https://note.com/kataude/n/n79fb51af1d2e
昨日から体調不良。
夜中も何度も目が覚めて、イテテテとなったり安定したかと思えばオエッとなったり何がなにやら。
日中は熱が出たけれど、風邪っぽくないし・・・。
見たことも感じたこともない優しさにとまどう。
受け取れず、間違える。
経理に出す請求書を絶対に今日中に仕上げなければいけないので
出社は絶対。
病院で薬をいただくことにする。
ダル重な身体を引きずるようにして外出。
背中重いし痛いし、なんでもいいからどうにかして。
という感じで病院へ。
(当たり前だけれど)患者わんさか。
病院へ行くといつも「調子悪くて当たり前」というタイトルを思い出す・・・・・。
診断は
喉が赤い、胃腸の風邪、ストレス、睡眠不足、疲労。
後ろ3つが免疫力を落とし、その結果、風邪をひくということか。
身体はなんでも知っていて、うまくできている。
薬をいただき飲んだら少しラクになった。
風邪でもなんでもいいが胃腸の不快さえよくなればいいと思っている。
胃腸のムカつきが一番いや。
背中の痛みと重みはデフォ。
出社して仕事。
昨日は応援している多楚可"れカンターレの関西遠征情報が解禁されたので
それについてブログも書きたいが
まずは請求書だ。
仕事に集中していると体調のことを忘れる。
ランチはスープのみ。
もうちょっと食べられそうだけれど我慢。
しかしダルい。
ああ、でも電力会社に電話だ。
「20Aでは足りないので少しあげてください」
「お客様のご自宅は15Aです」
そうだったのか・・・・。
どうりで
エアコンとティファールでバチン、になるはずだ。
明るい光はどこに。
見えてはいる。
人は私の想像以上に自分とは違う。
見えているものも考えていることも。
他人のひとつの言動をとってみても
狭い自分のわかる範囲での「こういうことだろう」は違うことがある。
「こういうことだろう」の傲慢さったら。
「私とは違うけれど、でもこういうこともあるのだろう」のさらに範囲外のものを持って考えているのが他人というものなのだ。
その前提に立った上で、一生懸命、理解しようとする。
まさかこんな風に思っているとは、ということが最近本当に多い。
人は私の想像以上に自分とは違う。
愛する人でもそうだ。
同じ色を見ているようでいて、それは本当に同じ色なのか?ということだ。
ではこの人の赤はどんな赤なのか?と思いを馳せる、馳せる、馳せる。
想像力はこういうところに使うんだわ・・・。
やっと見えてきたものもある。
まだ見えないものもある。
気を使ってほしくないと思うけれど、
そんな風に思うような気づかいを相手だって私にはしてほしくないだろう、
とかそういうことも考える。
そもそも気づかいというものだって
どんな方法で何をするか、は人それぞれ違うし
だから見えるものの奥にある心を知ろうとしなければ。
同じものを見つけようとしながら違うことを知り、
違いだらけの中から同じものを見つける。
思いを馳せること、そして対話をすること。
思いを馳せるために、自分を消してみることも
対話をするために本音を開示することも
なんと難しいことか。
なにも伝えられないから、聞いてももらえない。
心を開かないと開いてもらえないではないか。
それでもわかりあいたい。
決してあきらめない。
請求書が終わったら家に帰ろう、と思いながら午後をむかえる。
知らなかった優しさに慣れたい。
優しさを受け入れるということは、自分を受け入れるというとでもある。
自分を愛し受け入れることができなければ
他人を愛することなんかできないんだ、という究極なことをいまさらながら実感中。