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渡鹿野島遊び2016

2016年夏、渡鹿野島で女遊び(泊まり)をした際の記録。

(それにしても遅いな…。もしかして、食後に一度俺がトイレに行っていた数分間に、女の子たちが部屋に来て、”お客さんがいないから、ここは後にしよう”と帰っていってしまったものか…?いや、そんなはずはない。俺の部屋は廊下をはさんでトイレの真向かいと言ってよい距離だから、多人数の女の子がやって来れば、俺は足音ですぐ気づくはずだ…)

 などと、私はやや神経質に考えたりした。

 

 私のいる部屋は、廊下をはさんだ向かいに風呂とトイレがあった。風呂とトイレは宿泊客の共同となっているため、他の客の気配を把握しやすかった。どうも今夜は、水曜であるにもかかわらず、私以外に男性客の二人づれ、あるいは三人づれが一組だけ、この旅館に泊まっているようだ。

 

 その男性客たちに先に女の子を選ばれ、残った女の子の中から私が選ばなくてはならなくなる、という展開だけは避けたかった。今夜の明暗は、ここで良い女の子を選べるかどうかにかかっているのである。

 

 もし選択を誤ってしまった場合、それこそネットの体験談にあったような、ひと晩中相手の大きなイビキに苦しませられる、なんていうこともあるのだ。ただ、夜のイビキだけは、女の子の顔や容姿を見ただけでは分からないから、もうそこは自分の直感を信じるしかないのだが…。

 


 

 午後六時。夕食。

 

 さきほど玄関で出むかえてくれた若女将が、刺身の盛り合わせ、一人用コンロで焼く蛤、白身魚の煮付けなどの料理を、何回かに分けて部屋に運んできてくれた。島の近くの海で獲れたものを使っているのか、刺身や貝料理がやけに旨かった。

 

 こんな旅館の料理を食べるのはたいてい誰かと一緒のときだから、たまには【部屋で一人で食べる旅館の飯】というのも、味覚だけに集中できて新鮮だった。料理を運んでくる若女将と一言二言、世間話を交わすのも、やけに楽しい。

 この食事のあと、女の子たちの顔見せが待っているため、私にはまだ緊張せねばならない状況が残っているのだが、旅館の飯の旨さに舌鼓をうつ私はいったん、それを忘却した。

 

 部屋にひと通り料理が揃ったあとも、今度はお女将の方が十分おきくらいに盛蕎麦や焼魚などの追加の料理を運んできてくれて、私は完全に満腹になった。

 お女将は最後の料理を運んできたときに、

「夜の女の子は、ちょっとまだ揃ってませんのでね…。顔見せは、もう少し待っていてくださいね」

 と言った。

 

 週末ではなく平日に、しかも一人でやって来た男が急に「泊まり」を頼んだために、置屋の方も対応に追われ、女の子が揃わないのかもしれない、と私は感じた。

 

 だが、待てども待てども、女の子たちが私の部屋に来る気配がなかった。けっこう待つのであれば、私は先に風呂に入りたかったが、風呂に入っている間にもし、女の子たちを連れたお女将が来てしまったら…と考えると、部屋からは不用意に動けなさそうであった。すでに時刻は七時半をまわっている。


 つづく


 

 部屋に一人残された私は、夢でも見ているかのような感覚であった。私に夜の遊びの勧誘をしてきたのは、怪しげな遣り手婆さんではなく、いたって健全な感じのする旅館のお女将であった…!そして島に上陸した際の(売春自体もうやってないんじゃないか)という不安も一瞬のうちに消え、私は夜をともにする女の子を選ぶ段階に、すんなりと入っている。


(ネットの噂と、実際来てみるのとでは、だいぶ違うものだな)

 私はリラックスした気分で、掃除の行きとどいた和室をながめた。ついでに外の景色を見ておこうと窓を開けた。

 

 すると、私の目には見覚えのある黄色い建物が飛びこんできた。例のあの写真にうつっていた、Paradiseというゲームセンターの跡地である。

 これも因果なのか、パラダイスのビルは、私が泊まっている旅館に隣接していたのだ。黒い、太いマジックで「テナント募集中」と書かれた貼り紙はいまだに残され、私に何かを訴えかけている。

 

 お女将との健全なやりとりの直後だったせいか、パラダイスのビルを最初に写真で見たときの暗い印象は私の心から消え去り、私はそのビルを「廃墟」とは呼べない気分になっていた。パラダイスの真っ黄色なビルは、初夏の青空と絶妙なコントラストを作っていて、私に小気味よささえ、感じさせていた。


