続 日蓮仏法に於ける一大秘法 22

 

 

歴代僧侶の「妙法蓮華経の五字」の引用文書 22

 

「妙法蓮華経の五字」に連なる語句を紹介しています。

 

 

大石寺第二十六世法主 日寛上人(生存期間 西暦1665-1726年)⑧完

 

 

宗教深秘鈔 享保元(1716)年9月 祖滅434年

 

「宗祖云く、如来滅後二千余年龍樹天親天台伝教の残し玉ふ所の秘法何物ぞや。答へて

云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり云云」(宗教深秘鈔、富要集10巻92頁)

 

「神力品の中の能持是経者は是れ結要付属の正躰寿量品の是好良薬の妙法を指して是の経と云ふなり。故に御義口伝の中に是経とは題目の五字と云ふと云云」(宗教深秘鈔、富要集10巻93頁)

 

「下山抄に云く、実に釈迦多宝十方の諸仏寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんがために出し給ふ広長舌なり云云。実の字に意を留むべし」(宗教深秘鈔、富要集10巻94頁)

 

「本化を召すの本意亦復是の如し。故に撰時抄に云く、寿量品の肝要南無妙法蓮華経の五字流布せんずる故に此の菩薩を召し出され足り云云取意」(宗教深秘鈔、富要集10巻95頁)

 

「此の深法今末法の始め、後五百歳に一閻浮提に広宣流布すべし等云云。故に顕仏未来記に云く、本門の本尊妙法蓮華経の五字一閻浮提に広宣流布すべし等と云云」(宗教深秘鈔、富要集10巻97頁)

 

 

主師親三徳鈔 著作年月不明

 

「薬王品に云く、於閻浮提文。故に妙法五字を付属して閻浮提の主と定め玉ふなり。例せば三種の神器を授け葦原国の主と定めたるが如し」(主師親三徳鈔、富要集10巻102頁)

 

「第八本尊抄終に云く、妙法五字の袋の中に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしむ文。袋は即ち珠なり」(主師親三徳鈔、富要集10巻103頁)

 

「又廿八ヲ五に云く、此の妙法は文字は五字七字にて候といへども元品の無明を切る大利劔なり已上引意」(主師親三徳鈔、富要集10巻103頁)

 

「仏亦是くの如きなり。閻浮提の主と為す時、五字の妙法を譲るなり。若し然らば末法今時の主君、懇ろ蓮祖に非ずや」(主師親三徳鈔、富要集10巻104頁)

 

「如説修行抄廿三三十に云く、日蓮仏勅を蒙り、此の土に生れけるこそ時の不祥なれども、法王の宣旨背き難ければ、経文に任せて権実二教の軍を起し、柔和忍辱の鎧を着て妙教の利劔を提げ、一部八巻の肝心妙法五字の旗を指し上げ、未顕真実の弓をはり、正真捨権の矢をはげて、大白牛車に打乗り、権門をかつぱと破り、彼こへをしかけ此こへをしよせ(以下略)」(主師親三徳鈔、富要集10巻107-8頁)

 

「釈尊下種の仏子は在世及以び正像に皆悉く得道す故に末法の衆生は本未有善にして、曽つて過去の善苗無し、釈尊遠くこれを鑒(かんがみ)て上行菩薩に妙法五字を付属し始めて成仏の種子を下さしめ給ふ。成仏の種子を下さしむるは、むしろ末法の衆生の父なる義に非ざるや」(主師親三徳鈔、富要集10巻110頁)

 

「諌暁八幡抄廿七ヲ十八に云く、日蓮は去る建長五年四月廿八日より今年弘安三年十二月に至るまで廿八年の間、又他事も無く只南無妙法蓮華経の五字七字を日本国の一切衆生の口に入れんと励む計りなり」(主師親三徳鈔、富要集10巻111頁)

 

 

寿量品談義 享保4(1719)年4月 祖滅437年

 

