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震災1995年1月21日

1995年1月21日


kingstone 今晩雨が・・・
(18) 95/01/21 08:33

知り合いの工務店に屋根にシートをかけてもらうようお願いしたのですが、順番に回っていくとのことで、いつになるかわからないとのこと。雨の予報を聞いてあわててブルーシートを買いに行きました。

もちろん近所の建材屋さんには無し。明石の行く途中の店では「ご近所にしか売られへん」まあ仕方ないか、と明石の町へ出ました。しかし明石の町も結構屋根瓦がくずれています。こら、売り切れてるかな、と思いました。播淡汽船の乗り場でシートをたくさん持っている人がいたので、「どこで買われたのですか?」と尋ねると「淡路島で買うてきた」こりゃいかんか・・・と思いながらも播淡汽船の西にある目的の船具屋さんへ急ぎました。ここではやはり売り切れ、しかしそこから入江をくるり回ったところにあるネットやロープのお店にあるかもしれない、という話を聞き、行ってみると山積みしてました。

9m×9m 1枚が11000円・・・・最初8600円って言っていてあわてて11000円と言い換えはった・・・なんかなあ・・・まあ仕方がない。

タコ部屋の分と4枚買いました。
ところが帰ってきてみると工務店が来ている。しかし持って来ていたシートが小さかったので私の買ったシートも役に立ちました。またタコ部屋の方にと思っていた分は妻のピアノの生徒の家がたいへんな様子だと言うのでそちらへ持って行きました。タコ部屋の方は・・・あんましずれていないみたいだし、何とかなるんじゃないかと・・・甘いかな・・・

しかしこの買いだしの道はかなり渋滞していました。

バタバタしてしまって熱が出てしまった。本当は今日10時に職員集合ということ
ですが、いけないな。本業の方が×というのは・・・・いかん。



 職員集合は、教頭先生が職員全員に電話をかけていたようです。「熱が出てるので行けません」と答えると「さぼるな!どない思とんや!」と怒鳴られました。私、地震の初日にも駆けつけて片づけしてるんですけどね・・・まあ色よい返事が少なくて教頭先生、カリカリ来ていたのだと思われます。


知的障害特別支援学校の先生からの報告

近況報告(1月21日)
(18) 95/01/21 23:20 コメント数:1

 我が家では、電気、水道、ガスの全てが、ようやく(いや、「早くも」というべきですね)復活しました。電気はその日のうちに、水道は2日後、そして今日ガスが使えるようになりました。ガスは2日前に出るようになり、一旦使い始めたのですが、近所でガス漏れしていることがわかり、使用停止になっていたのでした。

 わが鈴蘭台(北区)では、殆どのものが手に入るようになりました。食物、日用品だけでなく、今日はガソリン(一人3000円分限定)も補給できました。驚いたのは、駅前の書店で、週刊誌の今週号が手に入ったことです。19日発売の『週刊文春』と『週刊新潮』、20日発売の『ビッグコミックオリジナル』を買いました。郵便も届いています。一昨日と昨日は、地震前のものでしたが、今日は18日消印の、東京からの地震見舞いのハガキが届きました。
    
 我が家で風呂に入れるようになったので、今日は実家(灘区)から、両親と妹が、泊まりに来ています。
 娘たちが大喜びでなかなか寝ようとしません(^^;)
    
 学校などに避難している人の数が20万とか30万とか言われています。でも、親類、知人宅に身を寄せている人まで数えると、一体何人になるのでしょう・・・神戸市民の三分の一くらいが、何らかの形で、自分の家にいないのではないでしょうか。

 けが人の数も2万何人と言われていますが、きっとkingstoneさんの鎖骨骨折は、数に入っていないでしょうね。神戸市民で、擦り傷、切り傷、打撲等々、何のケガもしていない人間なんて、半分どころか、三分の一もいないのではないかと思います。

