あなたに平安がありますように。
あなたが救われますように。
イエス様のみこころのとおりになりますように。
そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、
「この群衆がかわいそうである。
もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。
もし、彼らを空腹のまま家に帰らせるなら、途中で弱り切ってしまうであろう。
それに、なかには遠くからきている者もある」。
弟子たちは答えた、
「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。
イエスが弟子たちに、
「パンはいくつあるか」
と尋ねられると、
「七つあります」
と答えた。
そこでイエスは群衆を地にすわるように命じられた。
そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、人々に配るように弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配った。
また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。
彼らは食べて満腹した。
そして残ったパンくずを集めると、七かごになった。
人々の数はおよそ四千人であった。
それからイエスは彼らを解散させ、
すぐ弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方へ行かれた。
憐れむ、感謝する、祝福する、与える。
日月神示には与える政治と書かれていますが、乗り物もタダ、税金も無し、必要な物もタダ、働かない人にも食べさせよ、です。
それでなぜうまく行くかと言えば、神様の言うことだからです。
神に従わないで同じことやってもうまく行かないのです。
神があるか、無いかで全く意味が違うのです。
神の御心であれば、七つのパンを四千人に分け与えることができて、さらに七かごも余るのです。
足りないということがないのです。
誰一人として不幸にならないということです。
今の世はどこかに有り余るほどあるのに、どこかでは足りなくて人が死んでしまっているのです。
売れない食べ物は大量に捨てる世界です。
互いに憐れんで何でも分け合うなら、足りないこと無いのです。
貧しい人も大金持ちもいなくなるのです。
誰でも幸せになれるのです。
殺す人がいないからです。
今では誰かが大金持ちになるために、大勢の人が貧しくて苦しんでいるのです。
今の世のことを褒めることは今の世のやり方を褒めることです。
人苦しめるやり方ではならないのです。
イエス様の御心に反するからです。
この世の人たちが、かわいそうです。
イエス様という救いがあるのに、みんな飢えている。
キリスト教はパウロの言葉を教えているから、誰も救われなくなっている。
正しいことをしているなら、なんでこんなにイエス様の言ったことが誰にも知られていないのか。
イエス様の御言葉を食べることが幸いです。