![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210825/00/kinnosuke-banana/4c/53/j/o1080072014991490008.jpg?caw=800)
【旧戸草(とくさ)トンネル】(長野県信濃町)
春先に少し下火に向かうかな?と思われていたコロナウイルスの感染者数も
あれよあれよという間に激増し、
気がつけば東京都の新規感染者が
5000人を突破する日も珍しくなくなってきました。
そんな中、
私の方も相変わらず取材は自粛中で、
先日の新潟県雪梁舎美術館で行われた
授賞式がかなり久しぶりの県跨ぎとなりました。
早く各地で廃墟や史跡の調査を再開し、
その模様をお届けしたいのですが、
もうしばらくは大人しくしていようと思います。
しかし幸いな事に
過去に回った取材地の記録も沢山手元にありますので、
これからも記事が出来上がり次第
どんどん紹介していきますね!
と、言うわけで
今回は長野県信濃町で出逢った
大変な働き者である旧戸草トンネルへ行ってみましょう!
何故働き者かと言いますと、、、。
長野県内初となる鉄道
当時の信越線(関山駅~長野駅間)が引かれるにあたり
その前年の1887年(明治20年)に
戸草トンネルは竣工されました。
その後、1966年(昭和41年)、
鉄道電化に伴うトンネルの新設工事により
鉄道としての役目は終えたものの、
町の道路となり
ほぼ当時のままの姿で
トンネルとして現役を貫いています。
つまり現在まで134年間、
鉄道から車道へと姿を変えながらも
ずっと何かしらの「道」として
人間の役に立ってきたというわけです。
これだけの間、
無休で働き続ける事は
人間にはとても真似できませんね。
正に働き者と言えましょう!
余談ですが、
インターネットで
「旧戸草トンネル」を検索すると
24時間営業と表示されていました(笑)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210825/00/kinnosuke-banana/00/86/j/o1080072014991490009.jpg?caw=800)
▲上写真の左手側は新設されたトンネル
その右手後方に見えるのが
旧戸草トンネルです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210825/00/kinnosuke-banana/a4/5c/j/o1080072014991490010.jpg?caw=800)
私が訪れた時、
鉄道脇の側道で物静かに、
しかし確かな存在感を纏(まと)って
佇(たたず)んでいました。
1966年(昭和41年)迄は
この車道が信越線の線路だったということになります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210825/00/kinnosuke-banana/af/18/j/o1080081014991490012.jpg?caw=800)
▲切石と煉瓦(れんが)による職人芸。
コンクリートが普及する以前、
明治時代中期頃迄に造られたトンネルは
切石や煉瓦造りが主流でしたので
特に重厚感漂う外見に!
建設当時は資材運搬や予算の関係で、
切石はごく近所の山で切り出され
煉瓦も地元で焼かれたモノが使われたそうです。
生粋の地元っ子ですね!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210825/00/kinnosuke-banana/28/3e/j/o1080081014991490013.jpg?caw=800)
そうすると
先に待ち受ける我々の未来は、、、。
この目の眩(くら)む様な光に包まれる
トンネルの出口の様に、
非常に明るいということでしょうか!?
是非!
是非!!
是非!!!
そう願いたいものですね!
そう言えば先ほどの
トンネルへ祈願している風な私の姿、
この記事を書いた後だと
あながち間違ってはいなかった様にも思えてきました。
金乃助