闇の世界に生きたジョージ・H・W・ブッシュが死亡
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812010001/
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ジョージ・H・W・ブッシュが11月30日に死亡したという。
1989年1月から93年1月までアメリカ大統領を務めたが、CIAの人間でもある。
1976年1月から77年1月までCIA長官を務めたというだけではなく、大学でCIAにリクルートされたと言われているのだ。
彼は1924年6月にマサチューセッツ州で誕生、第2次世界大戦では海軍の所属し、45年9月に除隊してエール大学へ入学した。
その大学でCIAの採用担当者だったボート部コーチのアレン・ワルツは海軍情報部の将校だった人物で、ブッシュと親しかったことで知られている。
ジョージ・H・W・ブッシュの父親であるプレスコット・ブッシュは1953年から63年にかけて上院議員を務めたが、その前は金融界の人間。
こうした関係からプレスコットはウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。
言うまでもなく、ダレスは第2次世界大戦で戦時情報機関のOSSで破壊工作を指揮、ホワイトハウスとは関係なく実行されたナチス幹部の救出を目的とするサンライズ作戦で中心的な役割を果たした。
大戦後はCIAのドン的な存在だ。
プレスコットの義理の父親にあたるジョージ・ハーバート・ウォーカーはウォール街の大物で、アメリカの金融機関からナチスへ資金を流す重要なパイプ役を務めていたと言われている。
なお、ジョージ・H・W・ブッシュの「H・W」はハーバート・ウォーカーのイニシャルだ。
ジョージ・H・W・ブッシュがCIAの幹部だったことを示す文書が明らかになっている。
アメリカの週刊誌、ネイションの1988年7月16/23日号でジョセフ・マクブライドが明らかにしたのである。
J・エドガー・ブーバーFBI長官から国務省に出された1963年11月29日付けのジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関係した文書に、「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」という記述があることを彼は見つけたのだ。
ケネディ大統領が殺されたのはその1週間前だ。
この報道に対し、CIAは「別のジョージ・ブッシュだ」と主張、信憑性を持たせようとしたのか、CIAのスポークスマンはAPの記者に対して「その人物は1963年当時、本部にいたジョージ・ウイリアム・ブッシュに間違いない」と話したのだ。
ところが、そのジョージ・ウイリアム・ブッシュはマクブライドに対し、文書に出てくるブッシュは自分でないと語っている。
フーバーが出した文書はブッシュがCIAの幹部だということだけでなく、ケネディ暗殺に関する詳しい情報を持っていることを示唆しているだ。
この暗殺にCIAの破壊工作部門が関係している疑いは濃厚で、ブッシュが暗殺に関係していた可能性があるということだ。
ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任する約1年半前、リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚し、副大統領のジェラルド・フォードが昇格している。
この政権ではデタント派が粛清され、ネオコンが台頭している。
議会で情報機関の秘密工作の一端を証言したウィリアム・コルビーCIA長官も排除されたひとり。
国防長官のジェームズ・シュレシンジャーを辞めさせられたが、その後任はネオコンのドナルド・ラムズフェルドだ。
ニクソン時代、ヘンリー・キッシンジャーはチリで民主的な政権を軍事クーデターで破壊した。
そのクーデターを指揮したオーグスト・ピノチェトはアメリカの傀儡として軍事独裁体制を築き、ラテン・アメリカにあったほかの軍事政権と協力して反体制派を暗殺する国境を越えたコンドル作戦を展開した。
その作戦の犠牲になったひとりがオルランド・レテリエル元チリ外務大臣。
1976年9月、アメリカの首都であるワシントンDCで乗った自動車が爆破されたのだ。
コンドルを実行していた軍事政権の情報機関はCIAの指揮下にあった。
暗殺当時のCIA長官はブッシュにほかならない。
ブッシュは1981年1月から89年1月にかけて、つまりロナルド・レーガン政権で副大統領を務めているが、その間、イランへの武器密輸やニカラグアの反革命ゲリラ支援工作を指揮している。
この政権で始まったCOGプロジェクト(戒厳令計画)でも中心的な役割を果たした。
エール大学時代からブッシュと親しかったひとりにジェームズ・リリーという人物がいる。
リリーは1928年1月に中国の青島で誕生、46年にエール大学へ入学、51年にはCIA入りしたと言われている。
ブッシュはCIA長官になる前に中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めていたので、ふたりとも中国との関係が深いと言える。
1989年1月に大統領となったブッシュは同年4月20日にリリーを中国駐在大使に据える。
その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったと言われている。
なお、ロードは大使を辞めた数カ月後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。
リリーが大使に就任する5日前に胡耀邦(こようほう)が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。
胡耀邦は趙紫陽と組んで新自由主義を中国で推進していた人物。
鄧小平を後ろ盾にしていた。
そうした活動が展開された背景では新自由主義的な政策による社会の不安定化があった。
5月には戒厳令が敷かれ、6月を迎える。
抗議活動には投機家のジョージ・ソロスから中国改革開放基金などを通して資金が流れ込み、リリーをはじめとするCIA人脈が関係していた。
そうした活動の指導グループには方励之、柴玲、吾爾開希などが含まれていた。
なお、天安門事件についてはすでに書いてきたので今回は割愛する。
指導グループは抗議活動が沈静化した後にイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。
このルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのSIS(通称MI6)だ。
吾爾開希はハーバード大学で学び、それから台湾へ渡っている。
この当時、ブッシュたちがイスラエルのモサドを介してソ連でKGBの中枢に巣くう腐敗集団と手を組み、1991年にはクーデターを成功させることになる。
ハンマー作戦だ。
これについても本ブログで書いてきたので、今回は割愛する。
ブッシュは中東にもネットワークを持っていたが、その代表的な人物がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン、通称バンダル・ブッシュ。
1983年10月から2005年9月まで駐米大使、2005年10月から2015年1月まで国家安全保障会議の事務局長、2012年7月から2014年4月まで総合情報庁長官を務めた。
(了)
George Bushって、どこの誰だったの?
はい、↓ここみてね。「Jewish Calendar for soldiers and sailors」という小冊子。
Mathias Bushっていうチェコのユダヤ人が、欧州で「ユダヤ人排斥令」に遭遇して、米国フィラデルフィアに移民した。
(P.15)その息子3人がアメリカの独立戦争で活躍した。
そのうち、George Bush(P.16)の一族は、以後、二人のアメリカ大統領を輩出した。
というか排出した。
隠れユダヤ人として。
一族は、ヒットラーのナチスのビジネス・パートナーとしても有名。
つまり、ろくなもんじゃない。
ということで、今回死んだのは、この一族の末裔で、CIA長官になって、アメリカをコカイン漬けにした功績で、故デービッド・ロックフェラーじいさんから大統領に任命されたヤツ。
以上、説明、終わりっ。
ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領が死去 94歳
https://www.asahi.com/articles/ASLD14KGGLD1UHBI00P.html