Panzer-Abteilung Müncheberg
SS-Panzer-Abteilung 503 Panzer Kampfwargen 6
ミュンヘベルク装甲師団
第503SS装甲大隊 第3中隊 第1小隊 4号車
ケーニヒス・ティーガー ゲオルグ・ディアーズ伍長乗車車輛
月姫さんに捧ぐ
ティーガー祭:
このfestは、めぐみさんの機会提供によりお送りいたします。
1945年ベルリン攻防戦において、ボリシェビキ赤軍の迫りくる戦車を相手に無双した最後のティーガーをモチーフに、『The last Tiger』と題して作りたいと思います。
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本日明日も模活は中断。
特に明日は重要な初戦の為、神宮で虎狩りをして参ります。
模活が出来ない時は、資料編で頑張ります。
1945年ベルリン攻防戦。
ここで起こった事実。
それを、自らの危険を顧みずに記録した人たちがいたお陰で、私たちはその一端を垣間見ることが出来ます。
戦場カメラマン。
彼らが見た光景を、公開されている写真で辿ってみます。
1945年1月。
第503SS装甲大隊が、40輌のケーニヒス・ティーガーを受領します。
閲兵式における、第503SS装甲大隊の314号車。車長は、この時からディアーズ伍長だったのでしょうか。シルエットが似ています。
隣は、アレックス・ソマーズ上等兵でしょうか。
戦闘詳報を紐解けば判明しますが、この文章量が半端なくて、全てを読むのは無理。
時間が本当にあれば、遡ってみたいと思います。
ベルリンに引いた際、ディアーズ伍長には納車されたばかりの新車が後日割り当てられます。
1945年4月上旬
ベルリン防衛の為に軍の再編成が進んでいる時のドイツ兵の写真。
体中に給弾ベルトを巻き付けているなんて姿初めて見ました。
右下にはパンツァー・シュレックが写ってます。
ドムの指が墳進で火傷しないように盾が着いています。
ベルリン市内でも大々的な動員令が発動され、多くの市民が武装していきました。
こちらはプロの軍隊の装甲擲弾兵でしょうか。シルエットから国防軍❓
これは撮影日時判りませんが、動員された市民兵?若者?
忠誠を誓うセレモニーなのでしょうか。
こんなのも見たことありません。
この若者も生き残れたのかどうかは判りません。ベルリンの若者は殆ど生き残れなかったはず。
武器を与えられ、恰好だけは立派な兵隊です。
市民の前で、パンツァー・ファウストの射出実演をする将校。スイッチの場所が判ります。
この丸い筒を捻じ込んだものがスイッチの様です。右手に結婚指輪に見入ってしまいました。市民にパンツァー・ファウストの取り扱い説明をしている時の様子です。
動員された青年兵が、訓練の際にPAK40の砲撃音にビビッてびっくりした様子の瞬間です。
ゼーロウ高地には、ハンガリーやポーランドからの敗残兵が続々と集められました。
怪我をしている兵士も多く、表情もどこか曇ってますが、つかの間の休息に笑顔も。手前の眼帯のSS兵士は少尉さん❓
1945年4月初旬に総統府で撮影されたアドルフ・ヒトラー。何を想っていたのでしょうか。
オーデル川、ナイセ川対岸では、遂に赤軍が大砲撃を掛けてきます。
つまり、赤軍が、ドイツ本土へ初めて足を踏み入れることになります。
その数200万。
ピューリッツァー賞でもあげたいヒトコマ。まるで映画のワンシーンの様な写真。
戦場カメラマンは、勿論、赤軍にも随行していました。というより、随行させられました。
カメラマンもタンクデサントの兵士たちと乗車して、横を走り抜けるチェリアビンスクを撮影したもの。この写真は既にオーデル川を越えたジューコフのベラルーシ軍とのことです。
渡河に成功し、ゼーロウ高地を目指します。
T34/85の比較的鮮明な写真ですが、これ撮らされているカメラマンは、共産党の宣伝部としての仕事とは言え、戦場です。
クルスクに似た台地ですが、T34/85が居ることで、ここがドイツ本土であることが判ります。燃料タンク満載のところから、長時間の作戦行動を課された車輛だと思われます。
1945年4月上旬、同じ時期にモスクヴァで撮影された人類史上最も大量殺人を犯した、ヨシフ・スターリン。
公にされない史実ですが、ボリシェビキの組織をタタールの頚城としてモンゴル民族からロシア民族の手に施政権を取り戻す目的で色々と画策したことも記録されています。結果的に東洋式専制君主主義によるソビエト連邦の礎を築きました。
赤軍オーデル川渡河中の戦闘。弾着の水しぶきある中での撮影。
続々と渡河する兵士。近くに弾着。
戦車も続々とドイツ国内へと入っていきます。
これは、赤軍のチェリアビンスクでしょうか。
ドイツ軍視点に戻してみます。
ゼーロウ高地から、侵攻してくる赤軍を対空砲アハトアハトで砲撃する第9軍。
植物で偽装されているところに注目です。
高地へ上ってくる赤軍をライフルで射撃するドイツ兵。
ドイツのカメラマンも危険度では負けていません。
これは見たことある写真ですが、1945年2月くらいの写真かと思っていましたが、確かに2月の服装としては薄着。右の戦車は何❓KV-1❓砲塔が違うような・・
