあまい

とか

プリミ恥部さんの本のタイトル

気をつかわずに、愛をつかう

みたいな?わかんないか(笑)

 

自分に甘く、他人にも甘く、世界にも甘く、

自分に自由に、他人にも自由に、世界にも自由に、

 

そろそろ苦労とか苦しみを乗り越えてそこへたどり着く、

みたいなのはやめたいなぁ、とか、

 

明確な答えみたいなものが出ないまま
愛と感謝をキーワードに、

頑張らないで、ガンバレあたし

とか思う本日でありました。

アファしよーっと。

 

 


 

【多楚可"れカンターレ応援ページ絶賛更新中です!】

https://note.mu/kataude/m/m8d100861813f

 

 

 

なーんかおっかしぃなぁ~~~。
なんだろうなぁ、なんかなぁ、

自分らしくない、くすんでるなぁ・・・
と思っていましてところ、

やっぱりどう考えてもその原因は

 

文化芸術摂取が全くもって足りない!!

 

ということだと思うに到る。

足りないんだよ、やっぱり・・・・。

 

私は芝居やら映画やら音楽やら美術やら漫画やら本やらを

摂取し続けてきて、

過剰に時間とお金を費やしてきたのだが、

そのたびに色んな人に言われたのは

 

情報がないと不安になるんだよね?

とか

逃避だよね?

とか
インプットばかりではなくアウトプットもしなきゃ

とか

 

さんざん言われてきたもんだ。

私は自己肯定感が低かったので(あえての過去形)
そういう声を聞くと「そ、そうかなぁ・・・・」と思い、
情報ダイエットしなきゃ、アウトプット!現実にフォーカス!地に足つけて!!!(必死)ってなりました(苦笑)

 

もたろんそういう側面も全くないといえないので

少し考えなきゃいけない部分もあったかと思いますし、
なにより

お金も時間も溢れるほどあるわけじゃないのだから

そのバランスは考えなければいけないが(特にお金)

 

今、こうやってくすんだ感じをなんでだろうと考えると
どう考えてもやっぱり×10000
以前に比べて文化摂取率(なんだそれ)が足りてないせいじゃない???

 

と思うのだ。

 

もう!情報がなんちゃらとかインプットアウトプットとか逃避とか
そういうの!どうでもいい!

まじ、どうでもいい、関係ない。
あのね、そんなことよりも何よりね、わたし、

 

すきなんだあああああああ!!!!

 

芝居観るのが!映画観るのが!音楽聴くのが!美術を観るのが!本や漫画やドラマを観るのが!喫茶店行くのが!(←あれ?)

とにもかくにも

大大大大大好きなんだよ!!!!!!!!!

 

それ以上もそれ以下もないっ!

好きに理由なんかあるもんかっ!!!!!

 

なーんて、今日は思いました。

かかるお金のことは考えなきゃいけないけれど(切実)。

時間は作れる。

作らないのは私の怠慢。

 

「映画をスマホの小さな画面で観るなんてなぁ」とか言ってる場合ではない。
確かに時間はないけれど

「読むならじっくり30分は取りたいしなぁ」とか言ってる場合ではない。
レディースディ1000円で映画観られる。

ツタヤで1週間500円で漫画5冊借りられる。

図書館もある。
「混んでるからゆっくり観られないのやだ」とか言ってる場合じゃない。
金曜日はナイトミュージアムをしている美術館もある。

「ビデオで映画観るならノンストップでなきゃいやだ」とか言ってる場合じゃない。
隙間時間で細切れでも観ればいいんです、観ないよりずーっとマシ。
シャンプーリンスのクオリティ下げて浮いたお金で喫茶店行けばいいじゃん(え)

 

マグロのように止まったら死んじゃうって人、いるけど

私は文化芸術を摂取してないと死んじゃうんだよ、やっぱり。

 

あたらしい自分になろうとしている真っ最中。
でも、「好き」は永遠に変わらない。
私は好きをあきらめない。

 

 

noteにて
多楚可"れカンターレの応援ページを作りました、とお伝えしましたが。

お伝えしている部分

https://ameblo.jp/kintotoco/entry-12543151638.html

 

このたびめでたく公認となりまして、

気をよくしてちまちまと記事を更新しているのでぜひ遊びに来てくだサイババ(ってまだいらっさる?)

