あなたに平安がありますように。

昨日疲れて寝てしまいました。
至らずに申し訳ありません。
悔い改めます。

弟子の言葉はイエス様の御言葉とは違います。

人の言葉をイエス様の御言葉と同じに扱わないことです。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





愛する者たちよ。
わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。

それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。

まず次のことを知るべきである。
終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、

「主の来臨の約束はどうなったのか。
先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」
と言うであろう。

すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。
古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、

その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。

しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

愛する者たちよ。
この一事を忘れてはならない。
主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。
ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

しかし、主の日は盗人のように襲って来る。
その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、

極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。
その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

愛する者たちよ。
それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。

また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。
このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。

彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。
その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。

愛する者たちよ。
それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。

そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。
栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。

















終わりの日とは、それが来るその時までは、今までと同じ日が続きます。

だから、今までと同じ日々がこれからもずっと続くと思えるという、それだけです。

人がどう思うかという思いと、イエス様の預言との違いです。

神は洪水で世界中を一度に滅ぼすことができるのですが、今この時は滅ぼさないで、最後の時まで忍耐されているのです。

それは全ての人が悔い改めるためです。

このままこの世が続いて行くというのは不可能です。

新しい世になることは決まっているので、悔い改めが必要なのです。

神が在るのに、神無しで進んで行くことはできません。

人が自分の欲望を満たすために生きたら、意味が無いのです。

殺し合い、奪い合い、騙し合っているうちに、誰も生きる意味がわからないまま死んでしまいます。

イエス様の救いしかないのです。

人には救いはありません。

パウロもペテロもヨハネも人を救うことはできません。

信じるのはイエス様です。

イエス様を信じるように言うのが弟子です。