どもどもキムです。
今日もせっせと僕の人生を変えてくれた先輩方をご紹介したいと思います。
人生を変えてくれた人たち
vol.1 自分の中で何かスイッチが入ったら出会えたバウさん
vol.2 バウさんに言われた「動け!」 動こう!と決めたら出会えたてんつくマン
僕はずっと尊敬する人は誰?どんな人になりたい?って聞かれたら
Fさんと中山先生みたいな人になりたい!って答えていました。
Fさんはね、普通のおばちゃん(笑)
本当は、なんか色々とすごい人らしいんだけど、表には出てこないし、
僕と話してる時は普通のおばちゃんだから、普通のおばちゃんとしておこう(笑)
富士山の麓の森の中に住んでるんだけどね、
とにかく大変な苦労をされて来た方。
でね、Fさんもね、薮ちゃんと一緒で、話の聞き方がすごいの。
「あら!まぁ!それは大変だったわね〜」
なんてすごく気持ちの良い相槌を打ってくれてね。
色んな人がFさんに会いに行って、
気がついたらベラベラ喋って、ポロポロ泣いて、スッキリして帰って行く。
僕はFさんのおかげで当時、ほとんど会話もしなかった両親に
「産んでくれて、育ててくれてありがとう」って
伝えることができた。
それをまたFさんに報告に行くと、泣きながら、
「良かったね〜良かったね〜」と喜んでくれるような人。
誰のことも否定しない、どんな話も「うん。うん。」と受け止めてくれる、
本当にあったかい人。
もう一人。こちらは知っている人も多い、伊勢修養団の中山先生。
亡くなってしまったけど、本当にもう本当に神様みたいな人だった。
目が見えていないのにね、、、
目が見えている人以上に見えてる。
きっと年間に何千人とお会いしているだろうに、
3年ぶりくらいに会いに行ってもちゃんと覚えていてくれる。
それは僕に対してだけでなくて、誰に対してもそう。
どれだけ人のことを大切にしているのか?
想像もつかない。
中山先生の逸話は他にもたっくさんあるけどそれはまたいつか。
話しは変わってネネさんが生まれてしばらくして、
「無事に生まれました!」と尊敬する二人に挨拶に行きたいと思ったのです。
ここだけの話、結婚前、僕は相当痛い人でした。
女の人が男性に「幸せにしてください」とかあるじゃん?
わたくし、そう言う事言う女性とか大嫌いだったんです。
「アホか?」
「幸せは自分でなるんじゃい!」
「そんなん言ってるから幸せになれないんじゃ!」
って思ってたし、実際そう言ってた。
さらにさらに
ちょっと頭のネジが外れていた時期で、
色んな人に「好き!」と告白しまくっていたのです(笑)
ま、そんな痛い自分を経験したおかげで、
色んなことに気づけて、
里恵さんと結婚する時には、固く固く誓ったのでした。
「絶対にりえを幸せにする」と。
だけど!