 

 

RADIO SAKAMOTOの書き起こしとか
1号さんと3号さんが加藤和彦トリビュートのバンドに参加した話とか

1号さんが日経の番組のコーナーのタイトル曲を作られた話とか
書いてます!!

 

たそかんはメンバーそれぞれが社会人としてそれぞれの場所でお忙しい立場にある方々なので

なかなかそろって活動というのが難しいとは思いますが、

新作が待っているのと、ライブもある、ような気もしますので

期待をふくらませつつ

応援ページもわたくし応援隊長が勝手にあれこれ愛を叫んだりつぶやいたりしていこうと

思っておりますので、

活動がないときはYouTubeで楽しんだり応援ページで一緒に応援したり

いたしませうそうしませう。

 

よろしくお願いいたします!
 

 

しあわせは歩いて来ない、だから歩いてゆくんだね。

 

星野先生、素晴らしい歌詞を書かれました。
確認しようと思って歌詞をちゃんと読んだらちょっとグッときましたが・・・・。

 

しあわせの隣にいても わからない日もあるんだね

 

泣けた・・・。

 

前に大好きな鎌倉のカイさんがアファメーションを紹介されていて
その途中に

「私の中の「幸せ」を阻んでいるものをリストアップしましょう。
あなたにとっての「苦しいorつらいor嫌いランキング!」を作ります」

というのがあって、

まあ、やってないんですけど(^_^;)

でも、パッと考えると私の幸せを阻んでいるものといえば
たくさんあるけれど、やっぱり

 

自己否定
誰かとの比較

 

あたりが本当に大きいと思っています。
って散々このブログでも書いてるけど。
というか、それしか書いてないけど(がっくり)。

やたら物語好きなのもあって
自己否定と比較から、ものすごい悲劇の物語を作り上げるのも大得意で
この妄想が現実感を帯びてきておびやかされたりします・・・・。


それは前向き組から言わせると「陶酔」ということになって
私もそうだなぁ、と思ってはいるのですが

それをこじらせているもので
今度は「陶酔している自分を否定」したり

そんな自分を誰かさんと比較して「だから自分はだめなんだ」となる。

そしてそれは「甘ったれている」ということなので

そんな自分を以下略エンドレス

 

それを断ち切るのにはけっこうな時間がかかるものです。

自動運転状態なもので
動いていることすら気がつかないのですから。

なので、まずは気がつくことをしなければならない。
気がつく、というのはまずは見留める=認めるということ。
については先日書きました

https://ameblo.jp/kintotoco/entry-12545220634.html

 

今、人生最大級に

自分を否定したくなる案件が押し寄せて
比較してしまうラスボス的なキラッキラ星が目の前に立ちはだかって

わりと厳しいです(^_^;)
もうこんなのイヤだなと思ったりもします。
でもこの状況は間違っていないという確信がある。
こんなのイヤだ、と逃げるラクと
この状況を越えたときに訪れるラクを比較すると

後者しか選択はない。
これは私の魂が望んだことだからでもありますし。
 

正直、面倒。
こじらせているので無理矢理するのも拗ねちゃうし取り扱いは慎重に。

ああ、面倒。
が、今は面倒でも地道に取り組む。

 

何故なら、「しあわせが隣にいる」から。

信じられないくらいの幸せをもうとっくに受け取ってはいるんだけれど、
まだたくさん取りこぼしてもいる。

今のままでは自己否定と比較という眼鏡で見えなくて受け取り損ねている。
それじゃあ本当の意味で味わえない。

信じられないくらいの幸せは

私に「完全に」受け取ってもらうのを待っている。
幸せをもたらしてくださる方にも幸せになってもらえない。
(でも本来的にはまず自分)。

 

私は想像します。

この幸せをなんの障害もなくすんなり全て受け取ることができたとき、

チョー幸せサイコーーマジ嬉しいやばい笑顔にしかならないなにこれすげー!
って、心の奥底から叫びたくなるその感覚を。

 

想像できるというのはもう現実になるってことです。

しあわせは歩いてこないんです。
だから自分から歩いてゆく=受け取る体勢をつくるってことなのですね。

 

考えすぎず(マルシーあず姐)ゆっくりのんびりやっていきます。
でももうすぐ、だぞ。

心の恋人、YESの皇帝陛下もいつも「それでよし!」と言ってくれている。