 かく言う私も、地震直後の停電の暗闇の中で、懐中電灯を探すときに、散乱した食器の破片で、足の小指を切りました。思ったより傷が深く、一昨日に5時間歩いた時は、ふさがりかけていた傷口が開いて出血し、水たまりを歩いたように、靴の中がグジュグジュになってしまいました。大量の本と本棚の直撃を受けた妻子も、体中に青あざができています。でも、私の一家のケガなんて、この大災害の中では、ケガと言うのはおこがましい気がします(^。^)
    
 神戸の中心部を除いて、鉄道がかなり復旧してきたので、鉄道での人の動きがかなり多くなっています。
    
 東の方からは、
 大阪→(阪急宝塚線)→宝塚→(JR福知山線)→三田→(神戸電鉄)→谷上→(北神急行)→新神戸
        西野方からは、
 姫路→(JR山陽本線)→加古川→(JR加古川線)→粟生→(神戸電鉄)→谷上→(北神急行)→新神戸
    
 上のようなルートで、神戸市内に入ることができます。一部のマスコミで、神戸電鉄鈴蘭台駅から、神戸市営バスでJR神戸駅に向かうルートが紹介されたため、今日の鈴蘭台駅前は大混雑になっていましたが、バスの本数が少ない上、渋滞のためかなり時間がかかり、とても現実的なルートとは言えません。兵庫区、長田区方面へは、新神戸からだと距離がありますが、新神戸から歩かれることをお勧めします。(何らかの方法で、市営地下鉄西神中央まで行ければ、板宿まで開通しています)
 神戸市の東部へは、新神戸から神戸市営バスの2系統阪急六甲行きが、15分間隔程度で運転しています。
    
 各企業も、いろいろ努力して下さっています。物資の提供をして下さるメーカー、採算を度外視して物資の供給のために力を注いでいる流通業の方々・・・全然「社会還元」をしていないのは、マスコミ(中でもテレビ局)だけではないでしょうか(~~メ)
    
 わが実家でも、kingstoneさん宅同様、雨に備えて、屋根にビニールシートをかぶせたそうです。
    
 私の学校は、来週の火曜日から授業を再開することになりました。

 でも、3割程度の児童・生徒・職員は、当分学校に来ることが不可能です。道路が渋滞しているので、スクールバスも正常に運行できる保証はありません。

 自宅近くの学校などに避難している、児童・生徒の中には、かなり精神的に不安定になっているケースがあります。そこで、そういう家族には、特別支援学校を避難場所に使ってもらうことになりました。今日既に、第一陣が学校に行っていることと思います。障害があって、特別なケアを要する人たちには、避難場所での生活はかなり難しいものがあります。もっと早くに対応すべきだったと思っています。
    
 マスコミなどでも、いろいろエピソードが紹介されていますが、大災害に遭ったために、優しい気持ちになれたということもあるような気がします。
 ふだんは、「うとましい」と感じていた人間が、ただ生きているというだけで「いとおしい」と思えるんですから。

震災1995年1月20日

1995年1月20日


kingstone ぼちぼちと
(18) 95/01/20 08:00

うちの学校の子どもたちのところにもだいぶ連絡がつきました。私は学校に出られないので、家からいろいろ電話をしています。タイミングによって偶然かかることもあります。昨日はある先生が歩いてずーーっと長田・兵庫の方の連絡のつかない子の家を訪問されたりしていました。
奇蹟的とも思えるのですが、多くのところではケガもなく済んでいるようです。しかし後ほんの少しの子供のところに連絡がつきません。

うちの長男はおかげ様でお医者様の薬がきいたのか元気になってきました。調子の悪い時は薬をガマンして飲んでいたのが、元気になってくると飲みません。まあとりあえず大丈夫そうになってきたので、無理には飲ませていません。

妻の実家は阪急六甲駅の上(北)の方にあります。実家のあたりは幸いに被害が少なかったようです。しかし阪急六甲から南はかなりたいへんな様子です。妻の母親はささやかながら炊きだしをはじめたようで、今日もおにぎりを作って持っていく、とか言ってました。

