心に残る(ような気がする)セリフその2 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

えー、前回は読み手の立場から、心に残るセリフについて考えてみましたので、今回は書き手の立場から。


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「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」

 

レイモンド・チャンドラーの騎士、フィリップ・マーロウが「プレイバック」で吐く、あまりにも有名なセリフですが(原文は「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」)。

これ、何と言う質問に対して発せられた答えだかご存知ですか?

尾行していた相手の女性とベットを共にした翌朝のシーンでの、こういうセリフなのです。


「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」


……えー、こんなこと訊く女性、実際にいますかね?

 

もちろん、私はアメリカ人女性の精神構造がどんなものかは存じ上げませんから確かなことは言えませんが、少なくとも自然な会話の流れから出てくるような質問ではないな、という印象は拭えません。

実は作家が「よし、ここらで一つ、感動的なセリフでも入れてやろうか」と思って書いている名セリフは、こういう不自然極まりない質問とセットになっていることが多いのです。

その一言を言わせるためにシーンがあるようなセリフが、読者の心を捉えるとは思えないのですが……。

 

それともう一つ、「作者は名セリフだと思ってるんだろうな~」と感じるのが、やたらと言葉遣いが大げさなセリフ。現実世界で使ったら殺されても文句を言えないような表現を、平気で使うキャラクターも散見します。

これは多分、テレビドラマや映画の影響だと思われます。

地の文という、作家の意図をストレートに伝える手段を持たないドラマや映画のシナリオは、勢いセリフが大げさで、実際の日常会話では使えない激烈な表現にならざるを得ないのですが(故にドラマや映画には抜き書き向きの”名セリフ”が多い)、小説で同じコトをすると、文字通り芝居がかったものに見えてしまいがちです。まぁ、それを逆手に取るハーレクイン路線もあるにはありますが。

 

だいたい、名セリフを書こうと考えること自体が不遜極まりないことです。しかし、書き手としてはそう呼ばれるモノを書きたいという想いもまったく理解できないわけでもなく、悩ましいところですね。

 

個人的なことを言うと(名セリフを狙う気はありませんが)、クライマックスのセリフに物語を収斂させていく手法というのは大好きで、いつかやりたいと思っています。

具体的な例を挙げてみますと……。

 

ロス・マクドナルドの中期の佳作「縞模様の霊柩車」では、放縦な娘の犯した殺人の罪を被って自殺する父親と、その父親の愛情を信じられない娘が登場します。最後の場面でリュウ・アーチャーに父親に罪を着せるつもりだったのか、と問われた娘、ハリエットは、自分は父親を愛していた、父親は自分を愛してくれなかったけど、と言い放ちます。

それに対して、アーチャーはこう言います。

 

「命を犠牲にするほど、あなたを愛していたのですよ、ハリエット」

 

この作品はロス・マクドナルドが主題とした「アメリカの家庭の悲劇」を前面に押し出したものなのですが、この特に飾ってもいない諭すようなセリフに作品の全てが凝縮されていて、その技量には私も思わず唸ってしまいました。

多分、この一つのセリフだけを抜いても何のことだか分からないでしょう。しかし名セリフというのはそういうもので、物語の一部分であるからこそ良いのではないかなと思います。

 

何だかまとまりがない論になりましたが、以上、書き手編でした。では、また。