あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





パリサイ人たちが出てきて、イエスを試みようとして議論をしかけ、天からのしるしを求めた。

イエスは、心の中で深く嘆息して言われた、
「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。
よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない」。

そして、イエスは彼らをあとに残し、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、舟の中にはパン一つしか持ち合わせがなかった。

そのとき、イエスは彼らを戒めて、
「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とを、よくよく警戒せよ」
と言われた。

弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないためであろうと、互に論じ合った。

イエスはそれと知って、彼らに言われた、
「なぜ、パンがないからだと論じ合っているのか。
まだわからないのか、悟らないのか。
あなたがたの心は鈍くなっているのか。

目があっても見えないのか。
耳があっても聞えないのか。
まだ思い出さないのか。

五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか」。
弟子たちは答えた、
「十二かごです」。

「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに拾い集めたか」。
「七かごです」
と答えた。

そこでイエスは彼らに言われた、
「まだ悟らないのか」。













しるしを求めるのは、証拠が欲しいということです。

本当に神から来ているのか、と言うことですが、聞いて信じることが信仰ですから、先ず一生懸命聞くことです。

救われる証拠がほしくて、パウロの言葉を信じてしまうのです。

救われるという証拠は無いのです。

あなたの信仰しだいです。

どこかの時点でもう大丈夫だとはなりません。

裏切る可能性は最後まであるのです。

イエス様を信じるというのは、イエス様を土台とすることです。

人の考えを土台にしてイエス様を信仰することはできないのです。

だから、人の考えに気をつけなさいと言われているのです。

イエス様の奇跡を見たのに、まだ人の考えに迷っているのか。

イエス様の言葉を聞いたのに、まだ人の教えを土台としているのか。

なぜ、イエス様を信じることができないのか。

イエス様が神から来たという証拠は与えられないし、自分が救われるという証拠も与えられませんから、イエス様を信じるしかないのです。

人の考えの中に神は入りません。

何でもかんでも人の思い通りには進みません。

人の思いとイエス様の思いが違うから、自分の思いを捨ててしまって、イエス様の思う通りに従って行くのです。

救われたいからとか、神様だから、という理由ではなく、イエス様の思いに自分を合わせて行くのです。