「御書八廿に云く、所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の始は謗法の国悪機なるが故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召し、寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て、閻浮の衆生に授与せしめ玉ふなり云云」(寿量品談義、富要集10巻130頁)

 

「御書九十一に云く、問ふ如来の滅後二千余年に龍樹天親天台伝教の残し玉ふ所の秘法何物ぞや。答へて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり已上。祖師より興師へ御付属亦是れ三大秘法なり」(寿量品談義、富要集10巻131頁)

 

「教主釈尊此の寿量品を演説して、上行菩薩に付属して、遥かに滅後末法の各々方々に与へ玉ふに依って、宗祖大聖人は仏勅を重んじて、大難小難、無量の大難を凌いで、日本国に此の本門寿量の妙法蓮華経を御弘め成さられてあるなり、仍て易々と丁聞して之を唱へ行ずれば、即身成仏する事決定なり。是れ偏へに仏祖の大慈悲、妙法蓮華経の功力に依るなり」(寿量品談義、富要集10巻143頁)

※「妙法蓮華経」だけの表現は数多の為、以後は提示しない事とします。

 

「亦今の時は寿量品の肝要妙法蓮華経流布すべき時なり、観心本尊抄廿一に云く、所詮(師本門)迹化他方の大菩薩等に、我が内証(法本門)の寿量品を以て授与すべからず、末法(時本)の始は謗法(国本)の国悪機なるが故に之れを止めて地涌千界の大菩薩を召し、寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提の衆生に授与せしむるなり」(寿量品談義、富要集10巻148頁)

 

「御書廿七卅顕仏未来記に諸天善神並に地涌千界等の菩薩は、法華経の行者を守護す、此の人守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしむる歟、例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩、我深敬汝等不敢軽慢等の廿四字を以て彼土に於て一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の廿四字と此の五字は其の語は殊なりと雖ども其の意是れ同じ、彼像法の末と是の末法の始と同き也已上」(寿量品談義、富要集10巻199頁) 

 

「神力品に於て此の本門寿量の妙法を本化上行菩薩に御付属なされて、仏滅後の正像二千年を打過て、末法の初に出現して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て、一閻浮提の一切衆生に授与するやうにと仰せ渡されてあり、(以下略)」(寿量品談義、富要集10巻211頁)

 

「御書八廿一所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て、授与す可らず。末法の始は謗法の国悪機なるが故に之を止て、地涌千界の大菩薩を召して本門寿量品の肝心妙法蓮華経の五字を以て、閻浮の衆生に授与せしめられ玉ふ也已上」(寿量品談義、富要集10巻212頁)

 

「御書廿八五に此の妙法のまんだらは文字は五字七字にて候へども、三世の諸仏の御師也已上。(中略)又四十三地水火風空とは是れ則妙法蓮華経の五字也、此の五字を以て人身の体を造る本有常住也、本覚の如来也已上」(寿量品談義、富要集10巻250頁)

 

 

寛記雑々

 

「蓮祖御年卅二歳、人王八十八代後深草院御宇、建長五年に一切法は皆本門の本尊妙法五字なりと通達し解了して、始めて南無妙法蓮華経と唱ふ。是れ即ち名字即なり」(蓮祖義立の六即、富要集3巻249-50頁)

 

「諌暁八幡抄廿七十八に云く、今、日蓮は又他事無く、只南無妙法蓮華経の五字七字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり文」(蓮祖貧賤の家に託生する所以の事、富要集3巻253頁)

 

「本因妙の教主釈尊とは即ち是れ久遠元初の自受用報身、妙法蓮花経の五字なり」(日蓮の二字の事、富要集3巻255頁)

 

「謂く日文字は是れ五点具足なり。五点は即ち妙法蓮花経の五字なり。此の五字は即ち成仏の種子なり。故に宗祖云く、三世十方の諸仏は必ず妙法蓮花経の五字を以て種と為して仏に成り給へり云云」(日蓮の二字の事、富要集3巻256頁)