阪急六甲の上(北)の道あたりでも昨日から臨時バスが走り始めているということです。
また篠原公園では自衛隊の方により給水が行われているということです。


kingstone かなりの回復です。
(18) 95/01/20 12:29

今日、友人が水をくませて欲しいというので、その友人の車でタコ部屋まで行ってきました。(※ということは出勤して学校でなんやかや仕事や打ち合わせをしています。友人というのは同僚のことですから。)

小繁華街近辺の渋滞は解消され、普段くらいの車の量です。ガソリンスタンドも並んではいません。ただし売るガソリンが無くなったGSもありました。もちろん2号線は規制されています。

タコ部屋はやはり水が出ました。口コミで広まっているらしく、その周辺の家には水をもらいに来ておられる方があちこちで見られました。(※周囲は全部断水しているのに、ある狭い地域だけ普通に水が出た)

学校に寄ると、学校の中はかなり片付けられていました。後は水びたしになった湿気をどれだけとれるか、ということと、暖房をどうするかですね。また子供や職員には小学部はほとんど連絡がつき無事ということでした。あと、職員1人、児童1人に連絡がつきません。一生懸命連絡をとろうとはしているのですが。

駅前に出てみるとバスがたくさん並んでおり、もちろん普段通りとはいかないでしょうが、走っていました。開いているお店もどんどん増えています。八百屋さんはだいたい開いてます。品物もいろいろ豊富でした。パン屋さんは並んで品数に制限はありますが、売ってはりました。

小繁華街のスーパーは人が並んでいますが、列がおとといよりは随分短くなっています。誘導の方も慣れてきて効率よく誘導できていたみたいです。

またそこから500m程北にある生協は並ぶことなく混雑もなく買い物ができます。おとといよりも品物は増えていました。牛乳も一人一本ですが売っていました。缶詰もあります。お肉や野菜もたくさん並んでいました。

また妹の話によると少し西に行ったウェルマートでは、もうごく普通の状態だそうです。昨日、三木のジャスコへ行った友人もごく普通だったと行ってました。ただ遅い時間になると神戸方面から買いだしに来た人で「冷凍チャーハン」なんかが無くなっていた、ということですが。

うちの近所の水道局事務所では24時間体制で水がもらえるということですが、一昨日には長く続いていた行列も今日はありませんでした。

今日、新聞で大阪府知事の中川さんの「自分たちで炊きだしをするくらいの気持ちで」という発言を読みましたが、ははは笑ってしまいますね。そんなこと言われなくても、できる人はやっているんですよね。
そういや、こっちでは地震の日はすでに神戸新聞の朝刊が配られていましたし、翌日の朝刊もちゃんと来てました。これもすごいな、と思ったことのひとつです。



知的障害特別支援学校の先生からの報告

やっと実家へ行けました
(18) 95/01/20 17:24 コメント数:2

 昨日、学校の子ども達の消息を知るために、神戸の街へ出たのですが、実家に寄るヒマがありませんでした(妻子だけ家に置いておくのも心配なので(^。^))。
 新神戸までの電車が動くようになり、市バスも2系統が阪急六甲・加納町間で運転を始めたものですから、あまり長距離を歩くことなく実家にたどり着くことができました。

 幸い、実家の建物は、瓦や壁が少し落ちているものの、手入れすれば何とか住める状態のように見えました。でも、実際のところはどうなんでしょうね。見た目には一応まっすぐ立っているようですが、取り壊して立て直したほうがいいかどうかを、素人でも見分ける方法ってあるのでしょうか?>建築に詳しい方
   
 実家の周辺はといいますと、やはりテレビで見たのと同じ惨状でした。30数年も見続けてきた景色が一変してしまいました。
 実家のすぐ近くには、消防署があり、東京消防庁の消防車がたくさんいました。皆さん、本当に休憩する時間も惜しんで、活動しておられます。
 昨日、県警本部の前を通ったら、バイクや自転車が、数え切れないくらい、止めてありました。きっと、自分の家のことは二の次にして、救援活動に駆けつけた警察官の方々のものなのでしょう。
     
