本物シリーズ - 江戸城大奥 - | Model world

Model world

素晴らしい模型の世界に魅せられました。

最近手を負傷してからほとんど出かけておらず、非日常がどうしても恋しくなったことから近場に癒しを求めて出かけることにしました。

 

久し振りの本物シリーズ。

注目は、本物の江戸城の建物群となります。
(いつもの通り写真は当方のスマホ撮影です)

朝早くから出かけたので、途中所沢で朝食。

私の住むところは、南南西から海軍のホーネットが飛んでくるわ、南からC-130飛んでくるわ、北からC-130やらF-15やオスプレイが飛んでくるわの沖縄県人も真っ青な、24時間航空機騒音のあるところです。夜中の2時だろうが3時だろうが、早朝4時だろうが5時だろうが普通に飛んでます。嘉手納出身の沖縄県人からも、多分日本で一番基地騒音の凄い場所、とお墨付きをもらってます(キチ反対運動は無いけどな)。

負けるとも劣らじ、所沢も凄いですね。

F-4って現役引退してますよね?
知る限りでは航空機の最大級の騒音はファントムなのですが、そのファントムに似た騒音の凄い飛行機が普通に飛んで上空を旋回していきました。ちょっと距離有ったのでシルエットしかわかりませんでしたが、ファントムだったような気がします。

その後も小さいのやら大きいのやら続きましたが、自衛隊?アメリカ軍?地元では無いのであき先生に解説をしていただきたいところですが、兎に角早朝の空を、所沢から東北東へ飛んでいきました。茨城の百里基地方面へ飛んだのでしょうか?

前置きはさておき、江戸城の建物で、現在残っているのは数少ない門や櫓などですが、実は城の建築物でもいくつか移築されて残っているものがあります。

喜多院。

境内には日本三大東照宮の1つ、仙波東照宮もあります。
実はここに、元祖『大奥』は言い過ぎではないと思いますが、3代将軍徳川家光が生まれた部屋や、その乳母であった春日局が居住していた大奥がそのまま移築されています。

残念ながら写真撮影は厳禁なのでご紹介できませんが。

 

春日局が侍女を折檻するために使ったロフトなど、ドラマの様なきれいごとでは無い、少し怖い、そんな優雅な雅な建物が完全に当時のまま残っています。

庭もそのまま移築されていますから、当時の江戸城内に想いを寄せてみるのも良いかも知れません。

現在下駄箱が並んでいるところは土間でお釜が大量に並べられていたところ。
入って社務所のあるところが台所。
将軍などが使用したトイレも残っており、当時将軍が大便をする際は、3人で入り、一人が後ろから皿を出してその上に将軍が大便をし、採便されたものは、都度都度臭いや堅さなどが確認されていたそうです。もう一人は、前で将軍の脇差と刀を預かったそうです。

将軍は風呂は入らず、行水のみだったそうです。着物を着たままお湯を浴びたそうです。
その御着物は、沐浴の際に着る着物で、庶民にも浴衣として普及していたそうです。

東京から離れていたことと、有力な基地があまり無かった為、戦火での消失を逃れ、比較的良好な明治時代の建物が多く残っています。年間観光客は700万人。そこここで中国語や朝鮮語が聞えてきましたが、重要なのは皆大学生や若者だった、ということでしょうか。

古い建物は有効に現代風なアレンジがなされ、おしゃれな雑貨やオリジナルスイーツなどが売られています。

古い建物には儲かっている商家は立派な装飾瓦や、重厚な防火扉を装備しており、隣家との境にある瓦の上には、『うだつ』という壁を取り付けているのが判ります。

実はこの『うだつ』は、屋根の斜面上にこの重さが崩れ落ちない様にセットするのが難しいのか、大変な高額工賃がかかる様で、お金をかければかけるほど、この防火壁である『うだつ』が高く聳えることになり、儲けのバロメータにもなっていたそうです。

○○さん家はなかなか『うだつ』が上がらないねぇ、と囁かれた時代が確かにあった様です。
でも寺社仏閣の参道脇の1丁目1番地の建物は一番『うだつ』も立派で高く、結局は好立地も影響していたことが覗えます。

もう1つ。
川越と言ったらほとんどの人は川越城を想起するでしょう。室町~戦国期で著名となった城の中でも特に大規模な戦闘が繰り広げられた大阪城や川越城は有名です。守手の北条軍には後日武田信玄晴信の軍師となる山本勘助晴幸も従軍しているようですね。

 

 

高校時代の友人が埼玉県立川越高等学校で教諭をやっているのですが、その県立川越高校のあるところが、川越夜戦で有名な川越城のあったところとなります。


最後はグルメ。

川越と言ったら・・・・ウナギ。蒲焼が始まったところでしたか❓

とても著名なお店「おがきく」で『竹』を注文(それでも「たかせ」より安い❕)。

今現在美味しい鰻は、事実上志布志でしか獲れないと私は思ってますが、ここ河越のうなぎも恐らく志布志でしょう。店主は笑って応えてくれませんでしたキョロキョロ

 

悔しいので宣伝ですが、江戸時代に日本で最も有名なうなぎの産地は、浦和、谷田川のうなぎでした。