続 日蓮仏法に於ける一大秘法 23

 

 

歴代僧侶の「妙法蓮華経の五字」の引用文書 23

 

「妙法蓮華経の五字」に連なる語句を紹介しています。

 

 

大石寺第二十八世法主 日上人(生存期間 西暦1681-1734年)

 

「弥陀等も凡夫にて御坐ませし時は妙法蓮華経の五字を習ひてこそ仏にはならせ給ひて侍れ(中略)

三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏には成り給へり」(日詳 記『四節三益筆記詳師随聴記』富要集10巻34―5頁)日善 写す 宝暦5(1755)年4月 祖滅473年

 

「法華取要抄に云く、逆縁のためには但妙法蓮華経の五字に限るのみ、例へば不軽品の如し」(日詳 記『四節三益筆記詳師随聴記』富要集10巻35頁)

 

「最正覚とは即ち自行内証の成道なり。転無上法輪とは但だ是れ妙法蓮華経の説法なり。」(日詳 記『四節三益筆記詳師随聴記』富要集10巻37頁)

 

「御書に云く、日蓮は不軽の跡を紹継す、彼の廿四字と此の五字と是れ同じ」(日詳 記『四節三益筆記詳師随聴記』富要集10巻41頁)

 

「宗祖の佐渡已前の御弘通は天台伝教等弘めたまふ所の序品の上の妙法蓮華経なり」(日詳 記『四節三益筆記詳師随聴記』富要集10巻42頁)

 

「籾米を以つて我れ等が新田に種を下して仏に成るべき時なり、是れ則ち久遠元初の妙法蓮華経なり」(日詳 記『四節三益筆記詳師随聴記』富要集10巻46頁)

 

 

大石寺第三十一世法主 日上人(生存期間 西暦1687-1769年)

 

「法華経に三の習あり、第三の法華経は即末法下種の法華経なり、此即寿量品の肝心・文底深秘の大法なり、日蓮の第三法門是なり、又広略要の中の要・法華経・神力品付属妙法蓮華経なり」(31世 日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻187頁)宝暦7(1757)年4月 祖滅475年

 

「師は仏界なり、弟子は是九界なり、師弟和合して余念なき処は事の一念三千の妙法蓮華経なり」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻191頁)

 

「日有上人御答の意は唯信の一宗なり、但深入禅定を信じ亦見十方仏を信ず・悉く皆他事を捨て唯我信心のみ所謂能信所信倶に妙法蓮華経なり、此の妙法蓮華経は即三世諸仏惣躰なるが故に・信の一字を以て深入禅定等の文と決するなり(中略)故に我等凡夫の能信所信の合する則妙法蓮華経の即身成仏なり(中略)高祖の御金言に日蓮が弟子は妙法蓮華経なりと」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻195頁)

 

「当宗の信者当体の妙法蓮華経の法門を讃歎する事は即禅僧皈伏の相なり、当宗の躰とは文の面は宗旨の躰相を讃め玉ふ様なれども元意は当宗当躰妙法蓮華経の法門を讃歎し玉ふ意なるべし」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻196頁)

 

「今末代の我等愚妄の凡夫なれども実本妙法蓮華経を信受し奉れば即身成仏なり」(31世 日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻206頁)

 

「十界互具一念三千妙法蓮華経を以て聖霊に供養する則能施所施悉皆妙法蓮華経即身成仏となす故なり」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻239頁)

 

「名字の初心に宗旨を建立する上は無智迷者の上の信の即本門なり、妙法蓮華経なり」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻255頁)

 

「吾祖の判文に両意有り、一には理に約して以て判す所謂御書の中に妙法蓮華経五字は文に非ず義に非ず唯一部之意のみ云云、又云く法華経一部の肝心妙法蓮華経、二に事に約して而判す所謂御書に云く寿量品の肝心妙法蓮華経云云、(中略)

又理に約する則本迹一致に似たり而も迹門に於て爾前諸経の人法を開会し以て一妙法蓮華経を顕すなり、本門寿量品に到る時には爾前迹門を開会し以て一妙法蓮華経となす(中略)

今本門寿量品の時に至る還て久遠実成の実本に皈入して唯一の妙法蓮華経なり、宗祖所謂独一本門とは是の義なり(中略)

謂はゆる本門の三大秘法の妙法蓮華経是なり(中略)

久遠最初の妙法蓮華経を以て而本門と為す」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻256頁)

 