 自宅を離れて避難している方々の留守宅を狙った空き巣などが、出没し始めているという話もあるようです。
 また、物見遊山気分で、車の中からビデオカメラを構えてウロウロしている連中を実際に見かけました。ああいう連中が渋滞をさらにひどくしています。
 ひらすらショッキングな映像や、悲しみに沈む遺族の映像を、ハイエナのように追い求めるマスコミにも、責任の一端があるように思います。日本のマスコミって、結局芸能レポーターのレベルなんですよね。
 また、「救援車両」と書いた紙を貼り付けて走っている車の中には、かなり疑わしいのもいます。もちろん、そんな紙を貼っているだけで、通行止めの道を通してもらえるわけではないようです
 昨日ご紹介した、山口組さんは、今日も食料や水を配っていました。水は敷地内の井戸からでるのだそうです。わが母親の弁では、神戸市よりよっぽどあてになるとのこと。今回の活動は、誉めてあげていいと思いました。マスコミは全然紹介しないだろうと思っていたら、スポーツ新聞の片隅に載っていました(^。^)
    
 私の学校では、今のところ、死亡者が生徒1名、職員の家族1名です。あれだけの方が亡くなったことを思うと、奇跡的に少ないと言っていいのかもしれませんが・・・・・
 家を失った児童・生徒・職員は、かなりの数にのぼります。

 一応、来週から授業を再開します。

震災1995年1月19日

1995年1月19日


 このあたりから、地震に巻き込まれていた知り合いたちからのパソコン通信での報告がいろいろ出て来ます。家族が、同僚が亡くなったという報告も。この日は私は家にいたようです。


kingstone バスも動き始めました。
(18) 95/01/19 12:15 コメント数:1

こちらの地区ではバスも動き始めました。地下鉄も板宿までは動いていますし、それとバスとを使って人や物も動くでしょう。

嘔吐下痢症を呈している長男が飲む物を買いに外に出ましたが、一応飲み物(ジュース類)やお米はここらあたりでは手に入りやすいです。電気も来てますから水さえ手に入れば調理もできます。

道路も混んではいますが、このあたりは昨日よりは少しましです。

先日急行してくれた親戚にも「もう来ないで」とくれぐれもお願いしています。
西神中央のあたりで物資の面でもごく普通の日常生活に近くなっているみたいですし、うちの近所も回復は早いみたいです。

まだまだ中央区・長田区のあたりがたいへんですね。
ほんと腕が動かないために復旧活動に参加できないのが残念です。家にいたって家の片付けもできない・・・・



知的障害特別支援学校の先生からの報告

神戸の町を歩いてきました・・・
(18) 95/01/19 19:17

 今日、まだ連絡が取れない子ども達のところへ、行ってきました。被害の大きかった、長田区、兵庫区です。(学校から歩いて行きました)
 一応、今日訪ねた子ども達は、全員無事であることが確認できました。
     
 5時間ばかり、被害の大きかったところを歩くことになりました。
 テレビで見た光景ばかりでしたが、実際に目にすると、本当に言葉もありません。美しかった神戸の街並みは、見る影もありません。かつて、家庭訪問で伺ったことのあるお宅が、完全に倒壊していたり、火災で跡形もなくなっていたり・・・
    
 サイレンを鳴らして走っている緊急自動車のナンバーを見ると、近県ばかりでなく、四国、九州、関東・・・本当に全国各地から応援に駆けつけて下さっています。公園にたくさんテントが張ってるあるので、てっきり避難している人達だと思ったら××消防隊の「宿舎」だったりしました。
 避難場所になっている学校などの職員の方々。もちろん、避難しておられる方も大変ですが、それをお世話する人達も、本当に激務をこなしておられます。
    
 わが実家のすぐ近くに、某組(その筋の「組」です)の総本家があります。そこが、被災者のために、パン、牛乳、それに紙おむつ、粉ミルクなどを配っています。私の両親と弟一家は、たいへんお世話になってしまいました。