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1月7日(金曜日)

 おはようございます。

 今朝のパソコンは問題なく動きました。

 いい天気です。

第10回実践研究大会in愛知 藤岡宏さん(つばさ発達クリニック)の講演など

   第10回実践研究大会in愛知


日時:2011年2月26日(土)・27日(日)

プログラム:

〈2月26日(土)〉
  ・13:30 開会式
  ・13:40 1 基調講演
    「地域に根付く支援」
     講師 藤岡 宏氏(つばさ発達クリニック)
  ・15:40 2 愛知からの実践報告
    「小さな町で出来た事・瀬戸市の取り組み・発達支援室を中心に」
     報告者 愛知県瀬戸市発達支援室スタッフ
  ・17:00 終了 ※18:00 懇親会(希望者のみ)

〈2月27日(日)〉
  ・9:30 実践発表
    分科会1 10歳未満の事例
    分科会2 18歳未満の事例
    分科会3 18歳以上の事例
  ・11:30 終了


場所:愛知県産業労働センター「ウインクあいち」 (JR「名古屋駅」より徒歩約2分)

参加費:5000円 親睦会費(希望者のみ)6000円

申し込み締め切り:2011年1月31日(月)
 ※定員150名に達した場合はその時点で締め切ります。

問い合わせ:大会事務局 TEACCHプログラム研究会愛知支部
・E-mail jissenken2011_aichi@yahoo.co.jp

TEACCHのはやりすたり(?)について

 Twitterで「TEACCHの限界」だとか、たぶん「(古いから)離れる」だとかの言葉をチラッと見かけました。別にその方はTEACCHを非難する文脈ではなく、「そう言う人もいるけど自分にとって大切なものだ」という文脈で語っておられましたが、まあこの言い方(非難としての)は、大昔からありました。

 私がTEACCHという「言葉」を知ったのは肢体不自由特別支援学校時代、パソコン通信の障害児教育フォーラムででした。しかし、その頃の私にとっては全然切実ではなく、それ以前に「自閉症」と名のつく本は、それ以前の通常学校時代に1冊読んだことがあるだけの状態。

 考えてみれば、既に肢体不自由特別支援学校で数年は過ぎていたのだから、「特別支援教育に詳しい先生。専門的知識を持った先生」と見られてもいい立場なわけですが、それでも「自閉症」についてはからきし知らなかったのです。

 障害児教育フォーラムで自閉症の話題が出ることもあるので、当時、ある方が「自閉症に効果がある関わり方を見つけた」「自閉症のことがわかる検査ができた」とか言う人々を尋ねて歩いたドキュメンタリー本がありました。私は「へへえ。そんなやり方があるんだ。そんな検査があるんだ」と感心して読んでいたものですが、今ふり返ると、ことごとく消えていますね。ほんの少しが小さく細々と続いている。

 そういや中にABAを使った取り組みもありました。でも、それも今から考えると「ちょっとなあ」という取り組みだったし、そこも消えたんじゃないかな。もちろん別の流れからABAは残っていますが。

 で、その本にはTEACCHは載っていませんでした。障害児教育フォーラムで、TEACCHという言葉を知ったものの、全然切実ではなく「ふ~ん」という程度でした。

 それから知的障害特別支援学校に異動。振り返ればその学校いたお子さんの50%くらいは自閉症だし、類するコミュニケーション障害を含めればもっとの割合になります。でも自閉症の診断を受けていたお子さんは数名くらいかなあ・・・私にもわからなかったし、周囲の教師も自閉症というものを知りませんでした。

 そこでどう苦しんで来たかは、過去のエントリに書いた通りです。

 で、異動後、2年近くたって、やっとTEACCHというものを切実に、かつある程度量的に多く、組織的に学び、少しずつ実践していくようになります。当時、私の学校ではTEACCHという「言葉」を知ってる先生そのものが管理職(つまりとりあえずはよく勉強している)を含めほとんどいませんでした。また知っている少数(2人か?)先生は例外無く「TEACCH!あんな非人間的なものやってはダメ!」という先生でした。

