648冊目 午後の曳航/三島由紀夫 | ヘタな読書も数撃ちゃ当る

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ある日突然ブンガクに目覚めた無学なオッサンが、古今東西、名作から駄作まで一心不乱に濫読し一丁前に書評を書き評価までしちゃっているブログです

「午後の曳航」三島由紀夫著・・・★★★★☆

船乗り竜二の逞しい肉体と精神に憧れていた登は、母と竜二の抱擁を垣間見て愕然とする。矮小な世間とは無縁であった海の男が結婚を考え、陸の生活に馴染んでゆくとは……。それは登にとって赦しがたい屈辱であり、敵意にみちた現実からの挑戦であった。登は仲間とともに「自分達の未来の姿」を死刑に処すことで大人の世界に反撃する――。

 

私は、何故こんな素晴らしい作家(文豪と呼ばれる日本作家は殆ど読んでないが)を今まで見過ごしてきたんだろうか?

過去に三島作品は、最高傑作と言われる「金閣寺」と、ちくま日本文学全集の三島由紀夫作品集(短編・戯曲・エッセイ)しか読んでいない。

訳の分からんマニアックな本読んでる暇があったら、三島を読むべきだった。。。。(´д`lll)

 

本作のストーリーは説明文の通り(ちょっと簡略過ぎだが)で、主人公の登と仲間たちの大人に対する屈折した論理が主題となっているのだが、その論理に従い行動した結末は衝撃的だった。

 

そして、このストーリーを支えているのが、三島節とも言えるような修辞を多用したその文体である。

本作の中で私が唸った一文を引用しよう

 

登の母、房子と船乗りの竜二の会話で、房子の「なぜ結婚なされなかったの?」との問いに対し竜二は「船乗りのところなんか、なかなか来手がないですよ」とあいまいな返答をするのだが――

以下本文より引用

 

実はそのとき、彼が答えようとしたのは、次のような言葉だった。

「同僚には、みんなもう二、三人の子供がいます。家族からの手紙を、何十ぺんもくりかえして読んでいます。子供の描いた家だの花だの絵のある手紙を。・・・・・奴らは機会を放棄した人間です。私は何もしないで、しかし、自分だけは男だ、と思って生きて来たんです。何故って、男なら、いつか暁闇(ぎょうあん)をついて孤独な澄んだ喇叭(ラッパ)が鳴りひびき、光りを孕んだ分厚い雲が低く垂れ、栄光の遠い鋭い声が私の名を呼び求めているときには、寝床を蹴って、一人で出て行かなければならないからです。・・・・・そんなことを思い暮らしているうちに、いつのまにか三十を越したんです」

 

う~ん、素晴らしい。

そして、かっこいい。

この男の姿こそ、登が求めていた人間像だったのではないか?

しかし、竜二は房子に対してこの言葉が言えなかった。

これが、登が竜二(大人)に対する憧憬の分岐点になったのではないか?

このやりとりは、前半で出てくるのであるが、既にこの物語の結末(テーマ)を暗示しているように思う。

しかし「機会を放棄した人間」の”機会”とは何なのだろうか?

 

このように、三島が綴る情景描写や心情描写は美しく、そして力強い。

今まで、このような文体を持つ作家に巡り合った記憶は余り無い。

強いて言えば、大江健三郎が近いだろうか?(当然、三島の方が先に書いているが)

 

先日、フジTVでやっていた27時間テレビだったと思うが、三島由紀夫を取り上げていて「三島由紀夫は美を追求する作家だった」というようなコメントがされたいた。

「金閣寺」は日本の様式美を世界にも発信し、評価を受けた作品だと思うが、本作を読んでも、美(男の生き様の美学と美文)を追求する姿勢を感じる事が出来る。

 

故に三島由紀夫は、その人生の結末で、男の生き様の美学を自ら体現したのではないだろうか?。。。

 

もちろんこれから三島作品は読んでいきますが、名作と呼ばれる作品が多いだけに、高評価連発のような予感がする。。。\(゜□゜)/

 

最後に素晴らしい本で締め括り「薄い本」シリーズはこれで打ち止め。

次はまたマニアックな本です。(右往左往忙しいな。。。(;´Д`)ノ

 

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