官僚組織 | きなこのブログ

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世界基準では、官僚組織とは、


“選挙で選ばれてないため、有権者に対して責任を負わない行政管理者”


と定義されている人々である。

官僚たちは、どうして一般の人々と違った、あんな身勝手ことができるのだろうか。


それは官僚たちが、実際に持っている権限と見合わない程度の、小さな責任しかとらなくていいからだ。


官僚は、有権者に対して責任を負わない。


負わないということは、責任をとらないということだ。

責任をとらないということは、自分たち官僚を守るために、何でもするということだ。

何でもするということは、官僚は、国民のことなど考えないということだ。

考えなくてよいのだから考えない。

国民全体の利益を考えなくてよいのだから考えない。


とてもシンプルだ。



しかし、問題なのは、国民の利益を考えなくてよいこの官僚たちが、国民に対しての実質的な国家権力・権限を持っていることだ。


小沢一郎が、公務員制度改革法を改正しようとしたことがよく分かる。

国民に対して国家権力・権限を持っていれば政治プレーヤーである。


政治プレーヤーには2種類ある。

一方は選挙で選ばれた政治家である。


政治家は選挙に当選するという形で国民から選ばれ、議員になり国民から権限を与えられる。


そして自分たちが失政を行えば、次回の選挙で落選し、国民に対して責任をとらされる

もう一方のプレーヤーは官僚である。


官僚は、仲間の先輩の官僚たちから試験で選ばれ、仲間の官僚たちから引き立てられることで、権限(特権)を与えられる。


しかし公的な責任はとらない。


官僚は公的に選挙で選ばれることはないから、官僚の責任は、かえって誰にも気付かれない。

官僚は責任をとらない。


政治家は責任をとる。


だから責任をとらない官僚は、責任をとる政治家たちの下に仕える仕組みになっている。


政治家は、官僚にとって、上司である。

ところが実際の日本の現実では、官僚は上司である政治家のいうことを聞かない


官僚たちは、政治家の意志とは関係なく、官僚にとって都合のよい行動をとる


官僚は、自分たちの上司である政治家や、政治家を選ぶ国民の意思に反して、官僚たちにとって都合のよい行動を選択する

どうしてそういう不正なことができるのか。


それは官僚が責任をとらないからだ。


政治家と違い、責任をとらない官僚のもつ権力を測定してみると、表向きはゼロだ。


だが実際は、官僚の持っている権力はゼロではない。

まず官僚は自分たちの判断で金額を決められる予算の権限を握っている。


自分たちで予算を使い、権力を行使しているにもかかわらず、責任をとらない


官僚のもっている権力が目に見えにくいのは、官僚が公的な責任をとらないからだ。

この丸儲けのような官僚が実際に持つ権力は、土地の「含み資産」のようなものである。


今後、この官僚の「含み資産」のような権力をどうやって減らし、どうやって官僚に責任をとらせていくか、それは、国民に対して責任をとることのできないような官僚を、権力の行使できる地位につけないということである。

公務員たちに行政をやらせてはならない。


彼らは成立した法律を正しく執行する事務員に過ぎない。

それにはやはり、鳩山・小沢政権時の、小沢改革しかないようだ。

「霞が関」の官僚