大久保 治 の音楽大好き!

大久保 治 の音楽大好き!

音楽に没頭した自叙伝風記録と趣味など色々

昨年一度やり切った感あってブログを終了したのですが、又仕切り直して再開する事を決めました!
以前のフォロワーの皆様 優柔不断で申し訳ございません!(汗)

 

 確か 夏の暑い日だった様な気がする。10月前なら 19歳の時だ。高校時代の仲間と(エルフィンセラフィムとは別に) ロックのバンドにも入っていて、このバンドはキーボードのみで コーラスなんかも無く、メインはロック系のボーカリストとリッチー・ブラックモアみたいなギタリストがリーダーのバンドだった。 で、そのギタリストが作ったオリジナルをやっていたのだが キーボード担当と言うことで 少しアレンジみたいな事もやっていた気がする。

 

 ある時 その頃けっこう大々的にヤマハがアマチュアミュージシャンの為のコンテストで「EAST&WEST」と言うのをやっていて 前年がサザンオールスターズやカシオペアなんかが出たコンテストでしたが、 私もけっこう色んなバンドで予選会とかには出ていたので このバンドでも出場する事になったわけです。

 

 秋葉原のラオックス大会と言う EAST&WESTの予選会でした。 ちゃんと審査員にかなり有名なギタリストの方が居て、 初めから合格するとかそんな事は全く考えていませんでした、何しろホントアマチュアの良くあるロックのバンドで 特にこれと言ってずば抜けて何か強力な個性なりテクニックなり 自分らでもそんな自信なく 人前で演奏出来れば、場数を踏もう!みたいな軽い感じでした。

 

 当日 本番まで あと30分くらいだったかなあ? なんだかエントリーのバンドが少なすぎて 盛り上がらない、と判断した主宰側が 多分全員にだと思いますが、 「バンド以外で ソロでもエントリーしませんか~?」

と言ってきて、 困っている人を見ると 助けなければ!の私は 何の躊躇もなく 「良いですよ」と言ってしまい キーボードソロで出場する事になっちゃいました。

 で、出演順もトップバッターで(汗) 司会の人から「曲名は?」と聞かれて 「・・・じゃ ナンバーワン、で(汗)」みたいなしどろもどろの雰囲気の中 CP-80を弾き始めますが・・・

 いつものように 何も考えてませんでしたから、 やる曲などは最初から無く、毎度家でたらたら遊びで弾いている

そのままに ピアノを ただ即興で好き勝手に弾いて それでおしまい!。(汗) その後 バンドの方の演奏も終わり 全エントリーの演奏も終了後 結果発表が プロギタリストからあって 私らのバンドはやっぱりの かすりもしない結果に(汗)。 しかし私はベストキーボード賞というのをいただき、上の写真のなんだか分からないやつとか 賞状、あとなんかラオックスの商品?とか色々もらって バンドの手前 なんか変な空気になった気がしました。

 ギタリストのコメントにはたくさん書いてあって やれチックコリアだ、ハービーハンコックだのの名前が有りましたが 私はジャズは全く聴いていなかったので 初耳でした。(汗)

 

 しかしこの事件?が きっかけで アメリカの音楽大学へ留学する事へと繋がって行ったので 人生どうなるか全く分かりません。 何しろ 16歳くらいから完全に独学で(学?じゃないなあ~遊び?)ピアノをいじりだして 3年でしたから(汗)。  

 

 E.S.P.に居た時に社販で買った 73年くらいのジャズべ。 この頃はもうベースのお仕事はやっていなかったので

このベースの出番は無く、一度近所に住んでた 元同じ学校のアメリカ人(あのキッシンジャーの息子とクラスメイトだったと言っていた)に貸していた。 その後売却したので今持っていたら 100万近い値だけど 20万円台で売った(汗)

 

 さて 人生で プロミュージシャン?(一流ではないけども)だった時期が大きく分けてふたつあった。ひとつは20代の終りから 32歳くらいまでで 色んな楽器をやったが 圧倒的に多かったのがベースの仕事。 もう一つがフォークシンガーの仕事で 2002年から1年間くらい。 これ以外は本業をしっかりやっていたので 音楽はやめていた。

