臣民が本当の務めしたなら

どんなに尊いか


今の臣民には見当とれまいがな

神が御礼申すほどに

尊い仕事出来る身魂ぞ




この神示声立てて読みて下され

と申してあろがな


臣民ばかりに聞かすのでないぞ


守護神殿、神々様にも

聞かすのぞ


声出して読みてさへおれば

よくなるのだぞよ


じゃと申して

仕事休むでないぞ


仕事は行であるから

務め務めた上にも

精出してくれよ


それがまことの行であるぞ



いつも訪問して下さり

ありがとうございます


本日の反芻です


どうぞ宜しくお願いします



ヨハネによる福音書 

第九章 反芻


イエス様が道を通っておられる時に生れつきの盲人を見られた


弟子達はイエス様に尋ねて言った


「先生、この人が生れつき盲人なのは誰が罪を犯したためですか


本人ですかそれともその両親ですか」


イエス様は答えられた


「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない、ただ神の奇跡が彼の上に現われるためである


わたし達は、わたしを派遣された方の証明を昼の間にしなければならない


夜が来ると誰も働けなくなる、わたしがこの世にいる間は世の光である」


イエス様はそう言って地に唾をしてその唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って言われた


「シロアム(つかわされた者・派遣者)の池に行って洗いなさい」


そこで盲人は行って洗った


そして見えるようになって帰って行った


近所の人々や、彼が元は乞食だったのを見知っていた人々が言った


「この人は座って乞食をしていた者ではないか」ある人々は「まさにその人だ」と言い、他の人々は「違う、ただあの人に似ているだけだ」と言った


しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った


そこで人々は彼に言った


「ではお前の目はどうして開いたのか」


彼は答えた


「イエスという方が泥をつくって、わたしの目に塗り『シロアムに行って洗え』と言われました


それで、行って洗うと見えるようになりました」


人々は彼に言った


「その人はどこにいるのか」


彼は「知りません」と答えた


人々は元は盲人であったその人を、パリサイ人達のいる所に連れて行った


イエス様が泥をつくって彼の目を開けたのは安息日であった


パリサイ人達もまた「どうして見えるようになったのか」と彼に尋ねた


彼は答えた


「あの方がわたしの目に泥を塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」


そこで、あるパリサイ人達が言った


「癒したその人は神から来た人ではない

安息日を守っていないのだから」


しかし他の人々は言った


「罪のある人が、どうしてそのような奇跡を行うことが出来ようか」


そして彼らの間に分争が生じた


そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた


「お前の目を開けてくれたその人をどう思うか」


「預言者だと思います」と彼は言った


ユダヤ人達は彼が元は盲人であったが見えるようになったことをまだ信じなかった


ついに彼らは、目が見えるようになったその人の両親を呼んで尋ねて言った


「これが、生れつき盲人であったと、お前達の言っている息子か、それではどうして今は目が見えるのか」


両親は答えて言った


「これがわたしどもの息子であること、また生れつき盲人であったことは存じていますがどうして今は見えるようになったのか


それは知りません


また誰がその目を開けて下さったのかも知りません、息子に聞いて下さい、息子はもう成人ですから、自分のことは自分で話せるでしょう」


両親はユダヤ人達を恐れていたのでこう答えたのである


その理由はもしイエス様をキリストと告白する者があれば会堂から追い出すことにユダヤ人達が既に決めていたからである


彼の両親が「成人ですから息子に聞いて下さい」と言ったのは、そのためであった


そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った


「神に栄光を帰するがよい、あの人が罪人であることはわたし達にはわかっている」


すると彼は言った


「あの方が罪人であるかどうか

わたしは知りません

ただ一つのことだけ知っています


わたしは盲であったが今は見えるということです」


そこで彼らは言った


「その人はお前に何をしたのか、どんなにしてお前の目を開けたのか」


彼は答えた


「そのことはもう話してあげたのに聞いてくれませんでした

なぜまた聞こうとするのですか


あなた方もあの人の弟子になりたいのですか」


そこで彼らは彼をののしって言った


「お前はイエスの弟子だが、わたし達はモーゼの弟子だ、モーゼに神が語られたということは知っている、だが、イエスがどこから来た者かわたし達は知らぬ」


そこで彼が答えて言った


「わたしの目を開けて下さったのに、その方がどこから来たかご存じないとは不思議千万です


わたし達はこのことを知っています


神は罪人の言うことはお聞き入れになりませんが神を敬いそのみ心を行う人の言うことは聞き入れて下さいます


生れつき盲であった者の目を開けた人がいるということは、世界が始まって以来聞いたことがありません


もしあの方が神から来た人でなかったら何一つ出来なかったではずです」


これを聞いて彼らは言った


「お前は全く罪の中に生れていながら、わたし達を教えようとするのか」


そして彼を外へ追い出した


イエス様は盲人だった人が外へ追い出されたことを聞かれた


そして彼に会って言われた


「あなたは人の子を信じるか」


彼は答えて言った


「主よ、それはどなたですか、その方を信じたいのですが


イエス様は彼に言われた


あなたは、もうその人に会っている


今あなたと話しているのがその人である


すると彼は「主よ、信じます」と言ってイエス様を拝した


そこでイエス様は言われた


わたしがこの世に来たのは裁くためである


すなわち、見えない人達が見えるようになり、見える人達が見えないようになるためである」


そこにイエス様と一緒にいたあるパリサイ人達がそれを聞いてイエス様に言った


「それでは、わたし達も盲なのでしょうか」


イエス様は彼らに言われた


もしあなた方が盲人であったなら罪はなかったであろう


しかし、今あなた方が『見える』と言い張るところに、あなた方の罪がある










イエス様は安息日であっても

盲人を癒やされ

目を見えるようにされた



それはあわれみであり

見えない者が

見えるようになるためです



イエス様が

この世に来たのは裁くため


見えない人達が

見えるようになり

見える人達が見えないように

なるためです



誠の神様はイエス様



イエス様が神様に見えるか

イエス様が神様と見えないか


それぞれに裁かれます



イエス様を受け入れないで

見えると言い張る人は

違う者を拝んでいる



だから

イエス様が現れても見えません



イエス様に従って

信じたいと願う者には

イエス様が神様に見え

信じるようになります



イエス様を信じるか

信じないか

どちらの道に行くか



わたし自身の心の働きに

よっても変わってきます



イエス様を祝福しないで

『見える』と言い張るところに

わたし達の罪がある



わたし達はみな盲人です



目を開けて下さるのは

イエス様



生まれつきの盲人の目を開けて

見えるようにするのはイエス様



イエス様の導きによって

わたし達は神を見る



それにはわたし達が

盲人であることを

自覚しなければなりません



盲人は盲人らしく

見える方について行く



イエス様について行くのが

良いです



イエス様の御国が来ますように


イエス様の御心のままに

なりますように


多くの人々に

祝福がありますように


本日は以上です

ありがとうございました