御書に見られる「衆生の成仏」4

 

 

「此の妙法蓮華経とは我等が心性・総じては一切衆生の心性・八葉の白蓮華の名なり是を教え給ふ仏の御詞なり、無始より以来我が身中の心性に迷て生死を流転せし身今此の経に値ひ奉つて三身即一の本覚の如来を唱うるに顕れて現世に其内証成仏するを即身成仏と申す」(一念三千法門415頁)

通解:この妙法蓮華経とは我らの心性であり、総じては一切衆生の心性であり、八葉の白蓮華の名であって、これを教えられたのが仏の御言葉なのです。無始より以来、我が身中の心性に迷って生死を流転してきた身が、今この経に出逢うことができ、三身即一の本覚の如来の名である妙法蓮華経と唱えることにより本覚の如来と顕れて、現世にその内証成仏(衆生が心の内に真理を悟り成仏すること)する事を即身成仏というのです。

※【衆生成仏の別名】内証成仏する事を即身成仏という

 

 

「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、(中略)凡此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡ばず故に皆成仏道とも云ひ又平等大慧とも云う、善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す故に即身成仏と申し一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ」(一念三千法門416頁)

通解:法華経の行者が如説修行するならば、必ず一生のうちに一人も残らず成仏することができます。(中略)およそこの法華経は悪人・女人・二乗・闡提(せんだい:一闡提のこと、善根を断じた者、因果の道理を信じない者、不信謗法の者)を差別しないので、皆成仏道(「皆仏道を成ず」と読み、法華経を信受した衆生が全て成仏すること)ともいい、平等大慧(諸法平等の理を悟り、一切衆生を平等に利益する仏の智慧)ともいうのです。善悪不二・邪正一如と聞くところに、直ちに内証成仏するのです。だから即身成仏といって、一生に証得するゆえに一生妙覚という。

※【衆生成仏の別名皆成仏道とも又平等大慧ともいう

 

 

「須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。」(持妙法華問答抄463頁)

通解:あなたが当然の様に仏になろうと思うならば、慢心のはたほこを倒し、瞋りの杖を捨てて、ひとえに一仏乗の法華経に帰依すべきなのです。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後生の足かせなのです。まことに恥ずべきであり、恐るべきことなのです。

※【衆生成仏への覚悟】慢心や瞋りを捨て一仏乗の法華経に帰依すべき

 

 

「受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小・権実のある中に諸仏出世の本意・衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ、持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり、爰を以て経に云く「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為第一なり」と説き給へり大聖の金言疑ひなし」(持妙法華問答抄464頁)

通解:受け難い人身をうけて、遭い難い仏法に遭いながら、どうして一生を空しく過ごしてよいものでしょうか。同じく仏法を信ずるならば、大小・権実とある中には、諸仏出世の本意であり、衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信ずべきなのです。所持している法華経が諸経に比べて勝れていれば、能く持つ人もまた諸人に比べて勝れているのです。この事を法華経薬王菩薩本事品第二十三には『能く是の経を持つ者は、一切衆生の中でまた第一である』と説かれているのです。仏の金言は疑いないのです。

※【衆生成仏の直道】法華一乗(妙法、南無妙法蓮華経の本尊)を信受する事が第一

 

 

「夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり仏性とは法性なり法性とは菩提なり、所謂釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等・普賢・文殊・舎利弗・目連等、 大梵天王・釈提桓因・日月・明星・北斗・七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神・八部・人天・大会・閻魔法王・上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり」(聖愚問答抄498頁)

通解:さて妙法蓮華経とは一切衆生の仏性の事なのです。仏性とは法性であり、法性とは菩提なのです。いわゆる釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等、普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因、日・月・明星・北斗七星・二十八宿・無量の諸星、天衆・地類・竜神・八部・人界・天界の衆生、閻魔法王、上は非想の雲の上から、下は地獄の炎の底まであらゆる一切衆生が備えている仏性を妙法蓮華経と名づけるのです。それ故、一遍この妙法蓮華経と唱えるならば、一切衆生の仏性が皆呼ばれて、ここに集まる時、我が身中の法・報・応の三身(法身:仏相当の逞しき生命力・報身:仏としての智慧・応身:仏としての顔貌、しぐさ)ともに引かれて顕れ出るのです。これを成仏というのです。

※【衆生成仏の内容】唱題する事により我が身が法・報・応の三身如来の姿となる

 

 

「伝教大師云く『能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す』と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり」(聖愚問答抄499頁)

通解:伝教大師は法華秀句で「能化(教化する人)も所化(教化される人、すなわち弟子)もともに長劫にわたる修行を経ることなく、妙法蓮華経の力で即身成仏する」と説かれています。法華経の法理を教える師匠もまた学ぶ弟子も、直ちに法華経の力で共に仏に成る、との御文なのです。

※【衆生成仏の内容】妙法蓮華経の力で指導者も弟子も共に成仏する

 

                           御書「聖愚問答抄」まで

 

 

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