 で、ベーシスト時代の仕事の一コマ(笑) 所沢の(その後所沢市に住む事になるとは思いませんでした)レストランでのジャズの演奏でしたが、 週一で当時住んでた浦安から通ってた(汗)。 内容がジャズボーカルの伴奏で、他にピアニストかギタリストがいて 私ベースで3人と言うスタイルでした。

 ここでこう言うお仕事のここでの実情と申しますか、あんまりご存知ないと思いますので 説明いたします。

まず 毎回毎回 このジャズを歌うシンガーが変わって初対面です。 本番の30分くらい前に顔を合わせて そのシンガーの方が 自参のリードシート(ごく簡単なコードだけ書いてある譜面のコピー)を他の二人に配って 最初のステージはこの曲をやります、となって 軽く決めみたいな部分が有れば言われて、無い場合も含めて それぞれこの曲は おけつの8小節をイントロにしましょう!とか この2コードを何度か繰り返してるうちにボーカル入って下さい、とか エンディングはテーマに戻って16小節でリットで、とか 大雑把に決めて それでもう本番です。

 お客さんの前で初見です。 大体は知っている曲が多かったですが 歌い手さんによってキーが違ってたりは有りましたが、 全然聴いたことのない知らない曲もワンステージに1~2曲くらいあった気がします。初見本番なので

 多少緊張感あって これでいいのかなあ?なんて思いながらやってました(汗)。

 

 でもって 初対面ですから お互いにどんだけ出来るプレイヤーなのか 全く分かりませんので、 多分なめられないようになのかなあ? 最初やたらと上からで「どうせ大した演奏出来ないんでしょ」みたいなちょっとバカにした様な態度の方も居て、 セカンドステージに入る時に急に「宜しくお願いします」なんて低姿勢になったりして(汗)。

 ところで何で 私のようなのが 音楽でお金をいただけていたのでしょうか? それは それらで使う譜面がほぼ

音符が書いてない コードだけの譜面だったからです。 ギターやピアノのお仕事もけっこうやりましたが 特にベースは よほど重要なベースパターンの決まった曲でない限り 音符は書いてないので 音符を読む必要がないからです。 で、ベースに和音は出てきませんし 小節の最初はコードの主音を弾けばまず間違っては聴こえません。 だいたい 

 スケールの中で マイナーとメイジャーコードは3度、 ♭5は文字通り5度を半音下げれば良いし、だいたい クロマチックアプローチが基本ですので 後はたまに10度を使ったり、小技を含めて なるべく歌うフレーズを出せれば、 リズムさえちゃんと出来ていれば 事前にベースソロ無しで・・・と言っておけば余計なプレッシャー無く出来ます。でもアメリカ時代に鍛えられていなかったら 絶対出来なかったと思いますね。

 

 

 ほとんど お仕事の写真など残っていません。これ一枚だなあ、私チューンのアクティヴを使ってますが、ガッツリ譜面見てます(汗)。

 

 

 2007年に私が企画したコンサート 「オフコースの夕べ 2」から アルバム^「We are」に入っている「私の願い」です。 オフコースと言えばアルバムには必ず静かなバラードが入っていますが、オフコース!と言うよりは 小田和正ソロ! のように感じるのは私だけでしょうか?

 さてこの曲ですが 原曲には生の弦楽器は入っていません。 そう言う意図だったんだと思いますが、 こういう曲ほど私は せっかく弦が使えるのだからそういう編曲をしたくなっちゃうんであります。(汗)

 で、このアレンジ 他にオーボエとフルートとホルンもおりましたので その編成で編曲しました。 前半ぐっとこらえて いよいよ間奏から 弦が入って来ます。主旋律はオーボエで。弦のモチーフは小田さんピアノの感じで・・・。

