いくら利巧でも今迄の人間心では神の仕組は分からんぞ、
帰るに帰れず、
他を探しても根本のマコトを伝へる所はなし、
泣く泣くつらい思ひせねばならんぞ、
くどう気をつけてゐるのざぞ、
慢心取り違ひの鼻高さん、
路頭に立たねばならんぞ。



あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。
廃するためではなく、成就するためにきたのである。

よく言っておく。
天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。
しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

わたしは言っておく。
あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

昔の人々に
『殺すな。
殺す者は裁判を受けねばならない』
と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。
兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。
兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。
また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。

だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、

その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。

あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。
そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。

よくあなたに言っておく。
最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

『姦淫するな』
と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。
だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。

もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。
五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

また
『妻を出す者は離縁状を渡せ』
と言われている。

しかし、わたしはあなたがたに言う。
だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。
また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。

また昔の人々に
『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』
と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。
いっさい誓ってはならない。
天をさして誓うな。
そこは神の御座であるから。

また地をさして誓うな。
そこは神の足台であるから。
またエルサレムをさして誓うな。
それは
『大王の都』
であるから。

また、自分の頭をさして誓うな。
あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。

あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。
それ以上に出ることは、悪から来るのである。

『目には目を、歯には歯を』
と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。
悪人に手向かうな。
もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。

もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

求める者には与え、借りようとする者を断るな。

『隣り人を愛し、敵を憎め』
と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。
そのようなことは取税人でもするではないか。

兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。
そのようなことは異邦人でもしているではないか。

それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
















殺してはならないということは当たり前のことですが、人に怒ってもいけません。

自分が正しいと思うから、人が間違いに見えて怒るのです。

正しいお方はイエス様だけであり、全ての人は間違うのですから、お互いにあわれんで許すことです。

人と喧嘩をしたままでは平安が無いので、そのまま信仰することはできませんから、仲直りする努力を精一杯しなければなりません。

私たちイエス様の信仰者は、全ての人から憎まれるので、全ての人と和解しなければいけません。

姦淫しなくても、心で思うだけで姦淫となります。

だから、女を性的に見る目を抜き出して捨て、求めて伸ばす手を切って捨てることです。

求める自分を許さないことです。

神が合わせたものを離してはならないので、離すなら姦淫となります。

誓うなというのは、人は約束を守れないからです。

自分は何もできないことを自覚しなければなりません。

イエス様の言う通りであるか、そうではないのか、それが正しい基準です。

自分は正しくないのです。

悪人と戦う必要はありません。

するままにさせておいて良いです。

何でも取らせて良いです。

敵を愛するためです。

自分を憎む人を愛し、自分を殺そうとしている人に礼儀正しく親切にすることです。

イエス様がそうしたからです。

イエス様に似た者となることです。