だけどですよ。
出産後の里恵さんは、それはそれは大変だったのです。
狂ったの?と思うくらい里恵さんは僕に対して文句しか言わない。
「なんでそんな事も出来ないの?」
「はぁ。。。お母さんならもっと早くやってくれるのに。。。」
家事を全部こなし、
仕事もこなし、
赤ちゃんの世話もこなす僕に対して、
心からの見下し感たっぷりの文句しか出てこないのです。
ま、4回経験した今なら免疫がついてるけど、その時は初めての出産。
他にも同じようなママがいるかも知れないけど、
里恵さんは、
産後しばらくは赤ちゃんを守ることにしか意識が向かないのです。
他の事には全く頭が働かないんです。
なので、周りに対して、気配りなどは全く出来なくなります。
それは母親としては、決して間違っているとは思えないけど、
当時はそんな事、全く知らないし、理解も出来なかった。
産後だからと言って、父親はあくまで普通です。
母親の本能的なものを理解することなんて出来ません。
里恵さんが頭おかしい。。。としか思えませんでした(笑)
僕には地獄のような生活に感じられました。
やってもやっても、
頑張っても頑張っても、
喜んでもらえない。
それどころか、
文句しか言われない日々。
話しも全く噛み合わない。
「無理だ・・・。」
「俺にはこの人を幸せにすることは出来ない・・・」
「その前にこの人殺したい」(笑)
でも、幸せにするって誓った。。。
だから、自分がもっと頑張ろう。
と気分を入れ替えてまた頑張る。
でも、次の日も次の日も、やっぱり文句しか言われない。
その繰り返しの日々。
誰かにわかってもらいたかった。
でも、仲間に相談しても、みんな爆笑するだけなんです。
「里恵ちゃんらしくて可愛い〜〜♫」
「ウケる〜〜!!!さすが里恵ちゃん!!」
ダメだ。。。
誰もわかってくれない。。。
やばい。そろそろ限界だ。。。
そんなタイミングで尊敬する二人に挨拶に行こうとなったのでした。
夏の暑い日。
古い軽のワンボックスに乗って運転はもちろん僕。
後ろには里恵さんと2ヶ月のネネさんが布団を敷いて寝てる。
当時住んでいた小豆島からまずはFさんのいる静岡に向かいます。
途中、大阪あたりで大渋滞。
古い車のためクーラーは付いてません。
真夏の高速道路。
全く動かない大渋滞。
僕は前日ほとんで寝ていなかったので、
意識も朦朧としてきます。
と、そこへ車の後ろからまさかの罵声が飛んできました。
「ちょっと!
暑いんだけど!
何なの?
後ろで寝てる私と音々の
身にもなってよね!」
里恵さんは後ろで寝ているだけです。
この時のことは一生忘れません(笑)
この時、僕は
「あ、やっぱり無理だな。。。」
と完全に限界を感じました。
「この人、キチガイなんだ。。。」
それが僕の出した結論でした(笑)
それでも、行くと約束はしていたし、
生まれてきた音々さんを二人に会わせたい。
だけでも、僕はもう限界。
里恵さんを幸せにする!と誓ったけど、僕には無理だった。。。
敗北感と申し訳なさ、情けなさで、いっぱいになり、
泣きながら運転しました。
そんなこんなで、なんとかFさんの所までたどり着きました。
Fさんはいつもの温かさで迎えてくれました。
「あら♫良く来たわね!!おめでと〜〜〜!!!
可愛い赤ちゃんね〜〜!!!」
と、中に入って改めてご挨拶をしようとした時、
突然、Fさんは厳しい顔をして里恵さんに話し始めました。
「里恵さん。あなた木村くんがどんなに頑張ってるか、
どうしてわかってあげられないの。
こんなにやってくれてるのにどうして感謝も出来ないの。
こんなに優しくしてくれる人いないのよ」
まだFさんには何も話していないのに・・・です。
今、会ったばかり。
何も聞く前にFさんは何かを感じて、そう里恵さんに言ってくれたんです。
わかってくれる人がいた。。。。
僕は張り詰めていたものが外れてボロボロ泣いてしまいました。
Fさんに挨拶を済ました僕たちは、
そのまま伊勢の中山先生に挨拶に向かいました。
ちょっとは期待してしまいましたが残念ながら、
Fさんの言葉は里恵さんには全く届きませんでした。
その証拠に、伊勢に向かう道中でも里恵さんは文句ばかり言っていました(笑)
そして着いた伊勢の修養団。
中山先生に挨拶をした途端、今度は中山先生も始まったのです。
「里恵さん。
この木村さんって人みたいな男はなかなかいないですよ。
感謝だよ。
こんなに優しくしてもらってわからないのかい。
当たり前じゃないんだよ」
泣き虫キムさん、またまた号泣。
Fさんも、中山先生も、二人とも何にも話しもしてないのに、
全てわかってくれた。
わかってくれる人がいた。
里恵さんは、その後、何も変わりませんでした(笑)
でも、
わかってくれる人がいた。。。
僕はもうそれだけで満足でした。
これでまた頑張れる。
そうこうしているうちに、
里恵さんも徐々に普通の人格を取り戻してきました(笑)
悪夢は終わりを告げたのです。
今の木村家、可愛い4人の子どもたちに囲まれて暮らして入れるのは、
このFさんと、中山先生という偉大な先輩たちのおかげなのです。
ありがとうございます!!