 「言葉切なく 途切れて消える ああ~」にかぶさって弦が入ります。 上手くいった?気がしてます。

コーラスの井上君の高温の伸びが良いですね~!感動的です。

この様な静かなバラードでないと せっかく凝ったアレンジをしてもほとんど聴こえなかったりなので、自分の書いた弦のラインとか聴こえて嬉しいです。(笑) ああ、小田さんが聴いたらダメだしするんだろうなあ~(汗)

 

 古石場 修司:フルート

 前川 光世 :オーボエ

 朝長 てつや:フレンチホルン、コーラス

 金子 浩介 :ピアノ

 竹森 正幸 :ドラムス

 井上 英昭 :コーラス

 大久保 治 :コーラス

 鎌田 浩史 :ファーストヴァイオリン

 五十嵐 彩子:ファーストヴァイオリン

 北島 綾乃 :ファーストヴァイオリン

 前田 みねり:ファーストヴァイオリン

 村井 薫  :セカンドヴァイオリン

 松原 幸広 :セカンドヴァイオリン

 市川 美希代:セカンドヴァイオリン

 岩間 俊也 :ヴィオラ

 谷村 美智子:チェロ

 黒澤 孝浩 :リードヴォーカル

 

 

 当時(12年前) カラスアゲハやクロアゲハなどは採卵、飼育出来たが、 やはりミヤマカラスアゲハだけは捕獲出来なかった(泣)。 まだ 何時、どの辺りに行けばメスが捕獲出来るのか、経験値が不足で まだ当時はそこそこ居たにもかかわらず 捕獲出来たのは1頭だけで 翌日にお亡くなりになったりして 苦労をしていた。

 

 そこで ネットで 初齢幼虫を購入して 一度ミヤマカラスアゲハの飼育をちゃんとやって見よう!と言う事になり、 当時はまだ採集禁止でなかった 長野県の某場所採集と言う1齢幼虫を10頭くらいだったか 東京の採集者から送ってもらって 初めてミヤマカラスアゲハの飼育に挑戦する事になったのだ。

 

 で、困ったのは食草で、 カラスザンショウ とかキハダとかは家の近くにはないので、(まだコクサギでちゃんと育つことを知らなかったので) 頂いた方に泣きついて カラスザンショウの葉を送ってもらったりして なんとか蛹までこぎつけた(汗)。

 色いろネットで調べて 冷蔵庫に入れる方法で越冬させ、 翌年4月初旬に冷蔵庫から出して、羽化を待った。

 

 

 昔の写真なので これが記念すべき羽化第一号 かどうか分からないが 無事ほとんどが羽化した。 (オス)

 

 

 メスも羽化したが、 美しい個体が出る地域の・・・と期待した春型のメスにしては う~ん どうなのかなあ?

もう少し長く冷蔵庫に入れておく方が良かったのかなあ?(汗) でも綺麗は綺麗。

 

 

 オス(左)とメス(右) やはり同じ親からと言う訳で似ている?

 

 

 本州では一番美しい と良く言われる 長野県の有名な採集地産ですので (今は禁止になってます) ちょっとがっかりでしたけど なにしろ初めて本物のミヤマカラスアゲハの春型のメスをま直に見れて感激しました。

 

 

 後翅の白ラインも比較的春型は太く出やすいようですが これも又個体差なんでしょうね。

 

 さて 長野産のミヤマカラスアゲハを羽化させましたので・・・ さっそく 八王子インターから中央高速を飛ばしまして 長野県まで ドライブがてら 放蝶に行ってきました。 なかなかお金のかかる飼育でした(汗)

 

 

 あ、ここはいつも採集に来てる埼玉県某所です。翌月くらい。

取りあえず ミヤマカラスアゲハの飼育は概ね成功したので、 ここからは 自力でメスを捕獲、採卵、食草の確保 と 日々 探求と経験を積み重ねてまいります! これ11年前ですので この後のミヤマカラスアゲハ追及の記録は追って出来るだけ順番にアップしていきますので 宜しくお願いいたします。

 

 

 

 トミー と言って「ガロ」の日高富明氏の事だと分かる人もどれくらい居るのかもう分からなくなってきましたけれど(汗) 上の写真は有名な篠山紀信撮影のシングル「涙はいらない」のジャケット写真であります。 この普段向かって右に居るトミーが何故か中央で自慢げに抱えてるこのギター 国産!と聞いて 「僕にも買える!」(G馬場風に)のではないか?とお茶の水を探しまくる私。

 

 

 こちらはアルバム「ガロ3」のジャケ写真。 う~ん ここでも同じやつを持っている! そんなに良いのか~!?

