こんにちは。


前回のブログからだいぶ期間があいてしまいました驚き



これまでの複合性局所疼痛症候群(crps)の闘病の経過を綴っております。



前回までの記事をご覧になってない方は、是非そちらからご覧下さい。




前回の記事はこちら↓


crpsの確定診断、はじめてのブロック注射など…




自己紹介はこちら↓








今回は、夏休みに集中的に大学病院へ通った後、痛みがかなり良くなってきた頃の話です。


  行動することが随分と楽に


未だに松葉杖は必要でしたが、片松葉での歩くことができるようになっていました。



そのため、学校内の移動も随分と楽になりました。



以前は、校内での昇降移動は特別に業務用のエレベーターを使わせてもらっていましたが、階段での移動も可能に。わざわざ先生たちにエレベーターの操作をお願いする必要もなく、友人の力を借りて移動できることが、気持ち的にもすごく楽になったのを覚えています。



また、歩くだけでなく立ち続けられる時間も伸びてきました。



足を下ろした状態が続くと、血流が悪くなるのか足が赤く腫れてジンジンとした痛みが出てきたのですが、痛みが出るまでの時間も長くなったのです。






立ち続けられることって、生活していく上で結構大事なんですよね。




学校生活に限りませんが、病院でもない限り、外の世界って意外に座れる場所がないんですよ。


「ちょっと休憩したいな」と思っても椅子がなかったり、出先で偶然会った友人とついつい立ち話をしてしまったり。


その時は「少しくらいいいや」と思っても、無理をしたツケは後から回ってきます...。


後から出てくる痛みのことを考えると、本来であれば嬉しい友人との会話もなるべく早く切り上げたくなってしまうのです。



立ち続けられる時間が伸びたことで、このような心配事も減り、もとの生活が見えてきたことを嬉しく思いました。



  一方で、残念なことも



そんな中、ショックを受けることもありました。


それは、周りの人たちの無理解です。



夏休みを終えて2学期に入ってからも松葉杖で学校生活を送っていたことで、自分の症状のことをあまり良く知らない人から「あの人はいつまで松葉杖なの?」と思われていました。


5月に捻挫をしてから既に4ヶ月が経っており、骨折でも流石に治っているであろう期間が過ぎていました。


一体どうしたの?と思われても仕方ありません。


もちろん学校の先生をはじめとする大人たちは理解がありましたが、同級生たちはそんなことを知らず。特に、中学生なんて自分が気に入らない人のことで裏でヒソヒソ叩いたりしているわけです。


そのうち


「一体いつまで甘えてるの?」

という言葉や

「あの人は仮病で杖を使っているんじゃないか?」

という言葉を耳にするようになりました。



必要もないのに自分から望んで使っているわけないですよね。手も塞がるし、なくても歩けるなら使ってないわむかつき



今ならこんな風に言い返せますが、当時の自分はとてもショックを受けました。


こんな風に、周りの人たちの無理解が苦労している人を傷つけることを、知ってもらえれば幸いです。




今回はここまで。



思っていたより長くなってしまいました。想いが強くなるとつい語り過ぎてしまうのは、元職業病です。笑



次回くらいで一区切りつくかなと思います。




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ではまた。