 

「御法則に云く、日文字は即ち是れ妙法蓮花経の五字なり。横竪の三点を以て相伝するなり。妙は幽玄深奥竪点なり。法は遠統該括横広なり。蓮は妙の竪に譬ふ。花は法の横に譬ふ。経は色経風大の故に亦是れ横に遍するなり。蓮は即ち蓮花の座なり。故に日蓮とは、妙法蓮花経の五字、蓮花の座に坐したまふ形なり取意。応に知るべし、人法一体、依正不二なり。即ち是れ事の一念三千妙法蓮花経の五字、一切衆生成仏の種子なり」(日蓮の二字の事、富要集3巻257頁)

 

「本門は頭の如し迹門は足の如し勝劣分明なり、若し心を論ぜば四信抄十六十七に云く妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意ならく耳已上」(法衣供養談義、富要集3巻289頁)

 

「彼れ若し意を論ぜば四信抄に云く妙法の五字は一部の意ならく耳と云云、本頭迹足倶に是れ一心、本迹二門は唯だ一の妙法、再往一致其の義明也云云。今謂く四信抄の意は本迹一致の義に非ず、妙法五字一部の意なる故に万法を含む妙判也、(中略)

妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意ならく耳、初心の行者其の心を知らず而も之を行ぜば自然に其の意に当る也文。(中略)

妙法一部の意とは題目含蔵の義なり初心の行者其の心を知らず而も之を行ずるに自然に其の意に当るとは唱題具徳の義也云云。正しく今妙法の五字は文に非ず義に非ず一部の意とは既に一部の意なる故に万法を含むぞと答へ玉へり(以下略)」(法衣供養談義、富要集3巻290頁)

 

「五は則ち五字を顕し一は則ち一遍を示す、五にして一、一にして五、五に非ず一に非ず、一に非ずして而も一、五に非ずして而も五なり、蓋し妙法蓮華経を表するに足る者乎」(法衣供養談義、富要集3巻303頁)

 

「四大菩薩は即五大なり。謂く火は是れ理数として虚空に上り行く、故に上行は是れ火大なり。風は辺際無くして法界に行く、故に無辺行は風大なり。水は是れ清浄にして日夜東に行る、故に浄行是れ水大なり。地は是れ草木等を安立として四節遷り行く、故に安立行は地大なり。此の四大菩薩は常に下方の空中に居す、故に知んぬ所居は即ち是れ空大なり。故に惣に即して別を論ずれば四大菩薩なり。此の五大妙法蓮華経の五字を以て、本因妙の釈迦の一身を造るなり。故に別に即して惣を論ずれば、只是れ久遠元初の釈尊の一身なり」(蓮祖の本地内証外用、富要集3巻305頁)

 

「寿量品読誦を正と為す、是れ則ち近く正行を顕す故なり。傍正有りと雖も倶に是れ助行なり。正行と云ふとは、但本門の本尊を信じて妙法五字を唱ふるなり。此の正行に亦能所有り。所修は即ち文底秘沈の大法自受用身即一念三千の本尊なり。能修は即ち信心口唱南無妙法蓮華経の五字七字なり。当に知るべし、十方世界微塵の経々、三世の諸仏の諸有の功徳は皆此の本尊に帰せざるはなし」(方便品読誦心地の事、富要集3巻318頁)正徳6(1716)年2月 祖滅434年

 

※日寛上人は、大聖人が弘安2(1279)年10月12日に直造されたと称される「楠板本尊」を一大秘法と信じ詳しく意義を述べられておられますが、大聖人は文永8(1271)年に既に「一大秘法」について詳述されています。(拙記事「日蓮仏法に於ける一大秘法 2」に既報)

私(サム)は、日寛上人の「六大秘法」への展開を否定するのではなく、新解釈に依って「三大秘法」と合わせ日蓮仏法の奥深さを見る事ができると考えます。

 

 

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