あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。
そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。

そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。

この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。
そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。

イエスは女に言われた、
「まず子供たちに十分食べさすべきである。
子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。

すると、女は答えて言った、
「主よ、お言葉どおりです。
でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。

そこでイエスは言われた、
「その言葉で、じゅうぶんである。
お帰りなさい。
悪霊は娘から出てしまった」。

そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。














子供と小犬では子供の方が上です。

小犬を大事にして子供を飢えさせる親は親ではないのです。

正しい順序にすることです。

人と神では神が上、人が下です。

これが逆になっているのが今の世です。

神が無く、自分が神となっているので、戦いが終わらず殺し合いになるのです。

神が絶対に上ということがわからないから、パウロの言葉をイエス様の御言葉と等しく信じるようになるのです。

人の言葉は絶対ではありません。

イエス様の御言葉は永遠に絶対です。

だからイエス様の御言葉を最後まで守ることです。

人の言葉を守っても救われないのです。

イエス様が全ての権威を持つからです。

アダムの時のように先に知識を食べるのではなく、先に命を食べることです。

知識をどれだけたくさん食べても死んでしまうからです。

女は謙ったのです。

一番下にいて、イエス様の御言葉を求めています。

自分は何よりも一番下になって、虐げられている貧しい人たちと一緒にいて、平和を生み出し、苦難を共に耐え忍ぶことです。

自分が高いと、貧しい人たちと一緒にいることはできません。

自分のことをつまらない、取るに足りない、価値のない屑のような存在にしていないと、下にいる人々にイエス様の御言葉は届きません。