サウジアラビアの動向と朝鮮半島の茶番劇 | きなこのブログ

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米国の支配システムを支えているサウジアラビアの動向に世界が注目する中、朝鮮半島舞台に茶番劇
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201711250000/
 
現在、世界で最も注目されている国はサウジアラビアだろう。
 
世界有数の石油産出国だというだけでなく、ドルを基軸通貨の地位へ留める上で重要な役割を果たしてきたからだ。
 
すでに生産能力を手放し、教育制度を崩壊させたアメリカは基軸通貨を発行する特権、生産活動ではなく通貨を発行することでかろうじて生き延びている。
 
発行した通貨をアメリカの金融システムへ循環させる上でサウジアラビアは中心的な役割を果たしてきた。
 
石油取引の決済をドルに限定することで世界のドル需要を維持し、受け取ったドルをアメリカへ戻すモーターとして機能したのである。
 
いわゆるペトロダラーの仕組みだ。
 
この仕組みに協力する代償は、国の安全保障と支配層の地位や資産の保証。
 
サウジアラビアの動向はアメリカの支配システムと密接に結びついている。
 
どこかの国を除き、朝鮮半島の茶番劇は「チラ見」されている程度だろう。

 

 
中国との全面戦争を覚悟しないかぎり、アメリカが朝鮮を攻撃するとは思えない。
 
アメリカは朝鮮をテロ支援国リストに載せたらしいが、アメリカは世界最大のテロ実行国であり、テロ支援国でもある。
 
笑えないジョークだ。
 
ペトロダラーを必要とした最大の理由はアメリカ経済の破綻にある。
 
1971年8月にリチャード・ニクソン大統領がドルと金との交換停止を発表したが、それもひとつの結果だ。
 
それ以降、アメリカはコロガシを始める。
 
ドルの地位を維持するために産油国を使った循環システムが生み出された。
 
その当時のサウジアラビア国王ファイサル・ビン・アブドル・アジズは反ソ連だったものの、1970年9月に急死したエジプトのガマル・ナセルに替わってヤセル・アラファトPLO議長を支えた人物で、アメリカの言いなりはなっていなかった。
 
ナセルの後任はヘンリー・キッシンジャーの操り人形だったアンワール・サダト。
 
新大統領は左翼を弾圧する一方、ムスリム同胞団をカイロへ呼び戻し、サウジアラビアとの同盟を打ちだしてイスラエルやアメリカとの関係を修復している。
 
1972年7月にはソ連の軍事顧問団をエジプトから追い出した。
 
そのサダトが1973年10月にイスラエルが支配していたエジプトやシリアの領土を攻撃、第4次中東戦争が始まる。
 
キッシンジャーはエジプトとイスラエルの戦争を仕組み、エジプトを勝たせ、サダトのイスラム世界における影響力と高めようとしたとも言われているが、この時にイスラエル政府は核兵器の使用を協議している。
 
この戦争が始まると産油国は原油価格を4倍に引き上げているが、​この値上げは開戦の5カ月前、1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議で決まった​とザキ・ヤマニ元サウジアラビア石油相は話している。
https://www.theguardian.com/business/2001/jan/14/globalrecession.oilandpetrol
 
この会議を開いたのはビルダーバーグ・グループだ。
 
当時、ファイサル国王はエネルギーのライバルを利するとして値上げを嫌っていた。
 
そのファイサル国王は1975年3月、執務室で甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺された。
 
ジャーナリストのアラン・ハートによると、クウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいたビン・ムサイドはアメリカで活動していたモサド(イスラエルの情報機関)のエージェントに操られていたという。
 
ギャンブルで負けて借金を抱えていたビン・ムサイドに魅力的な女性を近づけ、借金を清算した上で麻薬漬けにし、ベッドを伴にしたりして操り人形にしてしまったというのだ。
(Alan Hart, “Zionism Volume Three,” World Focus Publishing, 2005)
 
暗殺の前年、アメリカではニクソンがウォーターゲート事件で辞任、ジェラルド・フォードが副大統領から大統領へ昇格している。
 
フォード政権の時代にアメリカではデタント派が粛清され、ネオコンが台頭したことは本ブログで何度か指摘した通り。
 
ファイサル国王が暗殺された後、当初は第一副首相として、1982年から2005年まで国王としてサウジアラビアを統治したファハド・ビン・アブドル・アジズは親米派として知られている。
 
アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を始め、77年にジミー・カーターが大統領になるとズビグネフ・ブレジンスキーが国家安全保障担当の大統領補佐官に就任、78年には王政時代のイランと手を組んでアフガニスタン工作を本格化させる。
(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)
 
ブレインスキーはサウジアラビアの協力でサラフィ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする戦闘集団を編成、1979年4月にCIAはそのグループに対する支援プログラムを始める。
 
5月にはCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談した。
 
そのセッティングをしたのがパキスタンの情報機関ISIだ。
(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991)
 
雇われた戦闘員には武器/兵器が提供され、CIAが訓練している。
 
​ロビン・クック元英外相が指摘​しているように、こうした軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストが「アル・カイダ」だ。
 
ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。
https://www.theguardian.com/uk/2005/jul/08/july7.development
 
1979年11月にソ連の情報機関KGBは特殊部隊を、また12月には対テロ部隊をカブールへ派遣、その直後にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事介入した。
 
後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、戦闘集団を作り、戦乱を広めたことを後悔していないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。
(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998)
 
ブレジンスキーの弟子だと言われているバラク・オバマ大統領はこの手法を使い、リビアとシリアを侵略した。
 
アフガニスタンの成功体験が影響したのだろうが、失敗した。
 
サウジアラビアはイスラエルと同じようにブレジンスキー時代からアメリカと手を組んで侵略戦争を実行しているのだが、シリアで敗北、イエメンへの軍事侵攻は泥沼化、カタールを従属させようとして失敗、苦境を乗り切るためにモハメド・ビン・サルマン皇太子はイスラエルやアメリカと手を組んでサウジアラビア支配層の粛清を始めた。
 
アメリカの好戦派は中東で新たな戦争を目論んでいるが、状況は悪くなるだけだろう。
 
それが人類の死滅へつながる可能性もある。
 

 

サウジアラビアの自滅
http://tanakanews.com/171119saudi.htm
 
フランスのマクロン、サウジアラビアによる侵害を隠蔽
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-d6dd.html

 

 

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