1979年~82年 | ojigimajinの音楽大好き!

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ギター、ベース、キーボードを演奏し、作詩・作曲・編曲そして歌も歌います。 ネコ好きでアゲハ蝶の飼育が趣味です。

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書くことが特にこれといってないので、 アメリカで暮らしてた時の古い写真をいくつか。
上はアメリカに着いてすぐの79年8月 最初にステイしていたゲストハウス(週決めのアパート)の近所を
散歩しながら 絵になる場所があったので 郵便ポストの上にカメラを置いて撮ってみた。
学校は9月の半ばからだし 余裕こいて毎日探検気分。 海外は初めてだったので 見るものすべてが
新鮮だ! 日本ではなかなかこんな建物見れないので 珍しがって、一応「無事ついてアメリカ生活をエンジョイ
してるよ」と写真を撮って実家に送ろうと思って撮影していたのですよ。
 
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ここはボストンでも もっとも長く、道幅もある 有名な「コモンウェルス・アベニュー」で 遠くに見えるスカイ
スクレイパーの「プルーデンシャル・タワー」以外 写っているのはすべて ボストン大学の建物。
左下の建物の中にあるボールルームで こちらに来て初のコンサートを見た。 ジェイムス・テイラーの弟の
リビングストン・テイラーのコンサートである。 何に圧倒されたかって 日本とオーディエンスの反応が違う事。
500人くらいの客から発せられる歓声と拍手がデカイ! 倍の1000人くらいいるんじゃなかろうか?と驚いたのだ。 日本は客からしてダメなんだなと感じた。
 
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私がボストン大学にいたとき住んでいた学生寮。 下はつながっているが3棟あって それぞれ 左から
A棟、B棟 ときて 私の部屋があったのがC棟の6階。 インターナショナルフロアーで おもに留学生が
半数以上だが アメリカ人の学生で留学生とルームシェアーしたい学生は希望するとこの6階になる。
だから 私のルームメイトのマイクもアメリカ人だった。
この寮「ウォーレンタワー」には沢山思い出がある。 一番記憶に残っているのが 3日おきくらいにあった
火災報知機のいたずらで 必ず2時とか3時の真夜中に鳴らすやつがいて そうなるとどこで何をしてようが
外に避難しなければならない。 真冬のボストンの午前2時 これはきついです。 悲惨なのはシャワーを
浴びていた生徒 厳寒の中 バスローブ1枚で外に出されてる。
もう慣れっこになっていたが 驚いたのが 3時とかでも大学の教室では勉強をしている生徒がいたことだ、
こちらの学生はホントに良く勉強してる。 宿題も半端な量ではない。
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先ほどの2枚目の写真の高層ビル「プルーデンシャルタワー」の上の展望階からケンブリッジ方面を見た所。
 
このチャールズリバーは一番寒いころ全部凍って 向こう岸まで渡れるというが やったことはない。
この川の向こう側がケンブリッジと言う地域で あの有名なハーバード大学があり、 この写真のもっと左に
行くと川岸にあの M.I.T.(マサチューセッツ工科大学)がある。
何故この写真を撮ったかと言うと この眼下の街並みの左下あたりに私が住んでいたからである。
このプルーデンシャルタワーの真下は あの有名なボストンマラソンのゴール地点である。