「又仏法平等と云うは、即法華経開会の法門なり、御書十四三卅云く故に四十二年の夢中の化他方便の法門をも妙法蓮華経の寤の心に摂て心の外に法無し、此の法華経開会と云ふなり」(日因 記『有師物語聴聞抄佳跡上』富要集1巻258頁)

 

妙法の五字は観音の苗字なり何ぞ余経の苗字たる弥陀の名号を唱うるの理あるべけんや(中略)

謂はゆる妙法蓮華経の五字は十方三世の諸仏の御師範、一切衆生成仏得道の大導師なり」(日因 記『日寛上人伝』富要集5巻354頁)

 

 

大石寺三十三代 日元上人(横山阿闍梨日芳)(生存期間 西暦1711-1778年)

 

「然れば数珠即妙法蓮花経の五字、此の五字とは本有無作の本仏の当躰なり」(日芳 記『対俗三衣談』富要集1巻389頁)宝暦元(1751)年12月 祖滅469年

 

 

大石寺三十五代 日穏上人(生存期間 西暦1716-1774年)

 

「御妙判に云く天台伝教の残したまふ秘法何物ぞや所謂る本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経と也」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻194-5頁)著作年不明

 

本門五字之肝要は上行菩薩之付属也」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻196頁)

 

「釈に惣別の二あり一々文々皆金色、如是我聞の上の妙法蓮華経の肝心等は皆是れ惣釈なり」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻198頁)

 

「日蓮日興等末法に出現し本門五字の大良薬を施して下種したまへり(中略)

是れ久遠元初凡夫時成仏の妙法蓮華経を指して無上としたまへり(中略)

法華経の肝心三世十方の仏も妙法五字を種として成仏す」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻200頁)

 

「但し彼は二十四字此れは題目の五字也、是れ即法華の意也」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻203頁)

 

「十章抄に云く妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意而巳云云」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻204頁)

 

「寿量品の非如非異の文を引いて天台は如来如実知見したまふ実相の正躰と判じたまへり、妙楽云く実相の深理、妙法蓮華経云云」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻209頁)

 

「本尊抄に曰く彼れは一品二半此れは題目の五字也彼れは脱此れは種也(中略)

問て云く本迹勝劣ありとも妙法五字は一致なるべし、答て云く難信難解と説くも是れなり(中略)

玄の一に云く此妙法蓮華経とは本地甚深の奥義云云」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻210頁)

 

「御妙判にも本門の妙法蓮華経と云云(中略)

大強精進経に妙法蓮華経と云ふ文あり(中略)

夫れ迹門の妙法五字は本因妙をあらはさん為の朽木がきなることを知るべし」(日穏 記『五人所破抄一覧』富要集4巻211頁)

 

 

大石寺第五十二世法主 日上人(生存期間 西暦1817-1890年)

 

「(前略)斯人行世間の五字は上行菩薩末法の始めの五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさし出して無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり」(妙道院 日霑 記『対破陣門愚難録』富要集6巻128頁)弘化3(1846)年 祖滅562年

 

「謂はく譲り与ふる南無妙法蓮華経云云、此の首題の五字は日本国の在家出家に授与なり、何ぞ朗師一人の限らんや、故に録内三十五・高橋抄に云はく上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に授くべし(中略)

故に本尊抄に云はく釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(日霑 記『対破陣門愚難録』富要集6巻138-9頁)

 

「仏在世に於て結要付属し給ふ事は肝要の五字を一閻浮提に弘通すべきの御付属なり」(日霑 記『対破陣門愚難録』富要集6巻140頁)

 

「無上正法とは何ぞ謂く教主釈尊末世の為に上行菩薩に付属して留め置く所の秘法、日蓮聖人末法弘通の正体たる法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字となり」(日霑 記『第六国諌 日霑諌状』富要集8巻358頁)万延2(1861)年 祖滅580年

 

「今末法に入れば当に本化の上首上行菩薩世に出現し法華本門の本尊と戒壇と妙法蓮華経の五字とを弘通したまふべき時なり」(日霑 記『第六国諌 日霑再諌状』富要集8巻362頁)

 

「祖師日蓮聖人は(中略)建長五年四月廿八日始て五字の妙法を唱へ普く海内に弘通す、是れ(中略)本門寿量文底秘沈の大法、上行付属の法体なり」(日霑 記『第六国諌 日霑再諌状』富要集8巻362頁)

 

 

大石寺第五十四世法主 日胤上人(生存期間 西暦1829-1880年)

 

