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美色【モテイロ】コーディネーター★木村碧です
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45歳の初産 ゴールの見えない旅路
~ピンク色を身に纏い、挑戦し続けた7年間の妊活記録~
第 1回 はじめに http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12195272584.html
第 2回 治療へのきっかけ http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12195536398.html
第 3回 初めての不妊外来 無知なワタシ http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12196520917.html
第 4回 とまどい・約束ができない・・・ http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12197809653.html
第 5回 二人では越えられない壁 http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12199078593.html
第 6回 番外編 試したこと① 不妊鍼治療 http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12200035195.html
第 7回 そして 体外受精へ http://ameblo.jp/kimuramidori/entry-12200655732.html
今回は 第8回 『いのちのタイムリミット』 です。
第7回で、ようやく 体外受精をスタートさせ、よし、これで頑張るぞと思った矢先、
孫の誕生を誰よりも心待ちにしていた父の身体に異変が生じました。
2010年の秋も終わりの頃でした。
検査の結果、肺がんの疑い。
さらに精密検査を受け、主治医の先生からのお話を父と母、三人で受けました。
それは、
肺がん ステージ4。
余命宣告は本人の希望で、直接は聞かず。
後に私が先生のところに引き返し、尋ねたところ
もって8ヶ月。
それほど、かなりの進行具合だったのです。
この時の
一瞬 時間がとまったような感覚は、
一生忘れられません。
なんでもっと早く、無理やりにでも病院に連れていかなかったのだろう。
自責の念で一杯になりました。
私は、溢れる涙を、化粧室で無理やりとめて、
何とか気持ちを落ち着かせ、父の病室へと戻りました。
父は病気に負けない。頑張る意思を見せていましたから、私がへこたれてはいけません。
「私も治療を頑張るし、お父さんも頑張ろうね」
そんな言葉を伝えたような気がします。
その時の父はまだ 食欲も旺盛で一見とても健康そうに見えました。
8か月後、この世からいなくなってしまうとは、にわかに信じられませんでした。
もしかしたら・・・
妊娠したら・・・
孫が誕生したら・・・
寿命が延びるかもしれない。
そんなわらにもすがるような 期待。
私はさらに治療を加速しました。
結局、前回で採取した 胚盤胞は残念ながらその後の移植では至らず。
時はすでに、2011年が明けておりました。
その頃になると、父の状態も少しずつ変化が生じてきました。
明らかに病魔が近づいているかのようでした。
もしかしたら、
孫の誕生には間に合わないかもしれない。
かなり焦ってきました。
私達、夫婦の挑戦を応援してくれていた父へ、安心させてあげることはできないのかと、とても悲しくなりました。
でも、なんとか治療をすれば、
孫ができたと 父の最期までに伝えてあげることはできるのではないか。
あの頃の私は、相当思い詰めていたと思います。
今回のタイトル
『いのちのタイムリミット』 とは、
すなわち、父のタイムリミットでもあり、
私にとっての
命を生み出すタイムリミットでもありました。
何とか 妊娠したい。
その義務感、使命感に駆られ、次の採卵へ。
すると、Aランクの卵が採取できたのです。
次の移植には、期待が持てるのでは。
かすかな希望が持てた
瞬間でした。
ここまでご覧いただきまして、ありがとうございました<m(__)m>
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