My Bright Tomorrow | 片腕の夢は日常

片腕の夢は日常

ひそやかに、高らかに、ゆるゆるに、くるくるに、
fromここtoうちゅう

しあわせは歩いて来ない、だから歩いてゆくんだね。

 

星野先生、素晴らしい歌詞を書かれました。
確認しようと思って歌詞をちゃんと読んだらちょっとグッときましたが・・・・。

 

しあわせの隣にいても わからない日もあるんだね

 

泣けた・・・。

 

前に大好きな鎌倉のカイさんがアファメーションを紹介されていて
その途中に

「私の中の「幸せ」を阻んでいるものをリストアップしましょう。
あなたにとっての「苦しいorつらいor嫌いランキング!」を作ります」

というのがあって、

まあ、やってないんですけど(^_^;)

でも、パッと考えると私の幸せを阻んでいるものといえば
たくさんあるけれど、やっぱり

 

自己否定
誰かとの比較

 

あたりが本当に大きいと思っています。
って散々このブログでも書いてるけど。
というか、それしか書いてないけど(がっくり)。

やたら物語好きなのもあって
自己否定と比較から、ものすごい悲劇の物語を作り上げるのも大得意で
この妄想が現実感を帯びてきておびやかされたりします・・・・。


それは前向き組から言わせると「陶酔」ということになって
私もそうだなぁ、と思ってはいるのですが

それをこじらせているもので
今度は「陶酔している自分を否定」したり

そんな自分を誰かさんと比較して「だから自分はだめなんだ」となる。

そしてそれは「甘ったれている」ということなので

そんな自分を以下略エンドレス

 

それを断ち切るのにはけっこうな時間がかかるものです。

自動運転状態なもので
動いていることすら気がつかないのですから。

なので、まずは気がつくことをしなければならない。
気がつく、というのはまずは見留める=認めるということ。
については先日書きました

https://ameblo.jp/kintotoco/entry-12545220634.html

 

今、人生最大級に

自分を否定したくなる案件が押し寄せて
比較してしまうラスボス的なキラッキラ星が目の前に立ちはだかって

わりと厳しいです(^_^;)
もうこんなのイヤだなと思ったりもします。
でもこの状況は間違っていないという確信がある。
こんなのイヤだ、と逃げるラクと
この状況を越えたときに訪れるラクを比較すると

後者しか選択はない。
これは私の魂が望んだことだからでもありますし。
 

正直、面倒。
こじらせているので無理矢理するのも拗ねちゃうし取り扱いは慎重に。

ああ、面倒。
が、今は面倒でも地道に取り組む。

 

何故なら、「しあわせが隣にいる」から。

信じられないくらいの幸せをもうとっくに受け取ってはいるんだけれど、
まだたくさん取りこぼしてもいる。

今のままでは自己否定と比較という眼鏡で見えなくて受け取り損ねている。
それじゃあ本当の意味で味わえない。

信じられないくらいの幸せは

私に「完全に」受け取ってもらうのを待っている。
幸せをもたらしてくださる方にも幸せになってもらえない。
(でも本来的にはまず自分)。

 

私は想像します。

この幸せをなんの障害もなくすんなり全て受け取ることができたとき、

チョー幸せサイコーーマジ嬉しいやばい笑顔にしかならないなにこれすげー!
って、心の奥底から叫びたくなるその感覚を。

 

想像できるというのはもう現実になるってことです。

しあわせは歩いてこないんです。
だから自分から歩いてゆく=受け取る体勢をつくるってことなのですね。

 

考えすぎず(マルシーあず姐)ゆっくりのんびりやっていきます。
でももうすぐ、だぞ。

心の恋人、YESの皇帝陛下もいつも「それでよし!」と言ってくれている。