1月2日、南海フェリーに乗って和歌山へ
初詣に出かけました
徳島ー和歌山 旅客運賃 大人¥2000
往復購入は1割引
フェリーつるぎ
全長108.00m 全幅17.50m 深さ6.10m
総トン数2.604t 速力21.63ノット
旅客定員427名
am8:00徳島港出発
和歌山着am10:00
行ってきまぁーす
和歌山港に着きました
和歌山バスの1日乗車券購入
和歌山市内バスで移動します
初詣の前に和歌山城へ
追廻門(おいまわしもん)
砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結ぶ門
馬を追い回したことからそう呼ばれた
護国神社入口
和歌山城の石垣
打ち込み接ぎ
石の表面を粗く加工して接ぎ合わせて積んだ石垣
浅野期と徳川期築造
刻印のある石材は浅野期に多く見られる
石垣の刻印
和歌山城の石垣のうち、2,110個に刻印があることが分かっています
新裏坂周辺で、坂の西側に続く石垣に854個と約4割が集中しています
刻印のデザインは多種多様で40種類以上が確認されており
家紋やその省略文字であったり、方位や日付
人名と考えられるものもあります
石垣の刻印は
慶長(1596~1615)から寛永(1624~1644)期に築かれたものに多く見られますが
何の為に刻印されたかについては
石材所有者の表示、石質チェック、
鬼門除けなど呪術的使用など諸説があり
はっきりとは分かっていません
和歌山城の歴史
天正13年(1585)に紀州を平定した羽柴(豊臣)秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。
その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎でした。
その後、秀長の城代として桑山重晴が入り
慶長5年(1600)には関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城
元和5年(1619)には徳川家康の第10男頼宣が入城し
紀州藩55万5千石の居城となり、以来、尾張・水戸と並び
徳川御三家のひとつとして長い歴史を刻んできました
天守閣
三層の大天守から多門、天守二之御門、二之御門櫓、多門
御台所、小天守へと続く連立式天守
現在の天守閣は、戦災後の昭和33年(1958)に再建されたものです
天守閣からの眺め
和歌山市内
松の丸櫓高石垣
岡口門
築城時は大手門だったが、浅野期の途中から
搦手門(裏門)となる
現在の門は元和7年(1621)
徳川家が建造した二階建ての門である
岡口門は空襲でも焼けずに残った旧藩時代の数少ない遺構で
北側の土塀とともに昭和32年(1957)に重要文化財に指定されました
伏虎像
江戸時代、和歌山城は別名「虎伏竹垣城」と呼ばれました
これは、和歌山城の建つ山が虎の伏した姿に似ていたためと言われています
この像は、和歌山城の別名にちなんで、昭和三十四年に作られました
二の丸跡
御橋廊下
御橋廊下は殿様とお付きの人
奥女中が二の丸と西の丸を行き来するためにかけられた徳川期の橋です
そのため外から見えないように壁と屋根が設けられ
部屋のようになっています
斜めにかかる廊下橋としては全国的に珍しい
平成18年3月に復元
西の丸庭園