「三時弘経の次第に準じて正像所弘の爾前迹門の謗法及び当宗内種脱混濫の法華宗を退治し澆季益物の法華本門下種の本尊と戒壇と並に妙法蓮華経の正法を勅崇せられば四海静謐にして万邦安然ならしめん」(蓮華寺 日胤 記『第六国諌 日胤の諌状』富要集8巻363頁)文久2(1862)年 祖滅582年

 

「速に邪法を退治して末法適時の大法本門寿量の文底たる南無妙法蓮華経を信敬せられば、四海自ら静謐にして国安きこと盤石の如くならん」(蓮華寺 日胤 記『第六国諌 日胤の諌状』富要集8巻365頁)

 

「祖師日蓮聖人は釈尊霊山の説法の莚に侍つて本化地涌六万の上首上行大薩埵として親たり結要五字の妙属を禀け寂光の本土に還帰すと雖も敢えて時機を失はず」(蓮華寺 日胤 記『第六国諌 日胤の諌状』富要集8巻366頁)文久2(1862)年 祖滅583年

 

此の五字の大漫荼羅を身に帯し心に存せば諸王は国を扶け万民は難を遁れ、乃至後生は大災を脱るべし等と」(蓮華寺 日胤 記『第六国諌 日胤の諌状』富要集8巻370頁)

 

 

大石寺第五十六世法主 日応上人(生存期間 西暦1848-1922年)

 

「又三大秘法の記に云く本正の修行に付種々ありと雖も且く蓮祖出世の本意に約するときは三大秘法なり、報恩抄に云く本門の教主を本尊とすへしと本尊問答抄に云く法華経の題目を以て本尊と為す可し矣、是則寿量所顕の意地乃至法本尊とは本尊問答抄の意は妙法の五字を以て本尊と為す可き也是は法本尊なりと云々」(大石日応 記『弁惑観心抄』78頁)

 

 

要法寺 日慶上人(慶俊改め)(生存期間 不明)

 

慶俊は後に日慶と称し、日向国日春(仮字「春」は止のかんむりに春に似た字)の舎弟で日郷の弟子である。

 

「然れば法花開会の後は念仏真言等の名字は失せて但妙法蓮華経斗りなり、本迹の開会是れに准じて知る可し南無阿弥陀仏と唱へば未開会の念仏なり、妙法蓮華経と唱へば開会の念仏なり」(慶俊 記『問答記録』富要集6巻7頁)貞和4(1348)年2月 祖滅66年

 

「当家高祖聖人の御本意・如来結要の付属妙法の実義・題目の五字を事として余義を雑えず」(慶俊 記『問答記録』富要集6巻11頁)

 

 

久遠院 日騰上人(便妙日満)(生存期間 西暦1808-1885年)

 

大石寺34代学頭で久遠院と称する。

 

「云く法師品は菩薩の血脈なり、神力品南無釈迦牟尼仏なり。破して日はく宗祖の血脈とは所謂妙法蓮華経是れなり」(便妙日満 記『破七兵衛之邪問書』富要集6巻59頁)天保3(1832)年3月 祖滅550年 寺社奉行に国家諌暁の申状を提出

 

「宗祖は妙法蓮華経の躰即八葉の白蓮華と言ふ、汝念仏と日ふ本師違背の逆人なり」(便妙日満 記『破七兵衛之邪問書』富要集6巻63頁)

 

 

下野浄円寺 日増上人(生没年不明)

 

浄円寺は栃木県小山市(野州都賀郡小薬村)にある日蓮正宗の寺院で、当時の住職である日増上人が、時の寺社奉行に国家諌暁の申状を提出している。

 

「末法に入り本化地涌の応作日蓮聖人出世して法華経の本門の肝心妙法蓮華経の五字を弘通す其れ斯の如し」(浄円寺日増記 『第六国諌 日増諌状』 富要集8巻344頁)万延元(1860)年6月 祖滅579年

 

 

大阪堺本伝寺 日成上人(生没年不明)

 

仙台仏現寺の前住職で、大阪の堺にある古刹・本伝寺の住職である日成上人が、寺社奉行に国家諌暁の申状を提出している。

 

「急ぎ爾前迹門の諸宗及び日蓮宗内種脱雑濫の謗法を対治して末法下種の本門の本尊と戒壇と幷せて妙法蓮華経の五字とを信敬せらる則は以て天下泰平国家安寧の牋たるべし」(本伝寺日成 記『第六国諌 日成申状』富要集8巻351頁)万延元(1860)年 祖滅579年

 

 

 

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