3年間も戦い続けているであろうティーガー1 223初期型の国籍マークは塗布手順の間違えで四隅に黒が残ってます。
赤軍はコサック騎兵も使ったのでしょうか❓移動も早い訳です。北方へ迂回していくジューコフのベラルーシ軍とされます。何だかよく解らなくなってきました。
弾着観測。その場所に赤軍兵が居る、ということです。現実です。
ドイツ軍の通信機器。何だか初期の頃の軍装みたいです。国防軍であることは判りますが、本当に1945年❓
多分ゼーロウ高地方面からベルリン方面へ向かう(撤退していく)兵士なのでは❓笑顔も見られますが服装もバラバラで末期感が漂います。
同じ構図でも、こちらは避難するベルリン市民。
包囲される前に、西側へ行こうとするものかと思われます。写真の影から、西に向かっていることが明白です。即ち彼らの後方にベルリンがある、ということでしょう。この風景からポツダムの郊外でしょうか。
写っている兵士全員髭面、というところが激戦で髭を剃る暇を与えなかったことを示しています。ベルリンの兵士を再現する上でもこの髭面というのは重要な観点かも知れません。
動員された青年兵でしょうか。パンツァー・ファウストの大きさからすると、小柄な方だと思われます。この方の表情、いたたまれません。生き残れたのでしょうか。
変なヘルメットだな、と左側面を見たらドイツ空軍兵士。整備士とかなのでしょうか。
空を見上げる目が何とも・・・。
武装親衛隊装甲擲弾兵❓
消耗も激しいものがありましたが、強力な武装は最後の最期まで赤軍を苦しめました。彼らはSSだったというだけで降伏を許されず、降伏しても見せしめに殺害されたり、と恨みを買う対象であったことから、末期は一層悲壮感が漂います。
凄く鮮明なカラー写真ですが、誰だか判りません。襟章から見ると・・・少将❓
顎割れてます。表情から心の奥底で敗北を確信していることでしょう。それが表情に出ている気もします。
代表的なゲルマン人のイメージはこうであって、野獣のイメージがありますが、それはイタリア人からの見方が日本に輸入された偏見からでしょう。北斗の拳では鋼鉄の身体を持つ男のモデルになったホーガンですが、ケンシロウに瞬殺されてますね。
一方で、同じゲルマン民族でありながら、ナチス党員は青白で神経が繊細そうな方が多い気がします・・・・
赤軍はついにベルリン郊外に達しつつ攻撃の手を更に激しくしてきます。
この時第9軍は壊滅状態になりつつも、ベルリン方面に何とか撤退しつつありました。
1945年4月10日を過ぎると、ベルリンまで数十kmの地点まで赤軍は迫ります。
何だか判らない戦車が写っていたので、載せてみました。
ベルリン市内では、動員令が学生たちにもかかってきます。
学業の機会を奪われた学生の、その表情を見るのは辛いところです。
これは、恐らく1945年4月初旬、ゲッペルスが閲兵した新規動員兵の行進の際に撮影されたものではないでしょうか。
これ、ゲッペルス首相ですよね❓シルエットからして間違えないと思いますが・・・
勝利と言う虚像を信じていたのはこのゲッペルスだけだと思います。
ヒトラーでさえ勝利は無理であろうことを確信していたと考えられます。
同じく、55歳以上で招集された老兵。
彼らの表情に見入ってしまいます。
迫りくる赤軍のことは承知していたでしょう。本当にいたたまれません。
後に、訓練も漫ろに駆り出された彼らがバタバタと倒れていくことに心を痛めたSS少将モーンケは、ヒトラーに残る市民の脱出を進言しますが、却下されたそうです。
まだ包囲される前の最後のチャンスでした。
まるでドラマのワンシーンですが。
動員兵の訓練時の写真と考えられます。
時系列的には後になりますが、12歳、13歳の少年も動員されました。
これはヒトラー・ユーゲントのパンツァー・ファウストを構える少年。
というか、子どもですね。
ヒトラー・ユーゲントの少年であれば、最大の激戦地であるライヒス・タークに配置された様ですので、ほぼ全員亡くなっていると考えられます。
忠誠心の高い志願少年、少女を中心として構成されているヒトラー・ユーゲントのことを、後日必ず調べてみたいと思います。
赤軍はベルリンの目と鼻の先に迫ってきます。
本日の目玉の写真。
M4シャーマンはシャーマンでも赤軍の使用したシャーマンです。
タレット番号は「334.」相変わらず手書きで汚い字。
それは現代でも同じで「Z」と描かれていたりするところに継承されているのでしょうか。
迫る赤軍の戦車は数千輌。形状から、チェリアビンスクと思われる戦車。
カチューシャで雨の様にロケット弾を撃ちまくる赤軍。その前を移動する赤軍将校ら。
事実を記録した写真からベルリンに迫る赤軍とベルリンに留まるドイツ人の対比がとても興味深いのですが、これから始まる悲劇を第2段としてまた後日取扱いさせていただきたいと思います。
あらためてまとめさせていただいて思うのが、写っている人々が戦没されている場合が多いということ。
ご覧になられた皆さんが、少しは先の大戦を考えるきっかけになれば、と思います。
では。
お休みなさい😴💤
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