 

 

 極めつけはこれだ! アルバム「ガロ ライブ」で実際に使っている! あのトミーが変な安物の音の悪いギターを使うはずがない! だって 横にはハカランダのD-45が常に鳴っているのだから バランス取れるわけないでしょ?(汗) そしてついにその日が訪れる、 コピーバンドのメンバー あのヤマハの12弦の所有者Y君情報で 渋谷のヤマハの店長があの同じギター入荷するけど「どうする?」と言ってたよ! と・・・「どうする?」って いくらなの?と聞いたら3万5千円だと言う。 か、買える!中3の私にも何とかすれば…(汗) で、ついにあのトミーと同じイバニーズを手に入れる事が出来たのであります。

 

 

 早速 学校に持って行って 教室で(先生に隠れて演奏)。

 

 

 そして 中学も卒業! 卒業式の後の謝恩会で全同級生の前で演奏。相方の阿子島くんが弾いてるギターが思い出せない(汗) なんか普通の地味なギターに ダヴのピックガードが付いてる!もちろんやってるのはガロ。

 

 

 で、 このギターですけど、 神田商会(グレコと一緒?)系列の工場で作っていた 輸出向けのブランドで、 国内では「キャンダ 笑」と言う名前になっちゃう(笑)。 トミーも工場見学に行った際 プレゼントされたらしい。

良くディテールを見ていくと 流石に安価モデルだけに 合板ボディー(裏のメイプルのトラ目は凄く綺麗でしたけど)指板のポジションインレイも貝ではないし、チューニングマシンもダメダメだったので アメリカ製のクルーソンのゴールドに替えちゃった。 で、このピックガードの4つの丸ですけど、 本物ギブソンは 花の彫刻ですけど、これは偽物の貝の上からペイントで花びらが書かれている! これを綺麗と呼ぶのかどうか?何とも言えないな(汗)

 

 で、私的にちょっと残念だったのが トミーの方はブリッジが 70年までの髭ブリッジですが 私のはその後のダブと共用のタイプに変わっちゃってる所なんですよね(泣) 見た目にそこだけはっきり違う! これはヤマハでご対面した時に「え~」と思ったけど もう買いますって言っちゃってたし その古い方はもう入らないそうだったので

 「ま、仕方ないな」でした。 肝心の音ですが ジャンボボディーに似合わない 繊細な高音系のブライトな音で 大分イメージと違いましたが、 トミーと同じギターだって言うだけで けっこう嬉しかったなあ! 結局私ってミーハー?(笑)

 

 

 4年後青山でやったセプテンバーのソロコンサートでもちゃんと使いました(博多っ子純情で) ドラムの前に後ろ向きにツインリバーブに立てかけてありますね。

 

 

 さすが 輸出向けだけあって タグは英語のみ。 字体も現在のと違いますね。 当時(1973年?)多くの店で見る事が出来なかったこの輸出向けのブランドですが、 お茶の水に1軒だけ やたらとこの「イバニーズ」(当時は誰もアイバニーズなどとは呼んでなかった) を沢山並べてた店が有って 多分直営店だったのかなあ? でもそこにもこのj-200モデル(実際のモデル名はコンコルド)は1本も無かった。

 

 で、もう30代も後半過ぎに E.S.P. に居た時に 管楽器売り場の人に(この後ヤマハの工場に入った)安く譲った。

もうさすがに「ガロ」なんてやらないだろうと思っていたし、本物のD-45も買ったしね。 でもなんか懐かしいな、 

もし再会する事があったら 買い戻したい気もする。で、どうすんの?って話だけど(笑)。