「上陸」 了



 

 仕方なく、私は旅館の玄関に足を踏み入れた。玄関では、私を待っていたとばかりに旅館の若女将が出むかえ、


「小林様ですかー?遅いなぁ、と心配しておりました…。さ、お二階の部屋へどうぞ」

 と言った。小肥りで愛嬌のある女性である。髪を少女のように後ろで左右二つに束ねているため、まだ二十代のようにも見えた。

 

 旅館の階段をのぼりながら私は、

(もしかすると今夜は、この旅館の部屋に一泊するだけで何事もないかもしれない。まあ、それはそれで平和でよいか…)

 と、落胆するような安堵するような、不思議な気持ちを味わっていた…。

 

 指示された部屋へ行くと、さきほどの若女将の母と思われる「お女将」が、ちょうど冷房をつけているところで、

「涼しくなるまでちょっと、時間がかかるかもしれませんけど…」

 とことわりながら、ひと通りの部屋の説明をしてくれた。


「夜ご飯は六時となってますけど、それでよろしい…?」

「はい、それでお願いします」

 食事の時間の確認をおえ、お女将は部屋から去るのかと思われたが、


「あの…夜の女の子のほうは、どうされます?

 と問うてきた。まるで「お食事とお風呂、どちらを先になさいますか」と問うような自然さであった。


「夜…というと?」

 と私は無知な演技をしながらも、

(ここで来たか)

 と内心では思っている。

「ネットでは色々書かれてますけど」

 とお女将は前置きした上で、

「ショートは二万。これは五十分まで。泊まりだと四万。これは夜十時くらいから朝まで女の子と遊べます」

 と説明した。


「じゃ…泊まりで、お願いします」

 私もまるで「じゃ、風呂を先で」と答えるような自然さで返していた。そのやりとりの中に、私が想像していたような「遣り手婆さんとの交渉の緊迫感」は全く無かった。お女将は貫禄ある表情にさすがに夜の大人の事情を漂わせていたものの、その口調や態度にはあくまでも接客の爽やかさだけが存在していて、いやらしさは微塵も感じられなかった。


「では、あとで女の子の顔見せ、しますね…」

 と、お女将はあとで置屋の女の子達をこの部屋につれて来て私に選ばせることを匂わせ、部屋から去っていった。

 三人の女性は、私から少しはなれた席に着いて談笑しているが、時おり私の方をうかがっているようだ。痛いほどに視線を感じる。

(間違いない。島に着くやいなや、三人のうちの誰かが俺に声をかけてくるだろう)

 と私は予感し、緊張した。

 

 船が島の岸についた。前の方の席にいた女性三人がまず下りて、それにつづき私が下りる。渡船料百八十円を運転士に払った。

 

 とうとう、渡鹿野島に上陸した。私の感慨はひとしおであり、もうこうなったら遣り手の女性よ、はやく声をかけてこい。こっちは四万の泊まりを目的に島に来たのだから、というくらいの意気ごみであった。

 

 だが、そんな私の心境を裏切るように、三人の女性たちは島の奥へむかって、すたすたと歩いていってしまう。私の方をふりかえろうともしない。

(これは、おかしい…?事前に仕入れた情報どおり、島の過疎化がすすんでいて、夜の楽しみも完全廃業してしまったものか…?

 

 私は出来るだけ冷静になろうと努めながら、島の岸付近を少し歩いた。しかし、とくに見るものもなく、私は島のメインストリートと思われる、やや太めの道に入った。


「フードコートちゃのみ」という、物産店のような建物が目に入り、店も営業しているようだったが、べつに買うものも思い当たらず、そのまま通り過ぎた。通りにはスナックとおぼしき店が数軒見られ、経営している様子である。

 

 左側に「シーサイドホテルつたや」の大きな建物が見出せたが、つたやは既に経営をしておらず、建物は廃墟と化している。つたやはまさに、夜の遊びを求めてやって来る男性客が泊まる定番の旅館として親しまれていた存在だが、数年前に廃業となったそうだ。このつたやの廃業こそが、渡鹿野島の売春業の衰退を物語る出来事であることは否定できない。


 午後五時過ぎの島のメインストリートには、私以外の人の姿はひとつもなかった。焦燥に駆られるまま、一分弱ほど歩いただろうか。気づけば私は、今日泊まりを予約してある旅館「K屋」の目の前に立っていた。