 ある地域では、私の知る限りTEACCHを取り入れた、というような実践は周囲に無かったです。

 ところが東京あたりでは、教師は少なくとも名前くらいは知っていたらしいです。

 その頃から学研の「実践障害児教育」に服巻智子さんが「TEACCH」と言葉の入った連載をされるようになったかな。

 少し後には「実践障害児教育」で、特別支援学校の実践として毎号毎号特集される記事はTEACCH的取り組みばかりだった頃もあります。ただしTEACCHという言葉はいっさい使わず。(ただし、ここでTEACCH的と言うのは「見てわかる」環境の面だけで、自尊心を大事に、とか自発的な表現コミュニケーションを大事に、の部分が抜けていた可能性はありますが。

 TEACCHの名前を出さない、ってのも変ですね。私自身、ある特別支援教育関係の講演会の講師をした時「TEACCH的取り組み」とかいう名前をレジメにも出していました。別のコマの講演をする先生は私よりもっと深く広くTEACCH的取り組みをしている先生でしたが、その先生が「TEACCHの名前を出すの?(出さないほうがいいよ、というニュアンスで)」とおっしゃいました。

 「光とともに」第一巻の後書きを書いたのはハルヤンネさん(当時はダダ母さん)でしたが、今でこそ「TEACCHから離れた」と言うハルヤンネさんですが、当時は「TEACCHだ!」という時代であったにも関わらず、後書きにはTEACCHという言葉を入れることができませんでした。

 非合法時代の共産党かいっ!!(笑)
 伏せ字にせなあかんのかい!!

 で、私が学び始めて2年くらいの時、近畿の特別支援学校の教師の集まる研究大会に参加しました。この大会に来るのはまずもってその学校で「熱心」な、あるいは「リーダー」的な先生方と思って間違いは無い。で、そこである先生と話をしました。その先生は前年に教育大学に1年間の内地留学をしていた先生。その先生いわく

「TEACCHの流行はもう終わった」

 何か、私は強烈な違和感を持ちました。「流行」??

 自閉症のお子さん(だけではなく大人の人にもですが)に対して「これがいい」というものははやりすたりがあり、この次はあれ、っていうものなのか?

 実際、細かいやり方についてはそうなのかもしれません。でもTEACCHは違うような気がする。(って「お前はTEACCH信者だから」って言われればニッコリ笑うしか無いですが。反論すれば不毛になるだけだから)

 たぶんTEACCHが強く主張した「見てわかる」(それだけにこだわっているわけじゃないですけど)は世界の、また日本の一定以上勉強した人の中では常識になっていると思います。もちろんTEACCH以前にもそれを体験や実験で確かめた人はおり、TEACCHはそれをまとめて強く主張するようになっただけですが。

 そして特別支援学校などでは写真などのスケジュールを用意したり、自立課題学習のようなものをすることはある程度常識になってきたようです。(ただし、「写真のスケジュール」と書いたのは、それが「見て(本人が)わかるスケジュール」になっているかは疑問だから。「自立課題学習のような」と書いたのも、それが「自立課題学習」になっているかどうかは疑問だから)

 TEACCHが「はやった」時代って、あったのかなあ。私が実践している頃から、今まで(今のことは、私が目の前で見たことではなくネットで知る情報ですが)「はやった」ことは無さそうな気がする。

 自発性表現コミュニケーションを大切にすること(そうなれば当然「拒否を認める」や「選択活動」が入ってきます)、自尊心を大切にすること、これらは普遍的なものだと思うのですが、そこんとこは取り入れられていたことがあったかな?

 で「限界」ってのも変だなあ。その言葉を出す方は何を求めておられるのだろう・・・
 やっぱり「治して」「健常者にする」ことなのだろうか。

 もちろんTEACCHが目ざすものはそんな高度なことでは無い、ってのは事実かもしれない。言葉を換えれば「最低限の居心地のよい暮らし」みたいなところかな。で、それだけでもやることはたくさんある。

 ほんま「はやって」欲しいのですがね。